2018年1月に「ほぼ日の学校」は誕生しました。
そして、2021年の春に
「ほぼ日の學校」と改称し、
アプリになって生まれ変わります。
學校長の河野通和が、
日々の出来事や、
さまざまな人や本との出会いなど、
過ぎゆくいまを綴っていきます。
ほぼ毎週木曜日の午前8時に
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2021年2月11日にこのページはリニューアルされました。
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河野通和(こうのみちかず)
1953年、岡山市生まれ。編集者。
東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。
1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。
2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。
2010年〜2017年、
新潮社にて『考える人』編集長を務める。
2017年4月に株式会社ほぼ日入社。
[ 河野が登場するコンテンツ ]
読みもの
・新しい「ほぼ日」のアートとサイエンスとライフ。
・19歳の本棚。
NO.161
熱血講義のアフタートーク
「ちょっと早めの夏期講習」と銘打って、7月10日(土)に「ディズニーとチャップリン~“エンタメ”を発明した2人の天才~」というスペシャル授業を行いました。講師は、チャップリン研究家(日本チャップリン協会会長)で、脚本家、劇作家、映画プロデューサーとしても活躍中の大野裕之さん。
13時から16時30分まで、2回の休憩をはさんで、3コマ3時間の授業を一気にやってしまおうという試みです。
白熱教室とは、まさにこれ。3時間の予定が、受講生の熱気にもあおられて、約3時間40分におよぶ延長戦! しかも、授業終了後、会場限定の秘蔵フィルムの特典試聴つきでした。
そこで、この企画を担当したほぼ日・出来幸介と、翌日、興奮覚めやらぬまま語り合いました。
河野
いやー、聴きごたえがあったねぇ。演劇、映画、コンサートなどは別として、講義、講演で、これに類する経験ってありました?出来
これだけ長丁場の講演はないですね。「聞いた~‼」という充実感・満足感がハンパなかったです。河野
ほんとだね。しかも感動した。出来
最後はちょっと鳥肌が立ちました。大野さんは、これまでチャップリンに関する講演はたくさんされていますが、「ディズニーとチャップリン」というテーマで話したのは、今回が初めてだそうです。だから、大野さんにとっても、チャレンジングで、貴重な経験だったと。河野
今回は3部構成で、1コマ目が<「冒険のはじまり」チャーリーとミッキーの誕生>、2コマ目が<「大! 航海時代」2人の黄金期>、3コマ目が<「戦いと別れ」天才たちが遺したもの>という流れになっていましたが、会場の雰囲気で思いがけず話が転がったり、膨らんだり、ライブの醍醐味をたっぷり味わわせてもらいました。
出来
お客さんのノリがとてもよかったので、大野さんも乗ってお話しされていましたね。河野
大野さん自身、演劇に深くかかわってきた人だけに、客前でやることに対する身体性、反射神経が抜群です。出来君と大野さんとの出会いも、たしか彼の講演だったんですよね?出来
大野さんは、実は高校(大阪府立茨木高校)の先輩でして‥‥。僕が高校2年生の時に、大野さんが卒業生として母校でチャップリンの講演をされたんです。僕は大野さんのことを知らなかったし、チャップリンの映画も図書館で借りて観ていた程度。こういう講演って、それがあったことは覚えていても、スピーカーが何を話したか覚えていることってあまりないですよね。でも、いまだに大野さんの講演はよく覚えていて。
最初に、チャップリンの代表作「モダン・タイムス」の冒頭シーンが流れました。羊の大群が画面に映り、それに重なるように地下鉄口から群衆が出てくる。ここで、大野さんは映像を止めて言いました。
『モダン・タイムス』より
「いまのシーン、家畜の群れと労働者が対比されていましたね。この対比は誰でも考えつくんです。でも、気づきましたか? 冒頭の、白い羊の大群の中に、1匹だけ黒い羊がいました。つまり、異なる意見を持つ人であっても、群衆の中に入れられてしまったら、みんな同じ方向に走らざるをえない、ということです。チャップリンはそこまで考えて黒い羊を画面の中に配している。これがチャップリンのすごいところです」という話をされました。
