安部公房さん原作の『箱男』が、
石井岳龍監督によって映画化されました。
27年前、「クランクイン前日」に
「撮影中止」になったという作品です。
ロケ地は遠く、ドイツの地。
キャスト・スタッフ・機材も現地入りし、
巨大なセットも完成していたところへ、
突然の「撮影中止。全員即帰国」宣告。
でも、石井監督は諦めなかった!
このたびようやく公開にまでこぎつけた、
この27年の紆余曲折をうかがいました。
インタビュー全体としては、
「映画は、いつうまれるか?」について、
3層のレイヤーで語られます。
個人的に大好きな山田辰夫さんのお話も!
担当は「ほぼ日」奥野です。
石井岳龍(いしい・がくりゅう)
1957 年生まれ。1976 年、学生による自主映画グループ「狂映舎」を設立し 8mm 映画デビュー作『高校大パニック』で注目を浴びる。1980 年、大学在学中に長編『狂い咲きサンダーロード』を劇場公開。インディーズ界の旗手となる。1982 年、自主映画活動の集大成的な作品『爆裂都市 BURST CITY』、1984 年、商業映画としては初の単独監督作『逆噴射家族』とパンキッシュで激しい作品を発表。『逆噴射家族』はベルリン国際映画祭フォーラム部門に招待され、イタリアの第 8 回サルソ映画祭でグランプリに輝く。その後もバーミンガム映画祭グランプリ受賞『エンジェル・ダスト』(94)、ベルリン国際映画祭パノラマ部門招待・オスロ南国際映画祭グランプリ受賞『ユメノ銀河』(97)など国際映画祭でも注目され続けてきた。21 世紀には『五条霊戦記』(00)、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(01)を創り上げる。2006 年より神戸芸術工科大学教授に着任(2023 年3月退任)。2010 年、石井岳龍と改名し、新たな映画の創出を目指し、『生きてるものはいないのか』(12)、『シャニダールの花』(13)、『ソレダケ /that’s it』(15)、『蜜のあわれ』(16)、『パンク侍、切られて候』(18)、『自分革命映画闘争』(23)、『almost people』より「長女のはなし」(23)など次々と話題作を監督している。
- ──
- 安部公房さんの『箱男』については、
もう、ずいぶん昔‥‥
学生時代とかに挑戦した覚えはあるものの、
正直に申し上げまして、
おそらく途中で挫折してるんです。
- 石井
- あ、そうですか。
- ──
- 今回、石井監督が映画化されたというので、
あらためて手にとってみました。
- 石井
- ええ。
- ──
- 最後まで読みとおして、まず浮かんだのは、
「石井監督は、この物語を、
いったい、どうやって映画にするんだろう」
というワクワク感と疑問でした。 - でも、存じ上げなかったんですが、
27年前に、信じられないようなできごとが。
- 石井
- はい。ダメになっちゃったんです。前日に。
永瀬正敏さんはじめ、
俳優さんやスタッフさんと
ドイツのハンブルクにまで行ってたんですが。
すでに準備に3ヶ月くらいかけていて、
スタジオを借り切って、
巨大なセットもほぼ、完成もしていて。
- ──
- さあ、明日から撮影だというところで。
- 石井
- ダメです、撮れません。帰ります、と。
- ──
- なんと‥‥。
- 石井
- スタッフはもちろん、撮影に必要な機材も
届いていましたし、
ドイツと合作の大作だったので、
あちらのスタッフも、かなりいたんですよ。 - だから、本当にショックで。
- ──
- そういう連絡って急に来るものなんですか。
- 石井
- いえいえ、あとにも先にも、このときだけ。
もう二度と経験したくないです。 - トップの大ボスみたいなプロデューサーが
日本からいらしたんです。
明日からクランクインだから来たんだろう、
とは思ってたんですけど。
- ──
- ふつうは、そう考えますよね。
- 石井
- 突然、全員集められて、
いますぐ日本に帰ることになりました、と。 - もうね、そのあたりのことは
あんまり覚えてないんですよ。衝撃すぎて。
あとから
「あのとき、こんな感じでしたよね」
って永瀬さんから言われたりするんだけど、
正直言って、記憶喪失みたいな状態。
もう「まっしろ」なんです。
- ──
- 原因は日本側の資金問題だったそうですが、
それこそドラマ、「映画みたい」です。
- 石井
- 2年くらい放心状態でした。
- ──
- ええっ、そんなに‥‥!
