ロゴで大事なコンセプトを伝えたり、
色で心をつかんだり、
字詰めや書体で何かを予感させたり。
デザイナーさんの仕事って、
実に不思議で、すごいと思うんです。
編集者として、
なんど助けられたか、わからないし。
でもみなさん、どんなことを考えて、
デザインしているんだろう‥‥?
そこのところを、
これまで聞いたことなかったんです。
そこでたっぷり、聞いてきました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>大島依提亜さんプロフィール

大島依提亜(おおしま・いであ)

栃木県生まれ。
映画のグラフィックを中心に、
展覧会広報物、ブックデザインなどを手がける。
主な仕事に、
映画
『シング・ストリート  未来へのうた』
『パターソン」『万引き家族』『サスペリア』
『アメリカン・アニマルズ』『真実』、
展覧会
「谷川俊太郎展」「ムーミン展」「高畑勲展」、
書籍
「鳥たち/よしもと ばなな」
「うれしいセーター/三國万里子」
「おたからサザエさん」
「へいわとせんそう/谷川俊太郎、Noritake」など。

大島依提亜さんのTwitterアカウント

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第3回 平準化を拒否する狂気、安定をおびやかす、ゆらぎ。

──
編集とデザインとで、
少しくらい意見が違っているほうが、
最終的な成果物が、
おもしろくなるような気がする‥‥。
大島
おそらく、対立している原因を探って、
齟齬を話し合い、解消していく過程で
うまれるものが、きっとあるんですよ。
障害物もなくスッスッと進みすぎると、
結局、
誰の心にも何にも残らなかったりして。

──
たしかに、心に残るような何かって、
初見では「何だこれ?」って、
違和感を抱くものだったりしますし。
大島
自分には「ない」ものだから、
最初は「拒否反応」なんでしょうね。
ちなみにですが、
編集の仕事の理想形のイメージって、
何かありますか?
──
理想形‥‥とは間逆ですが、
自分で自分の仕事のことを思うとき、
つい、まんまるにまとめすぎる、
きれいに仕上げすぎるところが、
よくないなあとはいつも思っていて。
大島
ああ、その感覚、ぼくにもあるかも。
──
時間を割いて読んでくださった人に、
何かしらの利益があったり、
役に立つ記事にしなきゃダメだって、
思いすぎているんですかね。
大島
なるほど。
──
それも大事だけど、それだけじゃなく、
こうやって話しているときに
ポンと出たような、
何とも得体の知れないような何かを、
そのまま出す‥‥みたいな、
そういう仕事には、憧れがありますね。

大島
その意味では、
祖父江(慎)さんのお仕事なんかを
拝見していると、
本当にかなわないと思いますよね。
もう、あそこまで‥‥
いわばエラーのようなところにまで
飛び込んでいくのって、
やっぱり才能だし、憧れちゃいます。
──
大島さんは、
祖父江さんとは、別のタイプですか。
大島
自分も、まとめちゃう気質なんです。
整合性を、無性に取りたくなる‥‥。
──
でも、あの石川直樹さんの
『世界を見に行く。』という本では、
そのあたりの
大島さんの気質がスパークしていて、
あれはあれで‥‥
常軌を逸しているような気が(笑)。
大島
異常なまでの細かさで、
整合性を取ろうとしてるんですよね。
で、そうすることで、
かえって気が狂ったように見えたり
するかもしれないぞと、
そう思ってつくっていました(笑)。
──
「狂気のまとめ」(笑)
大島
祖父江さんみたいにはなれないから、
こっちの道を行けば、
別のところに行き着けるかもって、
ある時期、
思っていたことはあるんですよね。
石川さんの本は、
まさにそういうムードでやってます。
──
そうだったんですか。へええ‥‥。
大島
とにかく、細かく突き詰めていって、
精密で理路整然とした方向に
突き進むんだけど、
いつの間にか、その度が過ぎて、
全体が
レールからすっかり外れちゃってる。
そんなイメージでつくりました。

