「今年の藝祭に来てくださいませんか?」
東京藝術大学の学生のみなさんから
そんなご連絡をいただき、糸井重里が
「藝祭2022」のトークショーに登場しました。
控室でのおしゃべり+1時間強のトークという
短い時間でしたが、フレッシュなみなさんからの
さまざまな質問に、糸井が真剣に答えました。
これからのAI時代に、人間はどう生きたらいいのか。
「作りたい」と「売れる・売れない」の兼ね合いは。
ゲーム『MOTHER』と「母性」の関係について。
新しい手帳のアイデアを考えてみました‥‥など。
前半は、東京藝術大学の日比野克彦学長と
3名の学生というみんなでのトーク、
後半は4名の学生による糸井への質問の時間。
大学の授業のあと、学生と先生がほんとうに
話したいことを素直に話すときのような、
あたたかなやりとりになりました。

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(1) AI時代、人間たちは何を大切にして 生きていけばいいんだろう?

【トークショー前、控室にて。】

──
‥‥すみません、今日のトークショーの
登壇者ではないのですが、
ぜひ糸井さんにご挨拶したいという
学生がいまして、
入っていただいても良いでしょうか?
糸井
あ、大丈夫ですよ。
中山さん
(緊張した面持ちで)
あの、いいんでしょうか。
中山みきと申します。
大学では能楽を専攻しています。

中山さん
今日は、この本の感謝を伝えたくて
(‥‥と、2010年にほぼ日で出した
オーディオブック
『吉本隆明 五十度の講演』をとりだす)。

ほぼ日スタッフ
わぁ。
糸井
この本が出たとき、まだ若かったでしょう?
中山さん
あ、どうでしょうか。
わたしは社会人入学なので、
たぶん20代のときだったと思います。
糸井
すばらしいね。
吉本さんのことばに出会えてよかったねえ。
よかった、よかった。

中山さん
今回この本の感謝と、プラス、
ちょっと質問をさせていただけたらと、
トークショーの学生に応募したんです。
登壇者からは外れてしまったんですけど。
あの‥‥。
ほぼ日倉持
(ピンとひらめいて)‥‥サインですね?
※倉持は糸井のマネージャー
中山さん
はい、家宝に。すみません。
糸井
この本、見返しの部分に
吉本さんのサインが入っているんです。
印刷だけど、いいですよね。
吉本さん、サインに自分のことばじゃなくて、
宮沢賢治のことばを書くんですよ(笑)。
「ぼくは別に言うことないんで」って。
じゃあ、ぼくはどこか、
吉本さんのサインじゃないページに書きます。

中山さん
ありがとうございます。
糸井
聞こうと思っていた質問、いましちゃったら?
中山さん
あ、では、お言葉に甘えて‥‥。
これからAI時代がやってきて、
なにを作るにも、絶対にAIのほうが
技術的にはミスもなく、
美しくきれいにできると思うんです。
だけどそうなったとき、
「人間ならではのものってなんだろう?」
という思いがあって。
それで岡潔さん、横尾忠則さん、
三島由紀夫さんなど、いろんな方の本を読むと、
「人間の霊性」ということばが
よく出てくるんです。
そしてAIが作るようなものって、結局その
「人間の霊性」の部分が
ないものになるんじゃないかと思うんですね。
そう思うと、これからの時代に
「人間の霊性」って、
どういうものになるんだろうなと。
なので、糸井さんにとっての「霊性」とか、
「これから先、人間たちは何を大切に
生きていけばいいんだろう?」
みたいなことをお聞きできたらと思ったんです。
ぼんやりとした話なんですけれども。

糸井
わかりましたよ、いま、質問が。
ぼくは「霊性」って、すごい発明だと思うけれど、
そこでわざわざ
「そういうものがあるんだ」と言いはじめたら、
それはそれでちょっと
場所をとりすぎてしまうようなものだと
思っているんです。
そして「霊性」って、これから技術が進歩して、
「これじゃもう霊性の存在できる場所が
なくなっちゃうんじゃない?」
くらいに追い詰めても、
それでもまだ「ある」ようなものだと思うんです。
中山さん
わざわざ「ある」と言うと
存在感がありすぎてしまうけれども、
なにか確実にあるもの。
糸井
そう。これは「愛」ということとも、
似ているところがあるんですけど。
名づけようがないけれども
「これはいいこととしよう」というものに
名前をつけるとすると、
「愛」なんですね。
だからみんながよく、
いろんな行動の理由について、
「愛があったから」とか説明するわけです。
だけど、いいことをみんな
「愛」と名づけちゃったんだから、
「愛」って無敵なんですよ。
中山さん
おおー。
糸井
そして「霊性」や「たましい」というのも
同じように、はっきり説明はできないけれども、
どんどん追い詰めていっても
まだ残ってるよな、というようなものかなと。
そういうものだと思えば、
その領域をどんどんせばめていっても、
かまわないと思うんです。
どこかに一点「ここだけは譲れない」という
ところさえあれば。
で、AIなどの進歩も別に悪いことを
しているわけじゃないですからね。
おそらく人が生きていくにあたっては、
そういった技術の発達も、
霊性の部分も、どちらも必要ですから、
両方は組み合わさっていくものだと思います。
中山さん
あ、なるほど。
糸井
また人間や地球の歴史ってきっと
偶然に次ぐ偶然で、
無数に見えるような可能性のなかから、
「もう再現できない」ぐらいのところを通って、
いまにたどりついてるものだと思うんです。
「大昔はエベレスト山脈が海底にあった」
みたいな「ええっ、嘘!」と
思えるくらいの事実まであって、
そんなことがたくさん起きてきた。
そしてこれからもきっと、
そういった想像もつかないような出来事が
無数に起こっていくと思うんです。
とはいえ技術がもっともっと進んでいけば、
そのくらいの想像がつかないことまで、
いろいろと説明ができたり、
予測ができたりしていくかもしれない。
でも、そんなふうにいくら技術が進んでいっても、
ぼくはなにか、そこになにか
説明しきれないものが混じっていくんじゃないか、
という気がするんですね。
「きみとぼくは違う」とか。
「もう一度ここまで戻ったとしても、
やっぱり同じことはできない」とか、
きっとそういうところのなかに。
そしてそういうことのなかに
「だからおもしろいんじゃない」が
あるんじゃないかなと思うんですね。
中山さん
はい、はい。

