「今年の藝祭に来てくださいませんか?」
東京藝術大学の学生のみなさんから
そんなご連絡をいただき、糸井重里が
「藝祭2022」のトークショーに登場しました。
控室でのおしゃべり+1時間強のトークという
短い時間でしたが、フレッシュなみなさんからの
さまざまな質問に、糸井が真剣に答えました。
これからのAI時代に、人間はどう生きたらいいのか。
「作りたい」と「売れる・売れない」の兼ね合いは。
ゲーム『MOTHER』と「母性」の関係について。
新しい手帳のアイデアを考えてみました‥‥など。
前半は、東京藝術大学の日比野克彦学長と
3名の学生というみんなでのトーク、
後半は4名の学生による糸井への質問の時間。
大学の授業のあと、学生と先生がほんとうに
話したいことを素直に話すときのような、
あたたかなやりとりになりました。

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(7) みんなが喜ぶ起点になるのは、 ずっと美しいし、かっこいいと思う。

──
最後は芸術学専攻、美術解剖学研究室1年、
川目七生さんからの質問です。
皆さんは「ヘタウマ」って、ご存じですか?
創作活動において、技法の稚拙さがかえって
個性や味となっていることを指すことばです。
糸井さんはこの「ヘタウマ」文化を
牽引してきた方でもあります。
川目さんもこの「ヘタウマ」に影響を受けて、
自分の制作をなさったんですよね。

川目さん
はい、わたしは原作が糸井さん、
作画が湯村輝彦さんの
『情熱のペンギンごはん』という
マンガをきっかけに「ヘタウマ」文化に触れ、
学部の卒業制作でも
その影響を受けて作品を作ったんです。
なので「ヘタウマ」にとても興味がありまして、
80年代前後の「ヘタウマ」ということばが
生まれた背景を教えていただけたらと思いました。

糸井
正直なところ、
「ヘタウマ」というコンセプトを作ったのは、
やっぱり湯村輝彦さんなんですよ。
そのころぼくはしょっちゅう湯村さんと
遊んでいたんですけど、あるとき、
「絵って『ウマウマ』と『ウマヘタ』と
『ヘタウマ』と『ヘタヘタ』がある」って
説明してくれたんです。
湯村さんも当時まだ若かったですけど、
「ぼくは『ヘタウマ』なのね」って言ったんです。
実は湯村さんって、
多摩美術大学の学生だったころに
イラストレーションで賞をもらったりしてるんですけど、
当時は和田誠さんに影響を受けた、
まったく「ヘタウマ」ではない絵を描いていたんです。
だけど湯村さんはそのあと、黒人たちの
ソウルミュージックの世界に興味を持つわけです。
日本でいえば金糸銀糸の入った
キラキラの着流しの人たちが演歌を歌うような世界の、
アメリカ版みたいな。
品は良くないし、ある意味での音楽の
素養みたいなものがあるわけじゃないし、
だけどある人はそれを美しいと思うし、
ある人にはエロティックだし、っていう。
そういう
「説明できないけどいいじゃん」
「いいからいいんだ」というものが、
ソウルミュージックの世界には、たっぷりあって。
そこではレコードジャケットも
カルチャーとして
一緒に発展していったわけですけど、
これもまた、ものすごく絵を描ける人が
描いてるわけでもないし、
いいデザイナーやいいカメラマンが
ついてるわけでもない。
もう、街なかから出てきたような
「こういうのいいんじゃない?」が
そのままジャケットになっていたわけです。
書体も写真の撮り方もレイアウトも、
「どこから出てきたんだろう?」みたいな。
ソウルミュージックのカルチャーには
そういう、「街のらくがき」に
近いようなものまで含めてあって、
湯村さんはそのカルチャーまるごとに
影響を受けていったわけです。
そのとき、湯村さん自身が
「よりきれい」「より完成されてる」
「よりリアルである」といったことについて、
自分はもともと興味がなかったことに
気づいたんですね。
そしてそのソウルミュージックの
カルチャーにあるような
「ヘタに見えるけれどもいいもの」を認めたい
と思って、自分の絵もそっちにいったんです。
それを「ヘタウマ」と言って、
「糸井くんがそのあたりのことをなにか書いてる」
となって、ある雑誌で2人の共作で
「ヘタウマ宣言」みたいなものを書いたのが
「ヘタウマ」のもととしてあるんですね。
それまではやっぱりアカデミズムから
価値が規定されていますから、
「ウマウマ」のなかでどちらがうまいか、
みたいな競争をしてたんです。
だけどそこに湯村さんがある種、
日本のポップアートのひとつの解釈を出した、
みたいに考えたんです。
それで一緒に『情熱のペンギンごはん』という
本を出したわけですけど、
それをさくらももこさんや根本敬さんといった、
クラスのなかでもちょっと変わった、
だけど魅力的な絵を描くいろんな人たちが
「いいな」と思って影響を受けたという。
その遺伝子が時代を超えて伝わって、
いまもちょっとずつのこっているわけですね。
というのが、あなたにも
つながっているんじゃないでしょうか。
川目さん
はい、知ることができて嬉しいです。
ありがとうございます。

