シェイクスピア、歌舞伎、万葉集、ダーウィン。
2018年の開講以来、
古くて新しい古典に取り組んできた
ほぼ日の学校が、2020年最初の講座に据えるのは
作家・橋本治さんです。
題して「橋本治をリシャッフルする」。
今年1月の早すぎる死を悼みつつ、
橋本治さんが私たちに遺してくださったものを
じっくり考えていきたいと思います。
橋本治さんの作品は、
読者にどんな力を与えたのか?
橋本治さんはどんな人だったのか?
開講を前に、縁のあった方々に
お話を聞かせていただきました。
古典を学ぶほぼ日の学校で、
なぜ、橋本治さんなのか?
不思議に思われる方も
きっといらっしゃることでしょう。
そこで、河野学校長に語ってもらいました。
いま、橋本治さんに取り組む理由を――。
古典との向き合い方の模範的先輩
- ──
- 単刀直入に聞きます。
どうして、橋本治さんなのですか?
- 河野
- ほぼ日の学校がスタートする前から
橋本治さんにはすごくお世話になりました。
- ──
- 開講前の記念イベント
「ごくごくのむ古典」に登壇いただきましたね。
- 河野
- そうです。
この学校を始めるときに、
学校として橋本さんとの縁を求めました。
そこに意味があると思っています。
古典との向き合い方の典型というか、
橋本さんは模範的な「先輩」だと思ってきました。
「先生」ではなく、あえて「先輩」だと言います。
「ごくごくのむ古典」のときの
橋本さんの講演タイトルは「古典ひろいぐい」です。
誰も古典をひろわないから、落ちているものを
ひろうように自分はやってきた、
という橋本さんのボヤキからつけたタイトルです。
「古典ってめんどくさいんですよ、ほんとに」
つまらなそうに言いながらも、
口とは裏腹に、本当に楽しそうに、
古典と戯れる姿を見せてくれました。
あそこに橋本さんという人の
すべてが含まれているのではないか、と思っています。
- ──
- もちろん、それ以前から
編集者として橋本治さんとの
おつきあいはありましたよね?
- 河野
- 最初からすごく気になる人でしたが、
とりわけ強く橋本治さんを意識したのは、
『男の編み物(ニット)、橋本治の手トリ足トリ』が
1983年に本になったときです。
この人は徹底した人だな、
本当に深くものを考えている人だな、と思いました。
- ──
- デヴィッド・ボウイや沢田研二、山口百恵など、
時のスターたちの顔が鮮やかな色彩で編み込まれた
見事なセーターの作り方を
橋本さんのイラスト入りで解説した本ですね。
- 河野
- そう。編み図もついたすごい本です。
もちろん、『桃尻娘』(1978年)が出たときに、
当時、担当していた作家の野坂昭如さんが
「すごい才能の奴が出てきた」と
評しているのを聞きましたし、翌79年に出された
マンガ評論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』も
「こんな本を書いてしまう人なんだ」と
驚嘆しながら読みました。
多才だし、いろんなものを書きながら、
個々の作品の質がとんでもなく高い。
すごい才人だとは思っていたけれど、
作家としての戦略性や、立ち位置のとり方、
腹のくくり方がはっきりと見えたのは、
あの編み物の本でした。
本当にすごい本だと思います。
編集者の小池信雄さんが、
編み物をしている橋本さんを見て
「すごい! ぼくもやりたい」と言って
習おうとしたところからあの本ができたと、
微笑ましいエピソードとして語られています。
実際そうだったのかもしれません。
けれども、決してそれだけではない凄みがあるんです。
- ──
- 凄み……
橋本さんがひっくり返そうとしたもの
- 河野
- まずあれは、誰に読ませようと思って作られたか?
あの頃、“男の料理”がブームになっていましたが、
編み物なんて、男はまず手を出しません。
見向きもしません。
つまり、日本の人口の半分がまったく無関心のテーマを
わざわざ、取り上げているわけです。
これも「ひろいぐい」(笑)。
では、「ヘンなヤツ」の趣味本か?
出発はそうかもしれないけれども、結果は違います。
一義的には、編み物に目をくれたこともない男たちに
「ほーら、こんなおもしろいものあるんだよぉ」と
教えてみせる本でした。
実際に、これを読んで編み物を始めた男は、
まぁ少数だと思います(笑)。
でも、初めて編み物というものに
目を向けた男たちはいるはずです。
女たちが勝手にやっている、と思って相手にもしなかった
編み物が「こんな風にできているんだ」と“発見”する
きっかけにはなったと思うんです。私も、その一人です。
そういうイタズラを仕掛けた橋本さんが、
まずおもしろいと思います。
女たちがやっていることは「よくわからない」
「知らなくてもいい」と思っていた男どもの目を開いた。
蒙(もう)を啓(ひら)いた。
「へぇー、すごいことやってるんだ」……と。
編み物という意外な切り口で、
それまでの常識の世界を揺さぶって、
女だけの世界に“窓を開いた”という意味で、
橋本さんの戦略性を感じるわけです。 - そして、それだけでは終わっていない。あの本は、
女たちを覚醒させるという狙いも含んでいました。
女たちが「知った気でいる」編み方に対して、
橋本さんは「そうじゃない」という
新たな提案もしているわけです。
女性たちは、自分たち流のやり方を踏襲していて、
それでいいと思っている。そんなものだと思っている。
でも、ほんとにそうなの?
「知ってるつもり」「わかってるつもり」
というのは、ほんとは「知らない」
「わかってない」のではないの?
