1998年6月6日午前0時(バリ島時間)に
はじまった「ほぼ日刊イトイ新聞」も、
なんと、いつのまにやら25歳。
創刊25周年記念企画として、
糸井重里がほぼ日を進めるにあたって
大きな勇気をもらった本のひとつ
『会社はこれからどうなるのか』の著者、
経済学者の岩井克人先生にお越しいただきました。
岩井先生から見た「ほぼ日」ってどんな会社?
そもそも会社ってどういうもの?
乗組員たちみんなで真剣に聞いた
その日のお話を、全6回でご紹介します。

>岩井克人さんプロフィール

岩井克人(いわい・かつひと)

経済学者。
1947年生まれ。専門は経済理論。
東京大学経済学部卒業、
マサチューセッツ工科大学Ph.D.。
イェール大学助教授、東京大学助教授、
プリンストン大学客員準教授、
ペンシルベニア大学客員教授、
東京大学経済学部教授などを経て、
ベオグラード大学名誉博士、
神奈川大学特別招聘教授、
東京大学名誉教授、東京財団名誉研究員、
日本学士院会員、文化功労者。

著書に“Disequilibrium Dynamics”Yale U.P
『ヴェニスの承認の資本論』
『貨幣論』『二十一世紀の資本主義論』
(以上、筑摩書房)、
『会社はこれからどうなるのか』
『会社はだれのものか』(以上、平凡社)、
『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社)など。
“Disequilibrium Dynamics”で日経・経済図書文化賞受賞、
『貨幣論』でサントリー学芸賞、
『会社はこれからどうなるのか』で、
第二回小林秀雄賞を受賞。
ほぼ日の記事では、2003年に掲載の
「会社はこれからどうなるのか?」
(インタビュー)、
「続・会社はこれからどうなるのか?」
(糸井重里との対談)がある。

ほかにも2004年の
「智慧の実を食べよう2」に登場いただいたり、
2017年の株式会社ほぼ日の
上場後初の「株主ミーティング」で
基調講演をしていただいたりしました。

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3 お皿のようなことば。

岩井
「人でないものを人とみなす」発想って、
実は昔からあるんですね。
「法人」の起源っていろいろありますけど、
ひとつには、西欧中世の教会ですね。
この場では非常に大雑把な説明に
なりますけれども、
教会という人の集まった「組織」を、
キリストを魂とする「身体」と見なすわけです。
信者たちひとりひとりは、
その抽象的な身体の目であり、耳であり、
手であり、足であり‥‥といったように。
そうすると、たとえば教会の司祭や牧師は
ぐるぐる代わっていきますし、
そこに集う信者たちも変わっていきます。
だけど、キリストを信じる人々の精神は続いていく。
そして、教会がそういった
法人のような仕組みになっていると、
結果として、寄進された土地の扱いも
ずいぶんやりやすくなるわけです。
来世のために司祭や牧師に土地などを寄進しても、
彼らが死んだ後その土地がどうなるのか心配です。
でも、教会という法人に寄進すれば、
司祭や牧師が変わっても、
永久に教会の手元に残ってくれます。
糸井
ええ。
岩井
そんなふうに、最初は経済とは
関わりの薄い、いわば精神世界において
法人のような仕組みが使われていたんです。
ただ、それがどんどん発達していって、
「これは経済的に使えるんじゃないか」となり、
資本主義とつながっていくんですね。
最初は中世のギルド(同業者組合)などで
使われているんですけど、
そのうちにイタリアの貿易商人たちが
海外と遠隔地貿易をするために船団を組むとき
「船団そのものを法人として扱う」
といった例が出てくるんです。
そして、決定的なのは、
16世紀後半から17世紀はじめに
地球規模で遠隔地貿易をすすめていった
オランダやイギリスの「東インド会社」です。
ここで、現代的な意味での
株式会社が成立したと言われています。
「これは使えるんじゃないか」と
会社の仕組みがはじまったという。
そこから資本主義の発達につれて、
「法人」という制度は経済活動のなかに
どんどん浸透していくんですけど。