──
‥‥と、いうわけで、
藝大生4名からの質問は以上です。
糸井
もの足りないです(笑)。
──
はい、司会のぼくも今日はずっと
「もうちょっと時間があれば」と
思っていました。
なので最後に糸井さんから、学生たちに向けて
なにかメッセージをいただくことは
できますでしょうか。
今日は会場でもオンラインでも
たくさんの学生たちが見ておりますので。

糸井
あの‥‥年寄りって面倒くさいもので、
悪い子にしてると「悪い子だ」って怒るんですよ。
ルールを守らないとか。
逸脱してて迷惑だとか。
でも、いまの時代は
「みんながいい子すぎる」って
怒っているわけです。
「気概がない」とか「もっと暴れろ」とか。
でも、そういうことを言われてもめんどくさいよね。
あまり社会を経験していない人の生き方って、
生きるのに都合のいい姿勢を選ぶのが当然ですから、
いまはみんな
「いい子にしてたほうがやれることが多いから、
いい子にしてる」ということだと思うんです。
その意味では、みんなが「いい子だ」と
怒られる筋合いはないと思います。
いい子でいいと思う。
ただ、その上で、自分のなかに
ちょっとしたいたずら心が生まれたときとか、
「退屈だな」と思ったときに、
どこかから何かが与えられるのを望むんじゃなく、
「退屈を打ち破ることを自分でやってみたいな」
と思うかどうか。
それは表現に関わる場所に道を進めた人が
「やっていいよ」って言われているすごい特権だし、
ある意味、義務でもあり‥‥って言っちゃうと
気の毒だけど、そういうものだとぼくは思うんですね。
だから、藝大のような場所にいる人たちは、
自分がそういう場所にいるのを
ときどき思い出すといいと思うんです。
消費者として
「なにか楽しいことをください」
「もっとおもしろいものをください」と言いながら
一生終えるのも別にいいと思うけど、
こういう場所にいるなら、それよりも
「ぼくがいま考えたこのゲーム、やってみる?」とか。
たとえば、ジャンケンを考えた人がいたら、
そいつすごいよね。
大昔からいままで、人はずっと
グーチョキパーで何かを決めたりしてるわけだから。
そのくらいのことを考えたことあるだろうか?
と思ったら、たぶんみんな、
ジャンケンに勝てるものなんか考えてないと思うんです。
芸術も、そういうことだらけだと思うんで。
だからまあ、そこまで大きなことじゃなくても、
なにか自分が生んだもので
みんなをおもしろがらせることが
できたらいいよね。
そのなかにはもしかしたら
「みんなを恐怖に巻き込んでみたい」
みたいな表現だってあるかもしれない。
まあ、そっちは行きすぎると「犯罪」があって、
そうなると罰を受けますから、
「その加減は自分でご判断ください」なんですけど。
罪になることをやってしまったら、
次のおもしろいことができなくなりますから。
でも、とにかく
「自分がちょっと大損するだけだ」
みたいなことをやるときには、勇気を持ってほしいの。
たとえば、やってみたいことがあるときに、
「アルバイトで稼いだ貯金が
全部なくなっちゃう」くらいのことなら、
迷惑がかかるのは自分だけじゃない。
そんなふうに、迷惑がかかるのが
自分だけなんだったら、
「これをやると安全圏にいられなくなるかもしれない」
みたいなことでも、自己犠牲とか言わないで、
ちょっと突っ込んでったほうが、みんなが喜ぶよ。
もしかしたら迷惑になるかもしれないけど。
やっぱりぼくは、
みんなが喜ぶことの起点になる人のほうが、
受け手として「もっとないですか」と言っているより
ずっと美しいことだと思うし、
かっこいいことだと思うんです。
そのとき、ついついバカなことを
してしまうかもしれないけれど、
「提案するバカ」になったほうがたのしいよ。
提案するバカなら、
「しまった!」も含めて覚えられますから。
それは芸術大学の人たちには、
ぜひやってもらいたいことですね。
そんなふうにぼくは思ってますね。
──
糸井さん、ありがとうございました。
ということで、こちらでトークショーを
しめたいと思います。
糸井さん、登壇学生のみなさん、
聞いてくださったみなさん、
今日は本当にありがとうございました。
「藝祭2022」、
引き続き最後までおたのしみください。
会場
(拍手)

(おしまいです。お読みいただき、ありがとうございました)

2022-11-22-TUE

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