アメリカにわたり、9年をかけて
「歌を歌う人」を撮影し続けてきた
写真家の兼子裕代さん。
その「歌っている人の写真」には、
なんとも、ふしぎな魅力があります。
自分には何ができるのだろう‥‥と
自問自答した日々を経て、
「キラキラしたものを撮りたいんだ」
ということに気づいた兼子さん。
歌を歌う人の顔も、
やっぱり、キラキラしていました。
そんな兼子さんに
写真とは、歌とは、うかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
協力|POETIC SCAPE
兼子裕代(かねこひろよ)
1963年、青森県青森市生まれ。1987年明治学院大学フランス
- ──
- 兼子さんの
歌を歌っている人の写真集を見ていると、
じわじわ‥‥くるんです。
- 兼子
- あ、じわじわくるって、よく言われます。
- ──
- そうですか、やっぱり(笑)。
- で、同時に、
写真家のみなさんを見ていて、
どうなってるんだろうと思ってたことを、
すごく思ったって言うか。
- 兼子
- 何ですか?
- ──
- テーマです。
テーマをどうやって決めているのかって。 - だって、人によっては、
何年も継続して追いかけていくものだし。
- 兼子
- ええ、そうですね。
- ──
- 5年なら5年、それって、
何十年かの人生のうちの5年間なわけで、
その「発見」というか「出会い」って、
写真家‥‥というまえに、
ひとりの人にとって、
すごい出来事だよなあって思うわけです。 - その間の人生を左右してしまいかねない、
その重みがあるんじゃないかって。
- 兼子
- そうですね‥‥何なんでしょうね(笑)。
- ──
- このテーマといえばこの写真家みたいに、
その人の代名詞みたいにもなるし。 - 兼子さんの場合は「歌う人」‥‥。
どうやって、そこへ、たどり着いたのか。
- 兼子
- はい、「歌う人」の場合は、
そんなに長く撮ることになると考えずに、
撮りはじめていたりします。 - でも、結果的に、長くはなりましたけど。
- ──
- 撮っていた期間は‥‥。
- 兼子
- 9年です。
- 終えてみて思ったのは、
自分の中で「これでいいんだ」というか、
「これ以上できない」
と思うまで続けることになるんだなあと。
- ──
- これ以上できない‥‥なるほど。
- 「歌う人」にたどり着くまでは、
試行錯誤や紆余曲折もあったんですか。
- 兼子
- そうですね、若いころは、
長崎の風景を撮っていたりもしました。 - 別に出身地でも何でもないんですけど、
親しい友人が住んでいて、
遊びに行くうちに興味を持ったんです。
- ──
- 長崎の‥‥。
- 兼子
- 諫早から島原へ抜けるあたりが好きで。
- 当時は、雲仙普賢岳が噴火してから
まだ数年で、
痕跡が生々しく残っていたりしました。
- ──
- 雲仙普賢岳というと、90年代ですか。
- 兼子
- 1996年です、はじめて行ったのは。
- 当時は諫早湾の水門もできたばかりで、
政治問題になっていましたが、
訪れるたびに、
ちょっとずつ状況が変わるんですよね。
それで、何となく興味を持って、
何年か風景を撮っていたら、
アメリカの同時多発テロ事件が起きた。
- ──
- 9.11‥‥2001年。
- 兼子
- ちょうど長崎の友だちのお家に着いて、
荷を下ろしてリラックスしてたら、
テレビに、
貿易センタービルの映像が映りました。
- ──
- 日本では夜でしたよね。
- 兼子
- あのショッキングな映像を見たときに、
わたしは
長崎市の「グラウンド・ゼロ」を
撮らなければいけないって、
なんだか「強く」心に思ったんですよ。
- ──
- 強く。
- 兼子
- はい。
- これまで避けていたわけじゃないけど、
長崎を撮っているなら、
やはり原爆を避けては通れないなって。
- ──
- それまでは、何となく、好きな風景を
撮り続けてはきたけれども。
- 兼子
- そう、そういう気持ちになったんです。
- それからは、諫早湾や島原だけでなく、
長崎市で
原爆に関わる風景も撮るようになって。
被爆者の人たちも撮らせていただいて、
お話を聞いたりもしました。
- ──
- そうやって「テーマ」になっていった。
- 兼子
- 最終的に「ながさき問答」という
シリーズとしてまとめました。 - 2002年、
国立近代美術館の写真のグループ展で、
そのシリーズから
