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エドワード・ホッパーという
アメリカの画家をご存知ですか?
1920年代から60年代にかけて活躍した
アメリカ絵画の巨匠のひとりです。
日本ではあまり知られていませんが、
最近発売された一冊
『エドワード・ホッパー 作品集』をきっかけに、
ホッパーの魅力にハマる人が増えています。
解説文を書かれたのは、
アメリカ視覚文化を研究する江崎聡子さん。
おそらくホッパーについて、
日本一詳しい方といっても過言ではありません。
ホッパーの絵は、なぜ人を惹きつけるのか?
理屈を超えたその「何か」について、
できるだけわかりやすく教えていただきました。
担当は「ほぼ日」の稲崎です。
江崎聡子(えざき・さとこ)
聖学院大学人文学部准教授。専門はアメリカ視覚文化、アメリカ美術、ジェンダー研究。
長野県生まれ。東京大学大学院博士課程単位修得満期退学(地域文化研究専攻)。共著に『描かれる他者、攪乱される自己──アート・表象・アイデンティティ』(2018年、ありな書房)、『ニューヨーク──錯乱する都市の夢と現実』(2017年、竹林舎)、『創られる歴史、発見される風景──アート・国家・ミソロジー』(2016年、ありな書房)などがある。
エドワード・ホッパー(Edward Hopper)
アメリカの画家。
1882年7月22日生、1967年5月15日没。
出身はニューヨーク州ナイアック。
20世紀のアメリカ絵画の巨匠のひとり。
アメリカの風景を切り取った作品が多く、
モチーフは建物や劇場、モーテルやガソリンスタンド、
室内から屋外まで、さまざまです。
トップの絵は代表作『夜更しの人々』(1942年製作)。
ニューヨークのホイットニー美術館では、
『エドワード・ホッパーのニューヨーク』が
2023年3月5日まで開催されています。
- ──
- きょうのお話をうかがって、
ホッパーの印象がまた変わりました。
かなり謎が多い人物ですよね。
- 江崎
- ホッパーはそのへん注意深くて、
やっぱり売れなきゃいけないってことで、
他の人に自分を深く理解してほしいなんて
まったく要求していないんです。 - むしろ事情をよく知らないキュレーターや学芸員に
平気で自分の展覧会を任せて、
「好きにやってくれ」って感じだったみたいで。
それで展覧会がヒットしたとしても、
何もいわずに黙って見てるタイプというか。
たぶん心の中ではいろいろあったと思いますけど。
- ──
- それを表に出すこともなく‥‥。
- 江崎
- 本の中でもすこし書きましたが、
ホッパー本人はこんなふうにいってます。
「私は自分のアイデンティティが
どのようなものなのかわからない。
批評家によってそれは与えられるものなんだ」って。
- ──
- 晩年はそういう考えだったんですね。
- 江崎
- 「俺ってなんなんだろう」みたいな。
そういうところまで来ちゃったみたいな。
- ──
- ちょっと後悔もあったんでしょうか。
- 江崎
- それでも成功したかったと思いますよ。
だって40歳過ぎまで売れないって、
画家としてはけっこう大変なことですから。
- ──
- その事実にもびっくりしました。
ホッパーってものすごく才能があって、
出るべくして出た人なのかなと思いきや‥‥。
- 江崎
- ぜんぜんそうではないです。
彼はほんとうに苦労した画家でした。
やっぱり売れない時代が長かった分、
批評家にウケる要素をかなり意識してますよね。 - 他のジャンルも同じだと思いますけど、
批評家や美術愛好家にウケなきゃいけないときって、
トレンドを押さえにいくじゃないですか。
そういうのをホッパーはすごく計算してますよね。
- ──
- それを別のいい方でいえば、
まわりの求めるものが理解できて、
それをちゃんと表現できたってことですよね。
- 江崎
- でも、それをつづけてるうちに、
ほんとうの自分がわからなくなってしまった。
- ──
- ほんとうに描きたかったのは、
フランスの印象派っぽいものですもんね。
- 江崎
- そうだったと思います。
ただ、あの『蒼い宵』が批判されて、
そういう意識もいっしょに
心の奥に閉じ込めてしまったんだと思います。
- ──
- でも、ちょっと力が抜けたからこそ、
それ以降の作品がよくなったとか、
きっとそういうことだってあり得ますよね。
- 江崎
- あるとは思います。
ホッパーの優れた技量は
「やりすぎない、そこで止める」という技で、
それが一見すると「力が抜けた」ように
見えるのかもしれません。 - 音楽もそうだと思うんですけど、
いまってデジタルで音をつくるので、
曲の中にいくらでも音を入れられます。
ライブでは再現できないような音を
スタジオでどんどん加えていくことができる。
でも、私の友人で音楽を研究してる人は、
「味付けがしつこい」ってよくいってます(笑)。
- ──
- それは、音を込めすぎだと?
