ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさん。
バンドとは? 音楽とは? 
歌って何で人の心を撃つのでしょうか。
‥‥なんて、それらしいような、
ロックの取材っぽいことを聞いても、
まあ、だめでした。
「ヒロト」が、「ロック」について、
ただ、アタリマエのことを言うだけで、
「バンド論。」なんて浅い器を、
気持ちよくひっくり返された気分です。
とくに「前説」はありません。
ロックンロールが聴きたくなりました。
全6回の連載。担当はほぼ日奥野です。

>甲本ヒロトさんのプロフィール

甲本ヒロト(こうもとひろと)

2006年7月の「出現」以来、すでにシングル18枚・アルバム13枚・全国ツアー15本など精力的に活動してきたザ・クロマニヨンズのボーカリスト。過去、クロマニヨンズのギタリスト・真島昌利とともに、ザ・ブルーハーツ、ザ・ハイロウズとしても大活躍。一般のファンだけでなく、多くのミュージシャンからも熱狂的な支持を受けている。2020年12月には、最新アルバム「MUD SHAKES」を発表。新型コロナウィルス感染拡大の影響から、同月「配信ライブ」をはじめて開催。変わらぬザ・クロマニヨンズの音楽、変わらぬロックンロールを配信し、全国のファンから大反響を得た。2021年2月20日には「ザ・クロマニヨンズ MUD SHAKES 2021」を開催。

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第1回 いますぐ、できると思った。

──
お時間、ありがとうございます。
今回「バンド論。」という‥‥。
ヒロト
バンド論?
──
はい、論というと大げさですが。
ヒロト
うん。
──
ズバリの質問をしてしまいますと、
ヒロトさんは、
これまで長くバンドをやってきて、
いま、
バンドって何だと思っていますか。
ヒロト
まずは、「憧れ」ですね。
──
憧れ。
ヒロト
はい。
──
それは‥‥いまも「憧れ」ですか?
ヒロト
そうです、そうです。憧れです。
いまも、
ロックンロールに憧れています。
バンドの人になりたかったです。
うん、ぼくは。
──
なりたかった。バンドの人に。
はじめてのロックンロール体験は、
たしか中学生くらいですよね。
ヒロト
12歳ですね。
──
12歳。
ヒロト
12歳になったばっかりでしたね。
中学1年生の手前。
小学校から中学校へあがるときの
春休みでした。
──
それまでも「音楽」というものに、
触れてはいたけれども。
ヒロト
もちろん、もちろん。
世の中、音楽に溢れていますから。
でも、見えちゃなかったし、
聞こえちゃなかったですね。
──
ロックンロールという音楽‥‥は。
ヒロト
なんとなく楽しいんだろうなとか、
感じてはいたけど、それくらい。
それより、怪獣のほうが
断然カッコいいなあと思っていた。
──
怪獣、なるほど。
でも、あるときに、何かを聴いて。
ヒロト
ラジオからたまたま聴こえてきた。
聴いたんじゃない、聴こえてきた。
それまでも、
きっと、ずっと聴こえていたのに、
焦点が合ってなかったんだね。
でもある日、突然、ピタッときた。
それで「聴こえてきた」んです。
──
ロックンロールが。聴こえてきた!
ヒロト
うん。そのときに、急にね。
──
それは、なぜだったんでしょうか。
ヒロト
わかんないです。
そのときの自分の状態にも
何か原因があったかもしれないし、
それは、わからないけども。
たぶんね、いろんなタイミングが、
ピタッときたんだよね。
それで、
ぼくはとりつかれちゃったんです。
──
ロックンロールに。
ヒロト
気が狂ったんだなと思ったんです。
自分が。
ロックンロールを聴いて感動して、
もう、わけがわからなくて。
──
わからないというのは‥‥。
ヒロト
だっておかしいんだもん、自分が。
もう、とりつかれて。
涙は止まらないし、
ギャーギャー嗚咽を漏らしながら、
畳をかきむしっている。
おかしくなっちゃったって思った。
──
そんな状態ですか。
ヒロト
これは、なんなんだろうと思った。
いまならもう、
感動という言葉を知っているから、
そう言えるけど。
そのときは、わけがわかんなくて。
──
何か、正面衝突みたいな‥‥。
ヒロト
だから、そんで、
はじめてロックンロールを知った
あの瞬間のあの感動、
もう1回、
ああいう感じになりたいと思った。
感動って言葉は知らなかったけど、
ああなりたいと思った。
──
ああ‥‥。
ヒロト
だから「聴くこと」に専念したんです。
ロックンロールを。
ぼくはこれを聴けばいいんだと思った。
この音楽を、ずっと。
そのときに、ぼくは、はじめて、
子どものころの夢とかなんとか
何にもなかったけど、
一生この音楽を聴き続けたいと思った。
──
おお。
ヒロト
それが、ぼくの夢だ。これが夢なんだ。
聴くんだ、このロックンロールを。
でもどうやったら一生聴けるんだろう。
お小遣いも足りないし‥‥
そうか、何か音楽の仕事に就けばいい、
たとえばレコード屋さんになれば、
一日中レコ―ドを聴いていられるとか。
──
ええ、ええ。
ヒロト
そうやって、いくつか考えたんだけど、
まあ、それどまりだった。そのときは。
──
つまり自分でバンドをやろう‥‥とは、
思わなかったんですか。
ヒロト
うん。
──
ただ、ひたすらに聴いていたんですか。
ヒロト
ずっとです。一生これだと思っていた。
だって、美味しいラーメンを食べてさ、
美味しいなあと思って、
もっともっと、食べたいと思うじゃん。
──
ええ。
ヒロト
つくりたいなんて、急に思わないです。
──
そうか‥‥じゃ、ロックを食べ続けて。
ヒロト
そう、ぼくはずっと、聴くだけだった。
聴くということを、一生懸命にやった。
人に聴かせるということを、
自分がやろうとは思ってなかったです。
──
それが、あるときに変わるんですか。
ヒロト
うん、それはね、
ぼくの聴いていた音楽っていうのが、
古い音楽ばっかりだったの。
当時の流行の音楽を聴いてなかった。
ピントに合わなかったんです。
そんで、自分が反応するものだけを
どんどん追いかけていくと、
結局、古い音楽‥‥ブルースだとか、
ソウルミュージックだとか、
昔の黒人音楽のほうへ行ったんです。
──
当時の「昔の」というと‥‥。
ヒロト
50年代、60年代の音楽。
きっかけは、
60年代のビートグループですけど、
そういう音楽を、
ぼくは70年代に聴いていたんです。
──
つまり10年とか20年前の音楽を。
ヒロト
そう。
でも、いまはこんな音楽はないから、
ぼくは一生ずっと、
古い音楽を聴き続けるんだなあって、
思っていたんだけど。
──
はい。
ヒロト
1977年にパンクが出てきたんだ。
──
ああ!
ヒロト
パンクを聴いたとき、ぼくは、
新しいとは、ぜんぜん思わなかった。
むしろ、古いと思った。
これ、もともとぼくが好きなやつだ!
これ、これ、これ、だよ!
ブルースとかソウルとか、
そういう黒人の音楽のほうから来て、
ストーンズやキンクスやフーや、
ビートルズをつくる元になったやつ!
──
すごい(笑)。
ヒロト
そういう、ぼくの大好きな音楽と、
同じ原料でできていると思ったんだ。
──
1977年の、パンクロックが。
ヒロト
バシーッときたよ。そして、思った。
「ああ、これだったら簡単にできる」
「ぼくにも、いますぐできる」って。

(つづきます)

2021-02-22-MON

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    写真:田口純也