──
なるほど‥‥おもしろいです。
逆に、わけのわからないものを、
極力整えず、
わけのわからないもののまま、
ポンと出しちゃうことって、
やっぱり、難しいんでしょうか。
大島
そうですね‥‥難しいとは思います。
でも、これ、答えになっているのか
わからないですけど、
いま『文芸小説トリッパー』という
文芸誌をやってるんですね。
──
ええ。
大島
そこで小説の挿絵を描いてもらう際、
商業的なイラストレーターさんに、
「現代美術っぽいことを、
やってみていただけませんか?」
というオーダーを、してみたんです。
──
それはつまり、あえて。
大島
そう、わざと縛りやルールを設定したら、
いい意味で「ヘンなもの」‥‥
これまで、見たことのないようなものが、
うまれるかもしれない、と。
──
ほおお‥‥。
大島
現代アーティストに負けないくらい、
商業イラストレーターたちの
狂気性みたいなものを、
常日ごろから感じたりしていたので。
──
イラストレーターさんの、狂気性?
大島
そう、ぼく、
イラストの学校でも教えてるんです。
そこに通ってくる学生たちって、
イラストレーター志望の‥‥つまり、
商業的にやりたい子たちなんだけど、
描いている絵が、
ものすごく「内なるもの」なんです。
──
そうなんですか。
大島
一見、そのままじゃ、
商業的な仕事はこないよ‥‥とかって
思うんだけど、
そんなこと言ったところで、
いいことなんか、ひとつもないんです。
いま、好きで描いてる絵は、
けっして商業的とは言えないんだけど、
絵のスキルは十分にあるし、
本人たちだって、いけしゃあしゃあと、
この絵で食いたいんですって。
──
おお。
大島
あのふてぶてしさ、
見てて頼もしいなあと思うんですよ。
ならば、その内なる表現を尊重して、
それが活きる場をつくれないか、
考えてみることはできないだろうか。

──
イラストレーターさんの、内なるもの。
若い人たちがもともと持っている、
そういう絵描きのとしての狂気性って、
ぼくらみたいな編集者が、
抑えつけちゃったりしてないかな‥‥
とは、思ったりもします。
大島
そんな気持ち悪い絵なんか描いてないで、
けなげでかわいい動物でも描いてごらん、
とか(笑)。
──
そこまで露骨に言わないにしても(笑)。
大島
もちろん「かわいい」で売れたら、
それはそれでいいことだとは思うけど、
反面、その人のもともと持っていた
絵描きとしての狂気性って、
殺されちゃう可能性もありますよね。
──
ものごとって「成熟」すればするほど、
平準化していくじゃないですか。
大島
うん。
──
ここにはこういうものがふさわしい、
みたいな思考法で、
仕事を「こなす」ようになって、
その「無難な枠」に、
絵でもイラストでも写真でも何でも、
当て嵌めちゃうようなことは、
やっぱり、つまんないことですよね。
大島
アートディレクションという仕事に
感じているおもしろみも、
そのあたりに、あると思っています。
──
と、言いますと?
大島
さっきの話みたいに、
たとえば、あえて自由を縛るような
依頼をしてみることで、
安定していたイラストレーターも、
ちょっとゆらぐんですよ、やっぱり。
──
違う筋肉を使った、みたいなことで。
大島
そう、で、その「ゆらぎ」のなかに、
新たな何かが宿ることがある。
──
へええ‥‥。
大島
これは、長嶋有さんの小説なんですが。

──
あ、『ジャージの二人』は読みました。
大島
この本の装画は、田幡浩一さんという
現代アーティストが描いています。
これ、最終的に、
表紙でオーダーした絵をカバーの絵に、
カバーでオーダーした絵を表紙の絵に、
つまり、
逆さまに使わせていただいたんです。
──
どうして、そんなことを?
大島
心のなかでは、表紙でお願いした絵を、
カバーにするつもりでいたんですが、
それを「表紙で」とお願いしたら、
よけいな力の抜けた、
軽やかな、いい感じになったんですね。
──
なんと。
大島
逆に「カバーを描くんだ」と思ったら、
多くのイラストレーターは、
ものすごーく気合を入れちゃうんです。
──
念のためですが「カバー」というのが、
書籍本体に巻かれているもので、
「表紙」が、通常は
「カバー」下に隠れている部分ですね。
大島
経験上、そういう傾向があったので、
このときは最初から、
心づもりとは逆に依頼してみました。
──
そうしたら、目論見どおりに?
大島
そうなんです。うまくハマりました。
これを「コントロール」と言ったら、
まったくおこがましいんですが。
──
ええ。
大島
そうやって、少し変な依頼をすると、
最終的な仕上がりが、
ぼくにも、描いてるご本人にも、
おどろくようなものになったりして。
──
安定化や平準化を拒む、狂気とゆらぎ。
大島
そういうものが、ときとして、
新しい魅力や価値を生むと思うんです。

(続きます)

2019-09-19-THU

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