「ヒロシです。」からはじまる自虐ネタで
2004年頃に大ブレークしたヒロシさんは、
現在、YouTuberとしても活躍しています。
趣味のキャンプをしながら撮影した動画を
自分で編集してYouTubeで配信したところ、
新しいファンがじわじわと増えていき、
チャンネル登録者数50万人超えの人気者に。
「好き」からはじめたことをきっかけに
コンテンツを届けたり、グッズを生み出したり。
たのしい仕事につなげていくヒロシさんを、
糸井重里は自分にそっくりだと感じていました。
ここ最近はキャンプに興味津々の糸井重里、
またひとつ、好きから、はじまる予感です。
ヒロシ
芸人兼ソロキャンプYouTuber
1972年、熊本県出身。本名、齊藤健一。
九州産業大学商学部商学科卒。
ピン芸人として「ヒロシです。」の
フレーズではじまる自虐ネタで大ブレーク。
俳優としても映画『転校生 さよならあなた』
『22才の別れ(大林宣彦監督)に出演。
現在はカフェ「FOREST COFFEE(旧ヒロシのお店)」を経営。
お笑いライブなどの活動も続けている。
レギュラーも増えBS朝日『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』
〔毎週火曜日22:00~〕も絶賛放送中!
また、2015年3月よりYouTube「ヒロシちゃんねる」を開設。
自ら撮影、編集したソロキャンプ動画をアップして人気を集め
チャンネル登録者数は50万人を突破(2019年11月時点)。
著書には、シリーズ50万部を突破した『ヒロシです。』
『ヒロシです。2』(共に扶桑社)、
『ヒロシです。華も嵐も乗り越えて』(東邦出版)、
『ネガティブに生きる。ヒロシの自虐的幸福論』(大和書房)、
ヒロシの日めくり『まいにち、ネガティブ』(自由国民社)、
『今日のネガティブ』(SBクリエイティブ)、
『働き方1.9 君も好きなことだけして生きていける』(講談社)
発売前に増刷が決定した
『ひとりで生きていく』(廣済堂出版)も出版。
- 糸井
- 釣りをイチからはじめると、
普段やっていた仕事とは違って、
子どもがライバルになることもあって。
地方の大会に出るようになると、
「おれよりもあの小学生のほうが釣った」とか。
- ヒロシ
- あははは、ぼくもいっしょ。
- 糸井
- 河口湖の大会に出たら、
だいたい200人ぐらい参加していました。
何回も出場しているうちに、
8番になったことがあるんですよ。
もうね、8番になったことを
釣り仲間に知らせなきゃと思って、
ライフジャケット脱ぎながら歩いていると、
泣きそうになっているんですよ(笑)。
金銀銅でも5番ですらなく8番なのに、
ぼくはもう、うれしくって!
- ヒロシ
- それだけ熱くなっていたんですね。
- 糸井
- 釣りをしているときには、
誰も迎えに来ないから自分で運転して、
お前がやらないことには、
何もやれないよっていう感覚でした。
友だちと釣りに行くのが好きだったから、
友だちの分も全部準備していました。
- ヒロシ
- ぼくが釣りを好きだったのは、
友だちといっしょに行っても
バラけられるからなんですよね。
釣りにハマっていたときには、
「いっしょに行ってたのしいですか?」
とよく聞かれました。
バラけてひとりで釣りしてるのもいいけど、
釣れたときだけは、友だちに見てもらいたい。
- 糸井
- 誰かに見てほしいから、
魚を持って走ったりするんです。
「おーい! おーい!」って(笑)。
- ヒロシ
- 大の大人なのにねえ。
友だちがルアーを投げている最中にね、
こっちはこっちで「見てくれ」と。
- 糸井
- 「釣りに行って、たくさん話をするでしょ」
みたいなことは全然なくて、
話をするとしたら、その前のファミレスぐらい。
- ヒロシ
- ああーーっ! いっしょ!
なぜかファミレスなんですよ。
でも、当時の糸井さんみたいに
ハイヤーの後ろに乗っていた人が、
イチから釣りをやったら
相当刺激的じゃないですか?
- 糸井
- 釣りをやっていると、
ひとりで何かをやっていく力が、
だんだんと戻ってくるような気がするんです。
で、釣りとインターネットが繋がったのが
ぼくのスタートなんです。
- ヒロシ
- そこから、「ほぼ日」に。
- 糸井
- そう。釣りをしてたのは45歳ぐらいで、
「ほぼ日」を始めたのは49歳です。
その間に3、4年の時間があって、
広告の仕事をやりながら準備していました。
でも、たとえばさ、釣りを始めたときに、
こんなにおもしろいものはないと思ったから、
そのことを原稿に書きたくなって。
- ヒロシ
- はいはいはい。
- 糸井
- でも、釣りをはじめたばかりだから
釣り雑誌のコネもないし、
どこに書いていいかわかんないんですよ。
- ヒロシ
- いきなり「載せろ」って言われても
困っちゃいますもんね。
- 糸井
- そう、釣りを始めたばっかりだし。
で、どうしたかっていうと、
プロレス雑誌になら知り合いがいたんですよ。
『紙のプロレス』っていう雑誌があって、
過去にも何回か、コラムを書いていたんです。
- ヒロシ
- え? プロレス雑誌で、
釣りのことを書こうとしたんですか?
