写真家の幡野広志さんによる著書、
『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』
の刊行を記念して、トークイベントが開催されました。
著者の幡野広志さん、
本の構成を担当した古賀史健、
そしてふたりを引き合わせた糸井重里。
幡野さんがひとりで取材をはじめ、
「自費出版してもいいから世に出したい」
と願ってきたこの本は、どのようにして生まれたのか。
そして幡野さんのことばはなぜ、
これほど多くの人のこころを揺さぶっているのか。
おだやかな雰囲気のなかおこなわれたイベントの模様を
ここにまとめてお届けします。
構成はぼく、ライターの古賀史健が担当しました。
幡野広志(はたの・ひろし)
https://twitter.com/hatanohiroshi
1983年、東京生まれ。写真家。
2004年、日本写真芸術専門学校中退。
2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、
「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。
2011年、独立し結婚する。
2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。
2016年に長男が誕生。
2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。
著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』
(PHP研究所)
2019年3月、はじめての写真集、
『写真集』(ほぼ日)を発売。
古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。
ライター、株式会社バトンズ代表。
おもな著書に『嫌われる勇気』
『幸せになる勇気』(共著・岸見一郎)、
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、
構成を担当した本に『ゼロ』(著・堀江貴文)など
約90冊があり、累計600万部を数える。
2014年「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。
ほぼ日での仕事に、糸井重里の半生をまとめた
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(ほぼ日)。
第2回
反射で表現する人。
- 糸井
- これは幡野さんがたくさんの方々に
取材するところからはじまる本なんだけれど、
正直つらかったでしょう、取材していて。
- 幡野
- いや、つらかったですねえ。
彼ら・彼女らが抱えている苦しみを、
全身で受け止めるような時間ですから。
- 古賀
- そうですよねぇ。
- 幡野
- じつを言うとぼく、
メンタルクリニックに通いながら
取材をしていたんですよ。
そうでもしないと、
自分がこころを崩してしまいそうで。
それくらいダメージがありました。
- 糸井
- そうやってできた原稿を受けとって、
正面から向き合った古賀さんも、
またつらかったですよね?
- 古賀
- はい。つらかったですし、
読みとおすのにものすごく時間がかかりました。
- 糸井
- 原稿を読みきって、
自分のなかにどういうプランを描いて、
この本をつくっていったんですか?
- 古賀
- やっぱり、糸井さんがおっしゃったように、
いちばん大事にしたいのは幡野さんの思いですよね。
感動をあおりにいくような、
スキャンダラスな本にはしたくありませんでした。
かといって深刻な、重たい本になるのも避けたい。
それで、ぼくがいちばん興味をひかれたのは、
「幡野さんはなぜ、取材をしたんだろう?」
だったんですよ。
- 糸井
- そこなんだよねぇー。
- 古賀
- もしも自分が幡野さんと同じ立場に置かれたら、
ひたすら内省すると思うんです。
気持ちが、内側に向かっていくと思うんです。
それこそ、自分の人生を振り返ったものを書いたり。
でも幡野さんは、外側に向かっていった。
その理由が知りたかったんです。
- 幡野
- ああー、なるほど。
- 糸井
- それはぼくも、ほんとうに思いました。
自分におおきな病気が見つかって、
よその人のところには行かないですよ、ふつう。
- 古賀
- そうなんです。
「この人たちに取材しなきゃ」とか、
「自費出版してでも出したい」という思いも、
ジャーナリストやルポライターみたいな
