「今年の藝祭に来てくださいませんか?」
東京藝術大学の学生のみなさんから
そんなご連絡をいただき、糸井重里が
「藝祭2022」のトークショーに登場しました。
控室でのおしゃべり+1時間強のトークという
短い時間でしたが、フレッシュなみなさんからの
さまざまな質問に、糸井が真剣に答えました。
これからのAI時代に、人間はどう生きたらいいのか。
「作りたい」と「売れる・売れない」の兼ね合いは。
ゲーム『MOTHER』と「母性」の関係について。
新しい手帳のアイデアを考えてみました‥‥など。
前半は、東京藝術大学の日比野克彦学長と
3名の学生というみんなでのトーク、
後半は4名の学生による糸井への質問の時間。
大学の授業のあと、学生と先生がほんとうに
話したいことを素直に話すときのような、
あたたかなやりとりになりました。
- ──
- 続いて、油画博士2年の矢野佑貴さんです。
矢野さんは糸井さんが作られたゲームの
「MOTHER」に関するご質問ですよね。
- 矢野さん
- はい。私は「ヴィレンドルフのヴィーナス」と
言われるような、美術史の教科書の
いちばん最初に出てくるような地母神像に
興味があって調べています。 - 地母神像は「母性」のイメージを内在していますが、
調べていたときにふと、深い赤に金色で描かれた
「MOTHER」のビジュアルが思い出されて、
このゲームは地母神像に
連なるようなものなのではと思いました。 - そのような母性に着目したときに、
臨床心理学者の河合隼雄さんは、
母性は「包含すること・包み込むこと」、
父性は「切断すること」と言っています。 - また「MOTHER」に関する、
過去の糸井さんのインタビューを読むと、
父性へのアンチテーゼのようなものが
見られるような気がしました。 - なので糸井さんが「MOTHER」にこめられた、
「母性」への思いについて伺いたいです。 - あともうひとつ、
第1作目の「MOTHER」が発売された
1989年のころの社会は「終身雇用」など、
社会的にも
「包みこむ」側面が強かったと思いますが、
現在ではそういった制度がなくなりつつあります。
「自己責任」といった声が強まって、
社会における父性的側面が
強くなっているように感じます。 - 「MOTHER」が作られてから現在まで、
糸井さんの社会に対する考えに
変化はあったのかどうかを伺いたいです。
- 糸井
- いくつかの切り口があったと思うんですが、
「MOTHER」と「母性」の関係については、
まずはぼくが「母性」というものに
憧れてたんだと思うんです。 - みなさん、お母さんがいて。
おそらく多くの人が
「母性」のなかで育つという経験を
しているわけですね。 - よく「無償の愛」だとか言いますし、
娘が子どもを育てる姿を見ていても、
母親がやってることって
ものすごいなって思うんです。 - でもぼくは親が離婚していたこともあって、
母親というものについて、足りてなかったんですよ。
母親を意識しないで生きていく練習を、
ずっとしつづけてきた気がします。 - だから終戦直後に生まれた人が
「俺らはさ、食いものが足りてなかったから、
いまでもつい大盛り頼んじゃうんだよね」
とかそういう言い方しますけど、
そういう意味で、ぼくはたぶん、
「母性」が足りてなかったんだと思うんです。 - それがあるので、ぼくは無意識的にも意識的にも
その世界にすごく憧れがあるし、
大事にしたい気持ちがあって、
なにかとそのテーマに引きずられていくんじゃ
ないかとは思っています。
「MOTHER」というタイトルのものを見たがるとか、
そういう分かりやすいこともありますけど。 - このゲームでも、なぜかタイトルを
けっこう早めに思いついているんですね。
そこにも「なにか入ってるな」とは自分でも意識します。 - また、「父性」に対しての
アンチテーゼというつもりはありません。
というのも、
自分が父親から与えられたものとか、
自分自身が父として持っていたものについて、
良かったことも、間違いも、
両方あると思っていますから。 - 「母性」と「父性」って、対立するものじゃなくて、
補い合うものだと思うんです。 - 映画を観ても、父性的な主人公には
「カッコいいな」と思いますよね。
母性的なものには「いいな」と思う。
そんなふうに、やっぱり
「カッコいいな」と「いいな」の両方がある。
ぼくはそういう感覚でやってきています。 - あとは「母性」については、
ほんとの母子じゃなくてもあると思ってますね。 - 何年も前ですけど、注射器みたいな
「シリンジ」という道具を使って、
生まれたての子猫にミルクをあげる役を
させてもらったことがあるんです。
そのときなぜか、ぼくのなかに
「母性」みたいなものが目覚めたんですよ。 - 「猫にミルクやってるだけで目覚める
この心ってなんだろう?」
と思ったんですけど。 - だから、ほんとの血のつながりじゃなくても、
「母性」でつながる関係というのは、
社会のすごく大事な源にあるんじゃないかと
思ってますね。
そのあたりはいまでも、自分がなにかやるときの
テーマとして残っています。 - ちなみに太宰治という人が
「男の本質はマザーシップだよ」と言ったという話を、
ぼくは吉本隆明さんから伝え聞いたことがあるんです。
これは非常に矛盾してるような言い方ですけど、
なんだか「そうかもな」って気がしています。
- 糸井
- そしてもうひとつ、いまの社会については、
「在庫だらけの時代が来た」
ということは思っています。 - 前はもっと足りないものが見えていて、
その時代には、なにかを作ると、
作ったぶんがそのまま
欲しがっている人たちに行き届いていた。 - でもいまは、世界中でいろんなものを作る能力が
ものすごく上がって、ラーメンでもなんでも、
ほっとけばいくらでも作れてしまうんですね。
そしてできすぎると、今度は在庫になるわけです。 - みなさんが作品を作ったときに
「理解されない」とか
「みんなが見てくれない」というのは、
作品が在庫になってしまっている
ということですよね。 - あるいは若い人がよく
「モテない」とか言いますけど、
「モテてる」って、自分のセクシーな能力が
消費されている状態ですよね。
逆に、能力はあるけど消費されていない場合は、
モテが在庫になっている。 - 社会がそんなふうにどんどん
「在庫の時代」に入って、
消費されない在庫がたくさんあるようになった。 - で、そうやってできた在庫も
やっぱりなんとか消費したいから、
「騙されてでもいいから買ってください」
みたいな時代が、
ずーっと長く続いてきたと思うんです。 - そのとき、モノの価値そのもので
買ってもらうのは難しくても、
ものめずらしければ、オマケがつけば、
安ければ、買ってくれたりする。
だからそういった
ちょっと後押ししてくれるものを、
みんなが求めるし、作る。 - その結果、いまに至るまで、
本当に欲しいわけではないものを作る
「生む力の弱い時代」が
ずーっと続いてきてしまった。 - だからいま、
「決定的に生む力が減ってる」
とぼくは思っています。
- 糸井
- ですからそういう状況のなかで、
「もう飽き飽きしてるよ」という消費側の人たち。
作品で言えば見てくれる人たちに、
どんな問いかけをするのか。
どれだけクエスチョンマークを生み出せるかが、
いまの社会にいちばん必要なことだと思っています。 - 若い人たちに
「失敗してでもいいからやってみなよ」
ということばを、
こんなにリアルに言いやすくなった時代は、
ちょっとこれまでなかったかもしれないと
思いますね。
- 矢野さん
- ありがとうございます。
(つづきます)
2022-11-21-MON