シェイクスピア、歌舞伎、万葉集、ダーウィン。
2018年の開講以来、
古くて新しい古典に取り組んできた
ほぼ日の学校が、2020年最初の講座に据えるのは
作家・橋本治さんです。
題して「橋本治をリシャッフルする」。
今年1月の早すぎる死を悼みつつ、
橋本治さんが私たちに遺してくださったものを
じっくり考えていきたいと思います。
橋本治さんの作品は、
読者にどんな力を与えたのか?
橋本治さんはどんな人だったのか?
開講を前に、縁のあった方々に
お話を聞かせていただきました。

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第5回 ウケたがる男子中学生のままだった    塚原一郎さん 「電話番」

橋本治さんの仕事場(事務所)に通って30余年。
塚原一郎さんは、助手、秘書、番頭……
その時々、さまざまな「肩書き」で語られます。
ある時は、橋本治さんの百人一首カルタに
添えた切り絵を作った「おもちゃ作家」。
またあるときは、橋本事務所の壁にかけられた
武者小路実篤風贋作色紙をつくった「天才」
(橋本治さんの『デビット100コラム』に出てくる表現)。
でも、ご本人は「私は単なる電話番ですから」と
言うのみで、あまり多くを語ろうとはしません。
(お写真も辞退されました)
それならそれで、結構。
「電話番」の目に映った橋本治さんの姿を
ちょっとだけ聞かせていただきました。

いつの間にやら30余年

──
どういう経緯で橋本事務所で働かれる
ことになったのか、お聞きしてもいいですか?
塚原
40年くらい前、大学生だったころ、
同人誌みたいな空気のあった『ぱふ』編集部に
スタッフとしていたときが、
最初の出会いです。
後に『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』として
まとめられるマンガ評論が
掲載されていた雑誌です。
その後、フジテレビの
「軽チャーっぽい」のちょっと後ぐらいに
「仕事中に電話かかってくると
相手しなきゃならなくて原稿書けないから
電話の対応をする人が欲しい」と言われて、
こっちもたまたま仕事やめて
フラフラしてた時だったので
「ちょっと考えさせて下さい」とは言ったんですが
まあ、とりあえずやらせてもらおうかと
お手伝いに来るようになりました。週に5日。
時間的にはそれなりに自由にさせてもらえてたし、
基本的にはその場(電話の側)に
いるだけのことなので、
それで気がつけば、そのまま30年あまり。
だから、電話番というか
雑用していただけなんですよ。
原稿用紙買いに行ったり、
コーヒー淹れたり、掃除したり。
いっしょに仕事していたわけじゃないし。
──
とはいえ、ずっとそばで
橋本さんの仕事ぶりをご覧になっていた
わけですよね。
塚原
見てないですよ(笑)。
隣の部屋で、戸を閉めちゃえばわかんないから。
気配くらいしか。
──
それにしても、すさまじい執筆量でした。
塚原
ちゃんと数えていないけど、
200冊あるのか、ないのか……。

シェイクスピア講座の打ち合わせのときの橋本さん。 シェイクスピア講座の打ち合わせのときの橋本さん。

──
そのエネルギーって何だったんでしょう。
塚原
書き続けたいという
内なる欲求がすごくあったんだと思います。
書きたいことを見つけてきては、
それを「使命」にしていた人。
『窯変 源氏物語』から『双調 平家物語』を
書いたころは体力もあったし、
すごいエネルギーでした。
でも、10年前に血液の病気をしてからは、
体力が落ちたので、ひとつ仕事を終えたあと
休む時間が増えましたね。
短距離走を重ねることができなくなった。
──
それ以前は、立て続けに短距離を
走るような仕事の仕方だったんですか?
塚原
マラソンの合間に短距離走をやる人でした。
──
……(絶句)。
でも、10年前にペースを落とされたとはいえ、
世に「昭和史3部作」といわれる
『巡礼』『橋』『リア家の人々』と
時代を描いて野間文芸賞を受けた『草薙の剣』
ぜんぶこの10年以内の作品ですよ!
塚原
ぼくは「特殊な作家」のそばにいて、
他の作家を知らないから、
「ああ、ペースが落ちたなあ」としか
思っていませんでしたが……。