監督にとって、そこまで大きな作品だった。
- 石井
- もちろん、ダメってことになってからも、
仕事はしなきゃならないので、
何かしらはやってたんでしょうが‥‥
映画とは少し別のことでした。写真とか。 - とにかく立ち直るまでに時間がかかった。
- ──
- でも「いつかまた!」という気持ちの炎は
消えずに灯り続け、静かに燃えていた。 - それも、「27年間」もの長きに渡って。
- 石井
- 諦めようだとか、やらないという選択肢は、
ぼくのなかにはありませんでした。 - まあ、その後もいろいろ大変でしたけどね。
簡単には語れないくらい。
クランクイン前日に中止になっちゃうとか、
とんでもないことだよなあって
われながら思いますけど、
それに匹敵するくらいのできごとも続いて。
- ──
- なんと、さらなる紆余曲折が。
差し支えなければ「さわり」だけでも‥‥。
- 石井
- たぶん、思い出したくなかったんですよね。
ぼくはずっと、そのこと全体を。 - でも、27年越しで、
ようやく映画を完成させることができたし、
もう語れるような気がします。
ひとつには「原作権」についてのことです。
- ──
- 原作者の安部公房さんから、直接、
映画化の権利を託されたと聞いていますが。
- 石井
- そうです。そうなんですけど、
ぼくとお会いしてから3ヶ月くらいあとに、
安部さん、亡くなってしまったんです。 - 完成した映画をぜひ見てもらいたかったし、
とても残念だったんですけど、
映画については、
長女の方と話し合いをすることになって。
- ──
- ええ。
- 石井
- その方が、ドイツとの合作のときの脚本を、
何というか、気に入ってなかったんです。 - このままではダメです、許しません‥‥と。
- ──
- なんと。
- 石井
- そこから、まったく別の脚本を書きました。
前回より原作に寄せたかたちで。 - でも、今度はスポンサーが集まらなかった。
そうこうしているうちに、
原作をハリウッドに売られてしまい、
7年間、ホールドされてしまったんですよ。
- ──
- ホールド‥‥というと、
7年間は「手出しできない状態」ですか。
- 石井
- はい。そこからもいろいろありましたが、
結局のところ、
原作権はハリウッドから戻ってきました。 - すでにプロモーションビデオだとか
パイロットフィルムは
完成していたようなんですが、
長女の方から最終のOKが出なかったと。
それで、もういちど交渉をはじめて、
できるだけ原作に忠実に、という方向で、
企画を再開したんです。
ま、そこからまた3章くらいあるかなあ。
- ──
- まだ3章もある(笑)。
- そうこうするうちに「27年」ものときが
経過していた‥‥ということですか。
その時間たるや、
人ひとりの職業人生の8割くらいですよ。
- 石井
- ぼくの映画人生の3分の2くらいですね。
- ──
- ちなみに、最初の脚本って、
今回、拝見した映画とは、かなりちがう?
- 石井
- まったくちがいます。
- ──
- まったく、ですか。
- 石井
- 完全に別の作品です。
- 安部さんの『箱男』の原作そのものが
読者の数だけ解釈がある、
というような作品ではあるんですけど。
- ──
- たしかに。
- 石井
- 冒頭で「どんな映画にするんだろう」と
思われたっておっしゃいましたが、
あの小説を、
そのまま2時間の映画にするというのは、
おそらく無理でしょうね。 - 配信で、シリーズものにして‥‥ならば、
不可能ではないかもしれませんが。
- ──
- でも、原作と映画を続けて拝見してみて、
「こうなったんだ!」という、
ある意味、深い納得感がありました。
「ああ、石井岳龍監督の映画を見たなあ」
という感慨もありましたし。 - 何十年も前の話ですが、とても現代的で。
ようするに、おもしろかったです。
- 石井
- ああ、ありがとうございます。
- ──
- では、最終的には、
長女の方のご了承も得て、あのかたちに。
- 石井
- そうです。ただ、残念なことに、
その長女の方も
完成する前に亡くなってしまったんです。 - その方とはかなりやりあったので、
最後まで見届けてほしかったんですけど。
(つづきます)
2024-08-20-TUE
-
27年前、クランクインの前日に
撮影中止となった作品を、
ついに映画化した石井岳龍監督小説家・安部公房が
1973年に発表した作品『箱男』が原作。
インタビューでは、
今回の映画化までの紆余曲折の一端が
語られていますが、
27年前、
クランクイン前日のタイミングで
まさかの撮影中止に!
石井岳龍監督は、ショックのあまり、
そのときのことを
あんまり覚えていないそうなのですが、
制作を諦めることはありませんでした。
主演も27年前と同じ、永瀬正敏さん。
50年以上前の小説の映画化ですが、
われわれ現代人にも、
じわじわ迫る作品となっていました。
8月23日(金)より全国公開。
詳しくは、公式サイトでチェックを。『箱男』2024年8月23日(金)
新宿ピカデリーほか全国公開
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配給:ハピネットファントム・スタジオ