- 江崎
- そう、込めすぎ。
ただ、それがいまの時代に
受け入れられているわけですけど。
- ──
- どんどん足し算して、
全部盛りにして出すみたいな。
- 江崎
- そうそう。
でも、ホッパーの場合は、
それとは逆の引き算の世界なんです。
- ──
- 「余白」をつくるというのは、
まさにそういうことですね。
- 江崎
- 余白をつくるために抑える。
その抑えることができるっていうのも技術だし、
ある種の才能だと思います。 - 絵が売れはじめたときに、
何かそういうものに
気づいたんじゃないかなと思いますね。
- ──
- 過去を吹っ切って、
そういう画家になったともいえますね。
- 江崎
- もちろんそれもあるでしょう。
私の論文を読んだ恩師は、
「ホッパーもとうとうアメリカ人になったんじゃない?」
という感想をおしゃってましたね。
- ──
- アメリカ人になった?
- 江崎
- アメリカって移民の国なので、
みんな何かしらのバックグラウンドがあるんです。
ホッパーの場合は祖父の代から
アメリカにはいたわけですけど、
どこかで同時代のアメリカに
馴染めない部分があったと思うんです。 - それがだんだん、だんだん、
自分の友達とか恋人とか家族をつくって、
そこで仕事もしていくうちに、
すこしずつアメリカ人になっていく。
みんなそういうプロセスをたどって、
アメリカという国を受け入れていくわけです。
- ──
- アメリカ人としての
アイデンティティを確立していったと。
- 江崎
- 折り合いをつけるところは折り合いをつけて、
自分を持っていなきゃいけない部分はそのまま持って。
だから、ホッパーも1930年代以降は、
もう折り合いがついていたかもしれないですね。
アメリカ人としての自分に。
どこかでフランスへのあこがれを抱きつつも。
- ──
- 時代的にはアメリカという国が力をつけて、
文化的にも自立していく頃ですよね。
- 江崎
- そうそう、そこに重なるんです。
アメリカって文化がない野蛮な国って
ずっといわれつづけていたけど、
20世紀の初頭あたりから、
逆にアメリカのシステムは素晴らしいから、
ヨーロッパや全世界に輸出していくべきだって、
そういう逆転現象が起こりはじめます。
そのくらい、この頃のアメリカ人は
自信をつけはじめていた時代といえます。
- ──
- アメリカの繁栄とホッパーの成功が、
ちょうど重なっていたわけですね。
- 江崎
- ホッパーは画家として苦悩はしたけど、
アメリカの繁栄といっしょに、
自分もアメリカの巨匠になっていったってことですね。
- ──
- きょうはありがとうございました。
すごくおもしろかったです。
ホッパーの絵がますます好きになりました。
- 江崎
- こちらこそありがとうございました。
こういう話ができてうれしいです。
- ──
- ホッパーのいたアメリカの近代美術にも
ちょっと興味が出てきました。
そのあたりのこともまた今度教えてください。
- 江崎
- もちろんです。
アメリカの近代美術って、
まだ日本ではほとんど研究されてない
空白地帯の分野なんです。
専門家でも「アメリカに美術あるの?」みたいに
思われているくらいですから。
- ──
- 不思議ですね。
ホッパーは有名なのに。
- 江崎
- 美術史の「正統派」から見たら、
ホッパーってちょっとマンガっぽいんでしょうね。
本格的なルネサンスの構図を用いたとか、
そういうものじゃないから。
- ──
- マンガっぽいというのは、
ちょっとわかりますね。
でも、だからこそというか。
- 江崎
- そうそう、そこなんですよね。
だから一般の人々の中にスッと溶け込める。
そうやってポピュラーカルチャーの中で、
ホッパーの絵はこれからも
受け入れられていくと思います。
(おわります)
© 2022 Heirs of Josephine N. Hopper/ ARS, NY / JASPER, Tokyo E5007
2022-12-17-SAT