2018年1月に「ほぼ日の学校」は誕生しました。
そして、2021年の春に
「ほぼ日の學校」と改称し、
アプリになって生まれ変わります。
學校長の河野通和が、
日々の出来事や、
さまざまな人や本との出会いなど、
過ぎゆくいまを綴っていきます。
ほぼ毎週木曜日の午前8時に
メールマガジンでもお届けします。
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2021年2月11日にこのページはリニューアルされました。
今までの「學校長だより」は以下のボタンからどうぞ。
河野通和(こうのみちかず)
1953年、岡山市生まれ。編集者。
東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。
1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。
2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。
2010年〜2017年、
新潮社にて『考える人』編集長を務める。
2017年4月に株式会社ほぼ日入社。
[ 河野が登場するコンテンツ ]
読みもの
・新しい「ほぼ日」のアートとサイエンスとライフ。
・19歳の本棚。
NO.162
蛍の光、窓の雪
お待たせしました! 久々の「學校長だより」です、と言いたいところですが、きょうは再開のお知らせではなく、お別れのご挨拶になります。
10月末をもって、私はほぼ日の學校長を退き、ほぼ日を退社いたします。
長いあいだ、「学校長・學校長だより」をご愛読いただき、またほぼ日の学校・學校をご支援いただき、本当にありがとうございました。いくら感謝しても感謝しきれない思いでいっぱいです。
ほぼ日に入社したのが2017年の4月なかば。
翌年1月にスタートする「ほぼ日の学校」は、さまざまな幸運にも恵まれ、当初の予想をはるかに上回る大きな手ごたえをもたらしてくれました。
「外苑前」時代のほぼ日本社の10F大ホール。机もなく、椅子をぎっしり並べ詰めた、いまでは考えられないような「濃密教室」でしたが、あの熱気は本当に素晴らしいものでした。好奇心にあふれ、楽しむことにまっすぐな受講生の皆さん。その期待を全身で受けとめ、みずからの知的情熱、興奮のありったけを語り尽くそうとしてくださった講師の方々。それを周囲で支えてくれた学校スタッフや他のほぼ日乗組員の人たち。
あの熱量と高揚感は、いま振り返ってもゾクゾクします。ほぼ日が長い時間をかけて培ってきた豊かな土壌の上でなければ芽吹かなかったであろう、気取らないけれども真摯な、笑い声に満ちていながら真剣な、心地良い空間のもたらす感動を私もたっぷり味わうことができました。何ものにも代えがたい貴重な体験だったと感謝しています。
「河野さんは出版という『読書人』を対象にした世界に生きてきた人。ほぼ日は『生活人』を相手に『ライフ』ということばのまわりを歩んできた会社。お互いに重なる部分もあるけれど、欠けていた部分を補い合えば、何かおもしろい出会いが生まれるのではないか」
入社の直前、「アートとサイエンスとライフ」という鼎談(ていだん)で、糸井さんに言われたことばです。次の比喩にも、強く共感を覚えました。
<親潮と黒潮が出合ったところに
豊かな漁場ができるみたいなことになれば
両方にとって最高なんじゃないかと思います。>
その通りでした! とてもエキサイティングな4年半でした。コロナ禍の影響で、公開講座を中断せざるを得なくなったのは痛恨の極みでありましたが‥‥。
とはいえ、いまや「ほぼ日の学校」は「ほぼ日の學校」となって、次なるステージに入っています。港区北青山で生まれた小さな学校は、千代田区神田錦町に本拠を移し、オンラインを使った「みんなの學校」へと成長を遂げています。そして、さらなる未来に向かって、新たな挑戦をし、「さなぎ」のように生命のエネルギーを蓄えているさなかです。
人工衛星の打ち上げにたとえれば、私は一段目ロケットの役割を、それなりに果たしたような気がします。このロケットがさらに推進力を高め、人工衛星が軌道を周回できるような高速度を得るためには、2段目にあとを引き継いで、1段目は切り離されていくことも節目の決断かと思います。
ただ、ロケットの場合と違うのは、1段目はなにも燃え尽きてゴミになるわけではありません。少なくとも私の心づもりでは、この4年半で思う存分享受した「ほぼ日の学校・學校」の恵みを糧(かて)にして、次の目標へ向かって、自分なりの夢を追い求めていきたいと思います。
その未来図が何かということは、まだ自分にもはっきりイメージできているわけではありませんが、ほぼ日の学校のあの熱気が背中を押してくれると思うのです。
「学校長・學校長だより」も、毎回楽しんで書いてきました。メールやSNSでいただくご感想は、とても励みになりました。心より感謝申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
子どもの頃に観た西部劇映画「シェーン」のラストシーンのように、カッコよく去って行きたいのはやまやまですが、まぁ役柄としては、かつて米軍人ダグラス・マッカーサーが退任演説の際に引いた「老兵は死なず、ただ去りゆくのみ(“Old soldiers never die ; They just fade away.”)」という心境でしょうか。
ほぼ日の學校が神田ポートビルに入ると決まった時、嬉しい発見がありました。このビルの外壁――ちょうど3階部分――に、「あれっ?」と思う愛らしい“物件”を見つけたのでした。
赤瀬川原平さんが「トマソン」と呼んだ「不動産と一体化しつつ『無用の長物的物件』となった建築物の一部」――そう、中空に向かって取り付けられた謎のドア――純正「トマソン」に出会うことができたのです!
以来、ポートビルに行く時は、必ずといっていいほど、そのドアを見上げます。そして、何かひと言、声をかけたくなります。
この先、ほぼ日の學校の授業の収録やイベントなどで、このビルにいらっしゃる折は、このドアにチラッと目を留めていただけると嬉しいです。
そして、コウノはあのドアを開けて、どこかへ翔んでいったと思っていただければ幸いです。
「學校長だより」はこれが最終回になりますが、「続き」のようなものを、またいずれどこかで書きたいと思います。
それまで皆さん、どうぞお元気で!
ご愛読に感謝して、つかの間のお別れを申し上げます。
2021年10月28日
ほぼ日の學校長
【フェニックスブックスフェアのお知らせ】
10月29日(金)〜10月31日(日)まで、神田ポートビルの2Fでは、「フェニックスブックスフェア」を開催いたします。
出版社の倉庫で眠ったまま、書店で読者の目に触れることもなく、やがて「断裁」の運命をたどる本の一部は、その直前で救い出され、再び販売されることがあります。本屋さんでは「自由価格本」「バーゲンブック」などと呼ばれている種類の本です。廃棄寸前の本ですから、一度もお客さんの手に渡っていない「新品」なのですが、通常より、だいぶ価格が抑えられています。
「ほぼ日」ではこれを「死の淵からよみがえり、新たな読者のもとにふたたび羽ばたく本」という意味を込めて「フェニックスブックス」と名付けました。この中から、河野通和はじめ、作家の浅生鴨さん、赤坂の書店「双子のライオン堂」の竹田信弥さん、そして「ほぼ日の學校」のスタッフが400タイトル・1000冊選びました。買い過ぎ注意ではありますが、持ちきれなくなった場合のセルフ発送カウンターもご用意します! 本の販売以外にも、本にまつわるトークイベントも予定しています。
くわしいことは、こちらのページにたっぷりと紹介させていただいております。
河野も3日間、張り切って店番をしておりますので、どうぞ遊びにきてください。
(担当・茂木)
(おわります)
2021-10-28-THU