正義感や使命感とは違うんですよね。
もっと根源的な動機があるはずで・・・・。
- 糸井
- それでぼく、
これは写真家の態度だな、と思ったんです。
- 幡野
- あっ、はい。
じつは写真家なんですよ、ぼく(笑)。
- 会場
- (笑)
- 古賀
- みんなで打ち合わせをしているとき、
糸井さんがぽんっと、
「そうか、幡野さんは写真を撮りたかったんだね」
とおっしゃって。
そのひと言で、目が開きました。
だからこの本は、
幡野さんのレンズに写る心象風景を描いた、
こころのロードムービーみたいな本にしようと。
- 糸井
- もちろん病気が見つかって、
セルフポートレートを撮りはじめる人もいる。
でも幡野さんのカメラは、外に向かうんだよね。
出て行った先で写した風景に、
幡野さんの内面が反射されるんですよ。
- 幡野
- ・・・・きっと、そうなんでしょうね。
今回、本に収録されていない方々も含めて、
ほんとうにたくさんの取材をしたんですけど、
「相手がぼくだったから、話してくれたのかな」
とは、ちょっとだけ思ったりします。
みなさん、完全にこころを開いてくださったので。
- 糸井
- ほら、幡野さんがシンボリックに使っていた、
子どものイノシシの写真があったでしょう。
まっしろい雪が血に染まって、
イノシシの頭がぽんっと置かれている写真。
- 幡野
- はい、雪山の。
- 糸井
- あそこにもう、幡野さんが写っているんですよ。
かわいげもある、
あたたかさもある、
ちいさな哀れもある、
死んじゃうんだ、というおどろきもかなしみもある。
これを見ることが、
おれ(幡野)を見ることだ、みたいな。
ぼくにはそう見えていました。
対象に思いを投影させて、
自分という人間を反射で表現する人なんです。
- 幡野
- あのイノシシの写真って、
病気が見つかって、そのまま入院して、
退院した直後に行った、最後の狩猟の写真なんです。
これで狩猟をやめると決めた、最後の。
その経緯がなければ、
ああいう写真は撮れなかったでしょうね。
やっぱり写真って、
文章以上に自分が写ってしまうものなので。
- 糸井
- だから幡野さんみたいな人は、
思いを受け止めてくれるライターさんが入らないと、
本にするのはなかなかむずかしいんじゃないかな。
印画紙がないと写真にならないように。
- 幡野
- それは今回、ほんとうに実感しました。
ひとりでは、ぜったいにできない。
そして「誰と組むか」がものすごく重要で。
- 糸井
- 印画紙の側だった古賀さんはどうですか。
つくっている途中で、
「これでいける気がする」みたいなことを、
おっしゃっていましたよね。
- 古賀
- そうですね。
幡野さんは去年の8月に、
『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』
という、すごくすてきな本を出されました。
それはひと言でいうと、
息子さんの優くんへのメッセージが詰まった本でした。
- 糸井
- ええ。
- 古賀
- それに対して、
今回の本は誰に向けているんだろう、
という点で、しばらく引っかかっていたんですね。
社会全体に訴えたい、とかではおおきすぎるので。
でも、幡野さんと対話を重ねるなかで、
幡野さんが「これ」をいちばん伝えたい相手は、
奥さんの由香里さんじゃないか、と思ったんです。
- 糸井
- ああー、そうか。
- 古賀
- そこにある「伝えたい」の切実さが見えたとき、
ようやくエンジンがかかったというか、
目の前の靄が晴れた気がします。
そうですね、だから、
「幡野さんにとっての第一読者は誰か?」
を考えている時間が、
いちばん長かったですね。
- 糸井
- なるほどなあ。
- 幡野
- やっぱり妻にはわかってもらいたいし、
それを息子に伝えてもらいたいですよね。
「親よりもたいせつなものがある」
「たいせつなものは、選べる」ということは。
いずれ息子がおおきくなれば、
ぼくの存在が重荷になることだってあるだろうし、
妻を重荷に感じることもあるかもしれないし。
- 糸井
- そういうことってさ、
奥さんと息子さんを目の前に座らせて
直接話すのは、むずかしいよね。
「お父さんから、大事な話がある」なんて(笑)。
- 幡野
- できないですね(笑)。
- 糸井
- やっぱり、反射なんですよ。
あの「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」って
お悩み相談も、構造は近いですよね。
相談者という反射板があるからこそ、
幡野広志を語りきれているんです。
(つづきます)
2019-08-01-THU