糸井
ぼくはキリスト教に詳しいわけではないですけど、
「教会がなかったら、きっといろんなことが
難しかったんだろうな」とは思うんです。
信心があれば──つまり、
「自分の真上に神様を想像すれば、
いつでも自分はつながれるんだ」という考え方は、
非常に純粋で、見事なものに思えます。
だけど、いつもそういうことが
できるわけではないというのも人間で。
「教会は腐敗のもと」といった歴史とか、
偶像崇拝のマイナス面とか、
そういった要素はもちろんあると思うんです。
だけど、
「それなしではできないよね」
っていう人間観。
やっぱり人はなにか、集まれる空間だとか、
必ず仲間がいるような場所とか、
そういった「時間と空間の限定された場所」で、
あることを思うものというか。
そのあたり、ぼくは若いときには
わからなかったんですけど。
岩井
私が理解できるようになったのも、
やっぱり年をとってきてからですね。
私はキリスト教とは無縁ですが、
プロテスタント的な
「神と直接つながる」といった見方に対して、
カトリックでは儀式などを重視しますから、
おそらく教会という場で、信者ひとりひとりが
「それぞれの役割を演じる」わけですね。
こういった「役割を演じるような人間観」って、
若い頃の私は、やや否定的に見ていたんです。
糸井
そうですか。
岩井
「役割を演じる」って、
封建的に見えるじゃないですか。
日本のかつての身分制度や家長制度が
そうでしたから。
ただ、私はいま76歳ですけれども、
これだけ年をとってくると、
「人間というのは、そのときどきで、
役割を演じる存在なんだろうな」
と思うようになりました。
「エージズム批判」とか言って、
年取っても、若く見せようとする文化が
世界中で拡がっています。
でも、人は必ず死にます。
若いときは若者として、子どものときは子ども、
て通過儀礼を経ると青年として認められ、
そのうち主人になり、家族を持ち、
引退して老人の役目をして‥‥という、
そういった役割を演じていくというのは、
人間の生き方として、
かなり本質的だと思うようになりました。
糸井
はぁー。
岩井
私がほぼ最初に書いたエッセイが
『ヴェニスの商人の資本論』というんですけど、
そこで引用しているシェークスピアのことばも
こういうものなんです。
「世界は舞台である。人間はその中で
単にそれぞれそのときの役割を演じるだけだ」
(「世界はすべて、これ舞台。あらゆる男女がその役者。
出番が来れば登場し、役目が終われば退場し、
生きてるあいだにいくつもの役廻りを演じていくのさ」)
糸井
ああ。
岩井
しかも「役割を演じる」というのは、
その役割に対して、
演じる本人が義務感や責任感を持つんですね。
「その役割にふさわしい責任を持って仕事をする」
ということが同時についてくるんです。
だから私は、年をとって
人間についての捉え方が変わりました。
昔は「権利」が大事だと思っていたんです。
だけど実は権利よりも「義務」だと。
人間というのは基本的に、義務を引き受ける存在。
義務が大事なんだと。
権利が成立するためには、必ずその裏に、
義務を引き受けてくれる存在がいるんです。
たとえば人権ということでも、
他の人がその人権を守る「義務」を
感じてくれなければ、意味がないんですね。
だから人間社会にとって義務というのは、
本質的だと思っているんです。
糸井
義務があるから、成り立つものがある。