- 糸井
- 知り合いに電話を掛けて、
「あのさ、原稿書きたいんだよね。
直接にはプロレスのことじゃないんだけど」
- ヒロシ
- 「え? プロレスじゃない?」。
- 糸井
- 「非常にプロレスのよさがあるんだよ」
「いや、なんですかそれは」
「釣りなんだけどね。
釣りっていうのはさ、見えない世界を想像して
たのしむ遊びなんだよ。
おれなんか今、泥水を見るだけで
そこに魚がいるような気がするんだよ。
ぬかるみを見るだけで竿を持ってきたくなるんだよ。
そういう新鮮なたのしい気持ちが、
もうすぐ上手になっちゃうからなくなると思うんで、
下手であるがゆえに想像力のたくましい今のうちに、
こういう原稿を書かせてくれないかな。
もちろんギャラはいらない。
そのかわりなんか書かせてよ、いい?」
とお願いしてみたら、
「編集会議をしてみます」と返事があって、
すぐに電話がきて「お願いします」って。
- ヒロシ
- えーっ! なんで受けてくれたんだろう。
今の説明じゃ響かなかったですね、ぼくは。
ぼくが『紙のプロレス』の編集長だったら、
「いやー、それはさすがに糸井さんでも、
もうちょっとプロレスに絡めてくれないと。
魚がプロレスして戦うとか、
そういうイベントがあるなら取り上げますが、
ちょっと今回はご遠慮したいですね」
とか言って断りそうですけどね。
- 糸井
- ぼくのなかではもう、
「やるに決まってる」って決めてたから。
本当におもしろいこと始めるときって、
実現した未来がもう見えているんですよ。
- ヒロシ
- 想像できるんですね。
- 糸井
- 電話を掛けている時点で、想像してました。
釣りの連載をはじめて何回目かで、
「うわあ、ネタがなくなった」
ぐらいのことまで心配しているんです。
こっちは連載の4回分まで考えてるもんだから、
4回分の圧に押されたのかな。
- ヒロシ
- 糸井さんの鼻息が荒いから、
向こうも断れなかったんでしょうか。
- 糸井
- ほぼ日刊イトイ新聞を始める前にも、
どんなプログラムが並ぶかを、
了承も得ずに、全部書いていたんですよ。
大滝詠一さんのロングインタビューとか、
Appleの社長にインタビューとか書いて、
「これ、おもしろいに決まってるじゃん!」
と思ってはじめたんです。
- ヒロシ
- そういう先のことって、
1個のアイディアが出るとして、
どれぐらい先まで考えているんですか?
- 糸井
- 時間軸ではないんですけど、
すごくうまくいって自分が喜んでいる、
というところまで考えます。
- ヒロシ
- ああ、自分が満足いくところ。
- 糸井
- 具体的じゃなくてもいいんですけど、
いちばんうまくいったときに
心がどれくらい喜んでいるかが大事ですね。
- ヒロシ
- それが結局大事なんですね。
- 糸井
- 今日も、ヒロシさんとの対談の予定が入って、
どうなったらうまくいったかどうかなんて
わからないんだけど、
最後に「おもしろかったね!」と言えるのが未来です。
- ヒロシ
- 今日のイベントに関してぼくが考えていたのは、
糸井さんと初めてお会いするのが怖かった。
小学生のときからテレビで見ていたけれど、
糸井さんの人間性がどんな方か、
ぼくは全然わからないので怖くって。
- 糸井
- たしかに、不安げな顔をしてました。
- ヒロシ
- そういう顔してたでしょう?
本当に、怖かったんですよ。
ひょっとしたらいい人かもしれないし、
糸井さんは、いろんな物を作る方だし、
自分で仕事を生みだせる方ですし、
ぼくの本を読んでくださったという
前情報は聞いていたんですよね。
そんな糸井さんがぼくに
声を掛けてくださったということは、
プラスになることがあるんじゃないかと思って、
お受けしたんですよね。
- 糸井
- ヒロシさんよりも、
よけいに生きてますからね。
ここから先、長いですよ。
- ヒロシ
- ありがとうございます。
- 糸井
- プラスになるかわからないですけど、
あの時間があって悪くはなかったよなって
思ってもらえたらいいんで。
- ヒロシ
- 漠然とでもなにかを吸収して
帰れるんじゃないかというのが、
ぼくの考えですかね。
9月に銀座ロフトで開催したイベント
『好きから、はじまる。』で展示していた、
「あの人の、好きなもの」を毎日ご紹介します。
子どものころからずっと好きなもの。
いま、なんだかすごく好きなもの。
じつは、ひそかに好きなもの‥‥。
いろんな人の「好きなもの」が集まりました。
好きなもの
干し芋
坂本真綾 (歌手・女優・声優)
父の好物でもあり、幼い頃よく
ストーブの上で焼いて一緒に食べていました。
その影響で、今でも私の好物は干し芋。
常にストックしてありますし、
最近はいろんな種類や形の干し芋があるので、
見つけるたびに買ってしまいます。
でもやっぱり一番好きなのは、
子どもの頃から食べていた
定番の平干しのものかな。
好きなもの
中野南口ゴールデンコース
やついいちろう (エレキコミック/芸人)
「一番好きなもの」は愛犬のこぶし(パグ)ですが、
今まさに自分の中で熱いのが、
中野駅南口にある3軒を巡るコース。
まずはビールを「注ぎ分け」して楽しませてくれる、
駅前の『麦酒大学』で1~2杯。
その後、おいしいご飯を
フレンチビストロ『松㐂』で食べます。
そして最後は「こんなところに店が!?」という
怪しげな階段の先にある
ウィスキーバー『サウスパーク』へ。
なぜか僕が行くときはいつもお客がいないんですが(笑)
一風変わったマスターが
2000本のウィスキーからおすすめを出してくれます。
毎日通ってもなかなか知り尽くせない、
ウィスキーの奥深さを教えてもらっています。
(つづきます)
2019-11-30-SAT