作品を出展させていただいたんです。
そこでひと区切りというか、
長崎を撮るというテーマは、
自分のなかでは、
いったん終わらせることができました。
- ──
- つまり、長崎の場合も、
90年代から2002年まで、続いた。 - そのときの作品は、
今も、どこかで見れたりするんですか。
- 兼子
- わたしのウェブサイトに載ってますよ。
- 当時の紆余曲折っていうか‥‥
すったもんだが写っていますね(笑)。
- ──
- こんど、見てみます。
- 兼子
- そのあとアメリカへ学びに行くんですが、
いったん日本へ戻ったときに、
また少しずつ撮ったりはしていましたが。 - 最終的に「これで、終わり」にしたのは、
2009年ですね。
長崎市立図書館で展覧会を開催しまして。
- ──
- 他方、そこまで大きなテーマにならずに、
途中で終わっているものも‥‥。
- 兼子
- あります。
- ──
- 何がちがうんでしょうね。それって。
- 兼子
- んー、明確な言葉にはならないけど‥‥
写真って、やっぱり、
自分はこれを撮るべきだという気持ちで
撮っているんですね。 - 誰かに頼まれて撮ってるわけじゃなくて。
- ──
- 自らの「意思」が出発点になってる。
- 兼子
- そうなんです。
誰にも頼まれないのに、やってるんです。
- ──
- 何か、突き動かすものがある?
- 兼子
- これは、このテーマは
中途半端に投げ出せない‥‥という思い、
なのかな。 - 自分の興味が持続しているかどうかは、
もちろん大切ですけれど。
本当はもう退屈なのに無理に撮れないし。
- ──
- ええ、そうでしょうね。
- 兼子
- この『APPEARANCE』については、
撮りはじめてすぐに
「いつか本にしてみたい」と強い思いが
生まれたんです。 - でも、2017年くらいかなあ、
けっこう撮りたまってきていたところで、
どうまとめていいかわからず、
ちょっと行き詰まってしまったんです。
- ──
- そうなんですか。
- 兼子
- そう‥‥行き詰まってるんです、いちど。
- そのとき信頼している方ふたりに相談し、
助けを借りたんです。
そのことで、
こんなふうにまとめていこうって方針が、
明確になって‥‥
こうして写真集にすることができました。
- ──
- なるほど。
- 兼子
- だからたぶん、何かが続くかどうかって、
自分の中のことだけじゃないのかな。
- ──
- やりはじめたのは自分だけど‥‥。
- 兼子
- そう、やっているうちに、続けるうちに、
まわりの人たちの助言や、
展示などの機会をいただいたり、
自分の「欲」が出てきたり‥‥
いろいろしながら、
気づいたら9年、続いていたという感じ。
- ──
- 写真家の人に顕著かなと思うんですけど、
作品づくりにあたって、
まず出版計画があってはじまるわけでは
ないことも多いじゃないですか。
- 兼子
- そうですね。
- ──
- まずは何年もかけて撮ったんです‥‥と。
- 雑誌の連載が写真集になりましたなんて、
幸福なケースっていうか。
- 兼子
- そうかも。
- ──
- どうなるかわからないのに、つくり出す。
その実行力が、すごいなあと思うんです。
- 兼子
- よくばりなのかもしれません。
- いつでも、被写体やテーマを
探しているようなところが、あるんです。
- ──
- 途中で終ってしまうものも、ありつつ。
- 兼子
- ええ。カリフォルニアで
ロードムービーのようなスナップ写真を
撮っていたんですが、
それは止まったまんまになっています。 - わたしの場合は、ふたつかみっつくらい
同時進行しているけど、
途中で抜け落ちていくものは、あります。
- ──
- でも「歌う人」は、残った。
- 兼子
- 残りました。
(つづきます)
2021-04-05-MON
-
9年以上にわたって
「歌う人」を撮り続けた兼子さんの作品集。
歌を歌っている人たちの表情は、
幸せそうであり、悲しげでもあり、
悩ましげであり、苦しげでもあり、
楽しそうであり、嬉しげでもあり。
インタビュー中、兼子さんは
「歌は、感情そのもの」と言っていますが、
まさに、そのようなことを感じます。
歌は写らない? でも、聴こえる気がする。
じっと見入ってしまう不思議さがあります。
じわじわ時間をかけて好きになってしまう、
そんな、やさしい引力を持ちます。
Amazonでのおもとめは、こちらから。