高校生の自分としては、そういうふうに映画を観たことがなかったので、はじめて批評というものに出会ったというか、おもしろい! と思ったのをよく覚えています。
以来、なんとなく大野さんの動向を追いかけるようになり、大野さんが『京都のおねだん』(講談社現代新書)という本を出された時に、京都の名曲喫茶で著者インタビューをさせてもらいました。「あの講演を聞いていた者です」と名乗って、それから時々飲みにご一緒するようになって。
河野
僕は『チャップリンとヒトラー――メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)を読んだのがきっかけです。名作「独裁者」で “笑い”を武器にヒトラーにメディア戦争を仕掛けたチャップリンですが、2人は同じ1889年4月に4日違いで生まれ、同じ「ちょび髭」姿で、20世紀の光と影を代表する存在になります。ヒトラーがかなり早い段階からチャップリンを警戒し、彼をユダヤ人と決めつけて排除にかかっていたことや、ヒトラーが1940年6月23日にパリに入城したその翌日に、チャップリンが「独裁者」のあの有名なクライマックスの演説シーンを、周囲の批判や圧力に抗して「たった一人で」撮影していたという事実など、この本からは、実に多くのことを教わりました。
大野さんとはいずれ仕事がしたいな。チャップリンの企画をやるときは、この人を中心に据えたいな‥‥そう思っていたところで、出来君と出会います。でも、それがまさか、こんな3時間40分の授業になろうとは!(笑)
出来
最初に大野さんをまじえて打ち合わせしたのが、去年の7月3日なんですね。僕がほぼ日に入社した2日後のこと。その1週間前に橋本治さんの写真展(おおくぼひさこ写真展「あの日の橋本くん」)の帰り道で、河野さんと話していて、「チャップリンの大野裕之さんと知り合いなんです」と僕が言うと、河野さんが「僕も会ってみたいと思っていた」と。翌週ちょうど大野さんが東京にいらっしゃるというので、打ち合わせをしました。そして、「どういうことがほぼ日の學校でできますかね」とお尋ねしたら、大野さんが「いまディズニーとチャップリンの関係性がおもしろいんです」と。そこから2時間ぐらい独演会が始まります。(笑)
『独裁者』より
河野
あの時すでに、もう2時間しゃべってたんだ。(笑)出来
16時くらいに始まって、18時まで話が止まらない。われわれも知恵熱が出たというか、圧倒されてしまった。お、おもしろい‼ と。その場で河野さんが「ぜひこの話を學校でお願いします」ということで始まります。河野
チャップリンだけでもすごいテーマなのに、そこにディズニーが加わった。しかも、出てくる話がどれもこれも「目からウロコ」の話ばかり。すべて事実に裏打ちされているから、なおさらです。「世界を以前よりも楽しい場所に変えてしまった」(大野)“エンタメ”界の2大巨匠の交流ですから、これ以上ないほどに劇的です。チャップリンとディズニー作品が
映画館で併映されたときの新聞広告出来
ディズニーがあれほどチャップリンに憧れを抱き、多大なる影響を受けていたとは全然知らなかったのでびっくりしました。子どもの頃からチャップリンのギャグを完コピして物まね大会に出たり、ミッキーマウスの造形や性格にいたるまで、自ら「チャップリンは私のアイドルだった」と語るほど、深い影響を受けていた。いまではディズニーのほうが、エンタメにおいては世界を席巻しているかもしれないですが、ディズニー当人は、まずチャップリンを真似るところから出発していたんですね。
一方、チャップリンはチャップリンで、才能のある後輩に、自分の経験を惜しげもなく教え、与えて、お互いに高め合うような関係を築く。エンタメ史においてめちゃくちゃ重要なつながりだったのに、あまり知られていないのが不思議なくらいです。
今回の大野さんの授業は、2人の単なる伝記的事実の紹介というだけでなく、コンテンツビジネスのはじまりを描いたエンタメ創世記であり、なおかつそこに、第1次、第2次世界大戦、戦後の「赤狩り」など、歴史的な大事件がダイレクトに関わるもうひとつの20世紀史でもある。重層的なお話だったなぁと思います。
河野
1970年代に入って、チャップリンのリバイバル・ブームが起きます。僕の高校時代です。萩本欽一さんが「尊敬するコメディアン」として当時スイスに隠棲していたチャップリンを訪ねるというテレビ企画があったり、NHKの「世界名作劇場」以外でチャップリンの名前に触れる機会が増えました。スイスに居を構えていたというのは、映画「ライムライト」の完成直後、ロンドンでのプレミアム上映のためにニューヨーク港からイギリスへ渡ろうとクイーン・エリザベス号に乗り込んだチャップリンに対して、アメリカ当局は再入国許可を与えませんでした。事実上の国外追放です。そんなことが1952年に起きます。