糸井
横尾忠則さんと喋ってると、
横尾さんはもう完全にそっちの
「説明できないこと」の領域を、
大事に持ってますよね。
UFOにしても、横尾さんは
「それはもうあるんだから」と言うわけです。
そういうふうに生きている。
そこで「ある」だの「ない」だのの話を
決めたいわけじゃないんで。
空気だってみんな
「酸素を吸ってる」と言うけれど、
5分の4は窒素ですよね。
ほとんど取り入れないものまで吸いながら
生きているのが人間だったりする。
実は世界って、そういうことだらけなんで。
そういうことを考えるだけでも、
また違う景色が見えてきますよね。
そしてそんなふうに
「意味がある」とされているようなことを
すべて取り除いてしまったあと、
それでも「のこっちゃうもの」について、
「ない」と思うよりは「ある」と考えたほうが、
なにか「一回性」みたいなものを
生きられる気がするんです。
「生まれた」って一回しかないんですよ。
「生まれ変わる」と思ったとしても、
それでもやっぱりそのいまの一回の、
一瞬一瞬をいかに生きるか、みたいな。
そういうことでしかないかなと。
中山さん
はぁー。
糸井
‥‥まあ、そういうことを考えながら、
自分で「変なことを言ってるなあ」も
同時にあるし(笑)。
あるいは
「デジタルを突き詰めていけば
この世界がすべてわかるようになるはずだ」
みたいなことを言う人についても、
「そう思ってるんだろうな」という感覚は
どこかわかるような気がするし。
‥‥おそらく会場で聞かれたら、
ぼくはこんなことを答えたんじゃない?
中山さん
はい、ありがとうございます。
糸井
せっかく吉本さんの講演を聞いたんだったら、
同じ吉本さんの
『言語にとって美とはなにか』
という本を
「うわー、わかんない!」とか
言いながら読んでもいいかもしれない。
あと、それを読むために、
先に『芸術言語論』を読み直してみても、
きっとおもしろいと思いますよ。
中山さん
ありがとうございます。
読んでみます。

糸井
専攻されているのはお能だっけ?
中山さん
そうなんです。
糸井
お能も、ことばで表さない現象が
入ってるんだよね。
いまお能をやっている人たちも、
先祖たちがやってるのと同じ動きをしては
「同じなのか、同じじゃないか」
「あるいはもっとよくなってるのか」みたいなことを
たえず確かめながらやってるわけですよね。
そういうことって
「言語化しろ」と言っても、無理ですよね。
声の出し方、謡(うたい)。
そういうものに人がこんなに惹かれるのって、
わざわざ「霊性」とか名づけなくても、
人間がそっちの領域を大事にしていることが
伝わってきますよね。
まさしく芸術って、そういうもので。
ぼくは今日、聞かれもしないのに
ぜったい言おうと思っているのは、
みんな芸術のことを
「わけのわからない、社会の役に立たないもの」だと
考えすぎてる気がするんです。
だけど実際のところ、芸術って、
ものすごく生きることの役に立ってますよね。
その話は絶対どこかでしようと思っています。
中山さん
今日はこんなお話をお聞きできて、
もう、ほんとにうれしいです。
糸井
ね、この本(『吉本隆明 五十度の講演』)、
作ってよかったよね。
中山さん
はい、なんだかわたしの世界に
ないものがあって。
吉本さんのことばに触れていると、
「新しい発見をしてるんだけど、
それがよくわからない」
からはじまって、
「なにをきっかけにわかったらいいんだろう?」
みたいなことがすごくあるんです。
でも、それを胸に置いて生きていると、
しばらくしてふと、
「あ、こういうことなんじゃない?」
みたいなことが出てくるんです。
もちろんほんとうに理解できているかどうかは
わからないですけど、
そうやって、なんだか心が軽くなるというか。
糸井
ありがたいよね。
ご本人がずーっと考えてきたことを
分けてもらってるんですよね。
ほんと、いま吉本さんが生きてたら、
ぼくも聞きたいことがいっぱいありますよ。

(つづきます)

2022-11-16-WED

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