岩井
ええ、そうなんです。
昔は前衛劇っていっぱい見ましたけど、
私にとっていちばんつまらなかったのが、
監督やディレクターが役者さんに
「個性を出してください」
と指示しているようなものですね。
やっぱりいちばん重要なのは、
役者が自分の個性を100%消して、役に徹すること。
役者が徹底して役(ロール)を演じる(プレイする)とき、
義務感が生じ、その演じ方のなかに
本当のその役者の個性が出てくる。
さきほどの文楽の話と同じですね。
映画でも、黒澤明とか、小津安二郎とか、
ヒッチコックなどもそうですけど、
ああいった非常に傑作を作る監督というのも
「役者に表面的な個性を出させない」と言うんですね。
そういう出方が、
私はいちばんおもしろいと思うんですね。
糸井
出てしまうもの。
岩井
はい。ですからたぶん会社の経営というのも、
経営者がそんなふうに、徹底して
自分の役割を演じて経営していく中に、
おもしろいものが生まれていくと思うんです。
そういった意味では、ほぼ日の行動指針としての
「やさしく、つよく、おもしろく。」
についても、
「そういう会社にしよう」と徹することによって、
そこに経営者なり、組織のなかで
実際に働いている人たちの個性が出てくる、
というようなことだと思いますね。
糸井
ああ、なるほど。
岩井
いま流行っていることばで
「パーパス経営」というものがあるんです。
目的を持った経営、ですね。
自社の存在意義を明確にし、
どのように社会に貢献するかを定め、
それを軸に事業をしていく、といった
経営のことですけど。
だけどこれもゴリゴリやると、
「金儲けの経営」とあまり変わらなくなるんです。
金儲けという目的が、別のものに変わっただけで、
それをどう効率的に実現していくか、
みたいなことになりかねませんから。
そのときたぶん、糸井さんが考えられた
「やさしく、つよく、おもしろく。」みたいな
ほぼ日の行動指針というのは、
はたらく人に目的や目標じゃなくて、
「場」を与えるものだと思うんです。
場がなくては人間は自由に動けないので、
その場を与えるという。
ですから、単なる「パーパス経営」とは
ずいぶん違う気がするんですね。
糸井
目的って「ないと見失う」ところは
もちろんありますけど、
「絶対にやらなければいけないこと」
みたいに決めてしまうと、
それこそ、普通に考えるとおかしなことすら
肯定されてしまうことがあるんですよね。
だけどそのとき
「あっちの方角」みたいに示すことであれば、
まったく差し支えがないんじゃないかと。
岩井
ええ。
糸井
もともと僕は自分がコピーライター出身ですから、
ことばで出すのが、本当は嫌だったんです。
ことばって、
「いらないものを削ぎ落とす役割」や
「行かせないための自由を奪う力」も
持ってますから、それが逆に自分たちの
自由を減らすことにもなりかねないと思って。
ですから会社をすすめていくにあたって、
「ことばにしてください」と言われるたびに、
ぐずぐずしながらごまかしてきたんです。
だけどそこでふと、
「目的のためのことば」じゃなくて、
なんでも載せられる
「お皿のようなことば」があるんじゃないか
と考えたのが、
「やさしく、つよく、おもしろく。」
だったんです。
岩井
「お皿」というのはいいことばですね。
「解くための目的」じゃなくて、
「お皿のようなことば」があるというのは
非常におもしろいです。
たぶんそういったあたりにも、
将来の「会社」というもののありかたの
方向性があるんじゃないかと思うんです。

(つづきます)

2023-06-08-THU

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  • 『会社はこれからどうなるのか』
    岩井克人 著

    2003年に刊行されて以来、
    多くの人に読みつがれきたベストセラー。
    「会社とはなにか?」を洗い直し、
    資本主義の変遷をおさらいしつつ、
    ポスト産業資本主義にふさわしい
    会社の仕組みについて考察したもの。
    一般の読者の方向けにやさしい言葉で
    書かれているものなので、
    じっくり読むとちゃんと理解できます。
    「なるほどー」とおもしろがっているうちに
    会社についての理解が深まります。
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    また、2023年3月には、
    この本を原作にしたビジネスマンガ
    『マンガ 会社はこれからどうなるのか』
    (マンガ・大舞キリコ、シナリオ・星井博文)
    も登場。
    人生の岐路に立った中年主人公とその家族が、
    本の中から飛び出した岩井先生に
    会社や働き方について教わっていく物語。
    あわせて読むと、岩井先生のお話が
    いっそう理解しやすくなります。