そのチャップリンが、1972年、アカデミー特別名誉賞を受けて、20年ぶりにアメリカの土を踏みます。もちろん大ニュースでした。
チャップリンが亡くなるのは1977年12月25日ですが、最晩年の彼が構想していた作品「フリーク」について、今回大野さんが語ってくれたことも感動的でした。戦後袂を分かってそれぞれの道を歩んでいたチャップリンとディズニーとが、この作品をめぐってどのように交差するか、というところに焦点が絞られ、授業が締め括られます。本当にスリリングな展開で、息を呑みました。
チャップリンとミッキーマウスは、
『モダン・タイムス』で“共演”を果たしている出来
あれは感動的でした。ちょっと目頭が熱くなりました。河野
会場が水を打ったように静まり返って、大野さんのひと言、ひと言に、みんなが固唾を飲んで聞き入りました。
出来
授業後に大野さんと話していた時に、「自分は文章で売る作家ではなく研究者だから、地道に資料をひもとき、事実を積み上げて作品を創り出すしかない」とおっしゃっていて。資料を読み込んでいくと、「これで決まった!」という瞬間が、訪れる時があるというんです。たとえば『チャップリンとヒトラー』では、映画「独裁者」が公開されたあとに、ヒトラーの演説の回数が激減したというデータを見つけた時。演説の回数が減っていたことはわかっていたけれど、「独裁者」の映画と結びつけられたことはなかったそうです。「独裁者」で笑い飛ばされてしまったヒトラーは、十八番の演説ができなくなった。それに気づいた時、「この作品はできた!」と。この本では何ヵ所か、そういう瞬間があったと伺いました。
『ディズニーとチャップリン』での会心の資料は、チャップリンが遺作「フリーク」を構想していた時の書類だったそうです。今回の授業のラストに出てくるもので、一見何の変哲もない書類なのですが、チャップリンとディズニーの関係、足跡を知った上で見ると、感動的な資料です。
河野
残念ながらオンライン配信では権利関係の問題で流せませんが、最後に会場で見ていただいた未公開映像があります。これまでに写真で見たことはありましたが、大野さんの話を聞いた後では、まったく印象が変わりました。異次元の衝撃を受けて、胸が締めつけられました。出来
今回、書籍『ディズニーとチャップリン』(光文社新書)の刊行と同じタイミングでしたが、本で読むのとは別種の感動、興奮が得られたと思います。授業後に「講談のようだった」とTwitterで書かれた方もいたくらい、大野さんの流れるような語りがとにかく魅力的。書籍には登場しない、大野さんしか知り得ないエピソードもたくさん話していただけました。資料も追加でたくさんいただき、チャップリン来日時の話や、「ライムライト」でチャップリンがどういうふうに演技指導をしていたのかといった、大野さんの取材にもとづく貴重な話が次々と飛び出し、すごい臨場感でした。
河野
ライブで体験する、オンライン配信で見る、大野さんの本を読む。する、見る、読む――どこから始まってもいいと思うので、このサイクルに参加して、“白熱授業”のエッセンスを皆さんに味わっていただきたいと思います。それにしても、会場に用意されたパネル展示や、参加者に配布したチャップリンの名言特製しおり、それからオンライン配信にも活かされますが、各コマのイントロ映像など、お客さんに楽しんでいただく仕掛けもいろいろ用意しましたね。
出来
「ディズニーとチャップリン」というテーマからして、公式の資料の使える範囲がものすごく限定されました。とくにディズニーに関しては、権利上ほとんどの資料を使えない、という制約があったので、その中で何ができるんだろうかと。言葉の展示だったらできるんじゃないかとか、ミッキーマウスのイラストは使わずに、ディズニーらしい色合いのデザインや音楽にしたりして(笑)。
でもそれは裏を返せば、ディズニーとチャップリンという2人の天才が、いかに大切に自分たちの権利を守ってきたかという証でもある。今回の講義のかたち自体が、彼らの築き上げてきた遺産なのだとも思います。
河野
大野さんには、是非また新たなテーマで講義に来ていただきたいと思います。
2021年7月15日
ほぼ日の學校長
*オンラインチケットを販売中。大野裕之さんの授業の模様は、本日(7月15日)17時頃から8月31日(火)11時まで配信します。
(また次回!)
2021-07-15-THU