根本はまじめな人じゃない

──
そういえば、ワープロが出たばかりのころ、
書くペースが速すぎて、何台か壊しちゃったとか?
塚原
使い始めたのは80年代前半で、すぐ壊した。
何台も買い替えて、修理もして、
でも80年代後半には
年表以外にはほとんど使ってないはず。
打つ速度が速すぎて、
叩きすぎてキーボードが壊れる。
書く速度も速すぎて、基盤が壊れる。
プリントアウトする量が尋常ではないので、
プリンタ部分が壊れる。
加えて、「ワープロで書くと
文章が攻撃的になるから、
小説には向かない」と言って、
万年筆の手書きに早々に戻していました。
その万年筆も、ペン先と軸をつなぐところが
ユルユルになっちゃってて
でもガムテープで貼り付けながら
ずっと同じパイロットの万年筆を使ってました。
──
小説から読み取れる
橋本治さんの時代把握力、人間観察力って
すさまじいと思いますが、
近現代史は頭の中に整理されている
感じだったのですか?
塚原
「大事なこと」と「どうでもいいこと」を
はっきり分けている人だったので、
「知っていること」と「知らないこと」の
ギャップはすごかったですよ。
好きな映画の、誰も知らないような
ものすごいディテールを覚えていると思うと
知らないこともたくさんある。
だいたい新聞を読まない人だったし。

──
え? 意外です。
塚原
もちろん、新聞はとっているんですよ。
でも見るのは、スポーツ紙の社会面と芸能面。
「それで十分」だと言ってましたね。
──
そういったところから、
「子殺しの母親」(『橋』の主人公)など
小説のテーマを見つけてこられるわけですね。
塚原
そうそう、そうだと思います。
──
そういう社会問題を見つめる橋本さんの目
というか、何かを突き詰めて考える深度って
すごいですよね。
塚原
うーん。
でも、まじめな人じゃないですからね、根本は。
事務所で話してるときなんて、まじめな話しないですよ。
政治状況を話していても、必ず
「それならこうなった方がおもしろいのに」と
すぐにドタバタギャグみたいにしてしまう。
鎧兜を買ったのだって、
「そういうのがあると、おもしろいかな」って
遊んでる。サングラスとか飾ったのは、ぼくですけど。
おもしろがらせたがるというか、
「ウケたがる男子中学生」のままでしたね。

――
ちょっとわかる気がします。
でも、一方でずっと「まじめさ」もあって、
たとえば、初期の作品『桃尻娘』シリーズの
第5巻『無花果少年と桃尻娘』で、
男の子が男の子を好きになることについて
とことん、突き詰めて考えたからこそ、
大きな活字で4ページにわたって書かれた
「わーッ!!」という言葉が
出てきたのかなと思います。
塚原
ああいうのは、突き詰めて考えるというより、
本人が、いきなりそこに
ポンって飛んじゃうわけだから。
――
飛ぶ……んですね。
塚原
うん、飛びますね。
でも、飛びながら下を見ているから、
何が下に積んであるかはちゃんと把握している
……という感じじゃないかな。
――
なるほど……。
すごい。
橋本さんが亡くなってもうすぐ11ヶ月。
寂しいですか?
塚原
実感として、実はまだよくわからない。
ここにいても、いなくても、
変わらない感じがするんです。
――
書かれたものが残っていて、
言葉が残っていると、
不在感が薄れることも事実ですよね。
亡くなったあとも、
本の刊行が続いていますし。
今日はお時間をいただき、
本当にありがとうございました。

(おわります。)

2019-11-30-SAT

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