谷川俊太郎さんは
「ほぼ日の學校」の用務員さんの役を
かって出てくださいました。
用務員さんのいるところは、糸井重里が
ひと休みしたくなったときに立ち寄る場所です。
きっと学ぶみなさんも訪れていい場所です。
ほら、おしゃべりが聞こえてきます。
なんだか今回はふたりして、
「勉強してこなかった自慢」をしているようです。
もれ聞こえる90歳と73歳の声に耳をかたむけ、
みなさんもどうぞすこし、休憩していってください。

このおしゃべりの
動画編集バージョンを見たい方は、ぜひ
ほぼ日の學校」でごらんください。
このテキストバージョンには
入り切らなかったものも収録されています。

絵:早瀬とび

>谷川俊太郎さんについて

谷川俊太郎さん(たにかわ しゅんたろう)

1931年生まれ。詩人。
「朝のリレー」「二十億光年の孤独」
「いるか」「みみをすます」「生きる」など、
数千篇におよぶ詩作品や、レオ・レオニ作『スイミー』、
スヌーピーでおなじみ「ピーナツブックス」シリーズ、
『マザー・グースのうた』などの翻訳、
そして、テレビアニメの「鉄腕アトム」主題歌や
「月火水木金土日のうた」などの作詞も手がける。
現代を代表する詩人のひとり。

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第1回 「みんなといっしょに」が苦手。

谷川
ここ、用務員室って設定なの? 
じゃ、やっぱりぼくは
用務員にならなきゃいけないわけね。
用務員の演技は、しなくていい?
糸井
演技は、いいです(笑)。
谷川
そうなんだ。
糸井
谷川さん、
芝居をしたがるとは思わなかったです。
でも、こういうことを理由にして、
また谷川さんに会えてうれしいな。
こんなふうに日あたりもよく、
気持ちがポカポカします。
谷川
でしょ。
向こうに仕事部屋があるんだけど、
そっちは北向きでね、ダメなんです。
ぼくもつい、いつもこの部屋に来ちゃう。
糸井
湯気もいい感じであがってます。
ほぼ日
湯気もカメラに映ってます。

糸井
なんか‥‥神格化しやすくなりますよ(笑)。
谷川
神格化。やめてよ(笑)!
ほぼ日
後光もさしています。
糸井
天の岩戸から出てきた人みたいに見えます。
改めてまして、用務員室の谷川さん、
おかげさまで、かつてご相談に来て
「やります」と言っていた
ほぼ日の學校が、なんとか軌道に乗りました。
谷川
動いてるわけだね。
糸井
ローギヤで、いい感じで動き出しています。
谷川
いいですねぇ。
糸井
ほぼ日の學校は、まだまだ、
「すべての人が知っている」という
状態ではありません。
でも、やっているうちに
「あ、もっとできる!」
みたいに見えてきまして、
自分で思った以上にうまくいっています。
谷川
なるほど。
生徒もちゃんと来るわけね。
糸井
来ないです。
谷川
えっ、来ないんですか。
来なくても、學校はうまくいってるんですか。
まぁ、まだコロナがおさまってないし。
糸井
生徒が集まる集まらないということより先に、
いまは「こういうことしたいんだよね」が、
とてもうまくいってると思っています。
谷川
あ、なるほど。それはいいですね。
糸井
はい。そんなに焦ってやらなくてもいい。
いま得たいい授業の「実」は、
なくなっちゃうわけじゃないんで。
谷川
うん、そうですね。
糸井
谷川さんはすでに學校の授業を
ひとつ受け持ってくださいましたが、最初に、
「ぼくは学校が好きじゃなかった。
どうして先生を頼むの?」
と、おっしゃいました。
「ほぼ日の學校」はまさしく、そういう人たちが
先生になってくれるという場所になりました。
谷川
それはうれしいです。
糸井
おそらく先生たち自身が
全部をわからないままに
走っている感じもあります。
成り行きまかせなかんじで。
谷川
おお、いいですね。
われわれの時代は、
先生が全部「わかっているつもり」の
ふうだったから。
成り行きにまかせるっていうのも
とてもいい。
昔の教育は、教科書がちゃんとある、
管理教育をやっていました。
「何でもアリ」ってのは
難しいことですよ。
糸井
難しいです。
谷川さんは
「何か役はもらってもいいけど先生はやだ」
「じゃあ用務員室をやろう」
と言ってくださって、
その自由さにとても助けられました。
谷川
ご存知のとおり、ぼくはもともと、
学校があまり好きじゃない子どもだったからね。
基本的に
「みんなと一緒に」
ということがまず、ダメだったんですよ。
ぼくはひとりっ子できょうだいがいない、
だから「みんなでやる」ということに
慣れてなかったのね。
3年生ぐらいまではけっこう優等生で、
うまく同調してたんだけれども、内心は、
「ほんとはひとりでいたい」
という気持ちがつねにありました。
糸井
でもぼくらが知ってる谷川さんは、
その一面だけではありませんよね。
まわりの人たちと、距離感を保ちつつ
楽しくやってるお姿を
ずいぶん拝見している気が‥‥。
谷川
そういう面はもちろんあります。
まわりとたのしくやってるときは教育のように
「上から何かが降ってくる」んじゃなくて
自ら何かをやろうとしているのです。
自分からやる場合は「みんなといっしょに」でも
ずいぶんおもしろいんですよ。
でも教育って、なんだか、
「決まったもの」が来るわけでしょ、
しかもそれを、そのとおりにやらなきゃならない。
糸井
とくに昔は
「整列して行進」みたいな雰囲気でしたし。
谷川
そうそう。しかも公立の学校は、
担任の先生が年ごとに変わっていくのね。
好きな先生もいたし、
イヤな先生もいたりなんかして、
子ども心にそういうことも、
すごくめんどくさかったですね。
糸井
ほんとうはそれ、
みんなが思っていることでしょうね。
谷川
そう思う。
当時のぼくがそれを
口に出して「言えてた」ということは、
それだけ自由な家庭に
育ってたんだなと思いました。
糸井
だいたいの親は
「文句言うんじゃない」って言いましたね。
谷川
そうそう、そうだと思う。

(明日につづきます)

2022-07-04-MON

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