こういう問いを投げかけてもいるわけです。
実際、何人かの女性にその頃に言われましたもの。
「目からうろこ」だったと。 - さらに続きがあって、橋本さんが
本当にひっくり返したかったものは何か? というと、
世の中のスタンダードというか、定型というか、
ある種の完成されたパターンに安住している
われわれの惰性というか、
懐疑心のない、ものの考え方。直接的に言えば、
編み物の業界的なお約束(そんなものがあるとすれば)とか、
出版界のルーティーン的な発想とか、
「これで良し」と思い込んでいる、
一種の「バカの壁」を橋本流の戦法で
破りたかったんじゃないか、と思うんです。
- ──
- あぁ、なるほど。
- 河野
- ここが、「橋本治は時代の子だ」と思う最大のポイントで、
結局、「知ってるつもり」や「これが世の常識」
というものを根底から疑いたい。ひっくり返したい。
その入り口をどこに、どうやって見出すかを、
徹底的に考え、追求する。
これが、橋本さんという人の闘いだったと思うんです。
見かけは、いかにも飄々と、楽しげに
軽々とやってみせている。
でも、その裏ではいろんなことを考え、
準備もして、相当の覚悟をもってやっている。
すごい人だと思いました。
余談ですが、少し後に江本孟紀さんの
『プロ野球を10倍楽しく見る方法』
という本が出てベストセラーになりましたね。
あれもおもしろい本でした。
野球を「知っているつもり」という人に、
もっとうがった見方があることを示しました。
野球の楽しみ方の“バカの壁”を
揺さぶったところがありました。
あの本の企画者、聞き書きをしたライターとか、
あちこちにゲリラ精神の持ち主がいて、
ちょこちょこイタズラを仕掛けていました。
橋本さんは、その中で一頭抜きん出て、異色で、
個性的で、ホンモノ感がありました。
- ──
- 世代的にも全共闘世代ですね。
- 河野
- そう。一方で、そこでまた大事なのは、
ゲリラ精神は持っているけれども、橋本さんは
全共闘運動とはまったく無関係だということ。
背を向けていたタイプです。
でも、あの時代の空気を
間違いなく吸った人だということも確かです。
橋本さんは、過激な言論戦もやらなかった。
ゲバ棒も持たなかった。
彼がやったのは、言ってみれば、
ギリシャ神話の「トロイの木馬」をつくるような
戦い方です。ヘンなもの、
不思議なものをつくって、城壁の外に置いてみる。
敵方が「なんだろう?」と、それを城の中へ持ち帰る。
すると、やすやすと城内に入れます。
そうなったら、こっちのもの。
相手が気がついたときには、
いつの間にか城の壁が崩れている‥‥。
難攻不落と思えた常識や、
固定観念が引っくり返っている。
世の中の見え方が変わっている。
そういうことを、手を替え品を替え、
やり続けたのが橋本さんではなかったのか。
そんな気が、私はしています。
これが正しいのかどうかはわかりません。
ひとつの仮説です。
今度の講座をやりながら、講師の方々や、
受講生のみなさんと一緒に、
それを確かめたいと願っています。
- ──
- 「知ってるつもり」の罠には、はまりやすいです。
それを徹底して排した橋本さんから
学ぶことは本当に多いですよね。
- 河野
- そういう視点で橋本作品を読み直すと、
いろいろなことが新たに見えてくると思います。
さっき言った「編み物の本」は
橋本さんの『窯変 源氏物語』に置き換えてもいい。
『源氏物語』を知らない人に、どうやったら
そのおもしろさ、醍醐味を伝えることができるか。
「知ってるつもり」の研究者たちに、
「こういうふうにも読めませんか?」と
橋本流の解釈を投げかける。
それを思いつきレベルじゃなくて、徹底的に準備し、
始めた以上は、覚悟を決めてやり通す。
そこが橋本さんの
目に見えない凄さじゃないかと思います。
あの『恋愛論』も、そういう目で読むと、
橋本さんのゲリラ精神につながるものが
いろいろ見えてくるのではないでしょうか。 - さらに言うと、橋本さんが
「作家とは何をする人間か」と考えていたかも
少しずつ見えてくるかもしれません。
橋本さんには独特の考えがあったと思うんです。
「作家」という言葉に、
非常に自負と誇りを抱いていたと思います。
単に、おもしろい小説や物語を書けば、
作家だというふうには
考えていなかったと思うのです。
でも、最後にやり遂げたかったのは、
誰も書いたことがないような、
長大なエンタテインメント小説だったみたいですけど。
- ──
- 学校長が橋本さんを選んだ理由は
よくわかりました。では最後に、
なぜ、「いま」橋本さん、なのでしょうか。
- 河野
- お話ししてきたようなことに思いをいたす人が、
だんだん見当たらなくなってきたからです。
社会を良くしようとか、
もっと世間の風通しをよくしようとか、
そういうことをスローガンとして掲げるのではなく、
深く潜行して考え、計画し、実行する覚悟。
そういった「頭の使い方」「考える力」「実行力」が、
いまいちばん欠けているように思うのです。
SNSの良くない面として言われますが、
何でも短絡的に反応し、思ったことを表層的に、
感情的に、ストレートに
書けばいいというわけではないでしょう。その一方に、
そういう風潮をおかしいんじゃないかと思っている人、
それに不安を感じている人、
何とかしたいと思っている人が
少なからずいることも事実です。
そういう人たちに、「こういう先達がいたんだな」とか、
「こういう頭の使い方をすると、
そこから智恵が開けていくんだな」とか、
そんなことを感じてもらえればと思います。
しかも、それはハードルの高いことではありません。
ちょっとした心がけひとつでできるのではないか。
それを橋本さんを通してもっとシェアしていきたい。
ほぼ日の学校がやる意味のあることではないかと
信じています。
(つづきます。次は糸井重里の登場です。)
2019-11-26-TUE