この写真家にインタビューできなければ、
この現代写真家インタビュー連載には、
決定的な「欠け」があると思っていました。
なのに、長らくできなかったのは、
その作風のせいか、
勝手に「怖い人」というか、厳しい人、
激しい人じゃないかと思っていたからです。
実際の大橋さんは、
自分の欲求に対して真摯で真面目で、
人間や生命の不思議や謎を探り続けている
少年探検家のようでした。
センセーショナルな写真集で
世間を賑わせている側面ばかり見ていては、
「大橋さんの写真」のことを、
理解しきれないままだったろうと思います。
全7回、担当はほぼ日の奥野です。

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第7回 それでも撮るのはやめない。

──
大橋さんの実家が
怪獣みたいな重機で破壊されていく写真、
あれを見てたら、
自分の実家のことも想像してしまって。
何ていうか、異様にドキドキしたんです。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

大橋
この写真集の底に流れている軸のひとつ、
それは
「時間」を目に見えるようにしたかった、
ということなんです。
──
ああー、なるほど。そうか。だからかも。
時間の流れというものには、
たしかにドキドキさせられっぱなしです。
その後、空き地になった土地に、
誰かの家が建ったりとかしてましたしね。
大橋
まさしく実家が壊されていく瞬間に、
自分の中では、
おふくろの面影が見えていたんです。
──
黄金のパンティとともに。
大橋
そう。死んだものといま生きているもの。
壊されゆく実家と、現役の舞い降るパンティ。
そこに「時間をとらえる」ということも、
試みたことのひとつです。
──
なるほど。
大橋
うちのお母ちゃんって、
4回結婚してるんですよ。
左は、4回目の最後の旦那さんで、
親類の結婚の結納の日に正装してる姿を
ぼくが撮った写真ですけど、
このときは、
だから‥‥もう50歳くらいなのかな。

大橋仁『目のまえのつづき』より 大橋仁『目のまえのつづき』より

──
ええ。
大橋
で、こっちが死ぬ3か月くらい前の写真。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
つまり、対比しているというわけですね。
数十年の時を超えて、
ほぼ同じ場所、ほぼ同じ構図なんだけど、
時間だけは確実に進んでる。容赦なく。
大橋
そう、その「時間の流れ」というものが、
人間にとっての不思議のひとつ、
だということも、ぼくも感じています。
奥野さんも、
さっきソール・ライターの写真のことを
おっしゃってましたけど、
時間の概念って、
どうとらえればいいのかな‥‥みたいな。
──
はい。めっちゃ共感します。不思議です。
大橋
こうして年をとっていく感覚もそうだし、
死んでいくこともそう。秒刻みで
人生は進んでいって、細胞は壊れていく。
生きているこの瞬間の真横に、
人間が死んで動かなくなる瞬間が、ある。
あんなにも笑ってた人が、笑わなくなる。
人間の感情さえも、時間で変わっていく。
目には見えないけど、
どこかからどこかへと確実に流れていく、
そういう時間の中に、
ぼくらの感情とか感覚は存在してる。
──
そういう全体に不思議を感じている。
そして、それらを、捉えようとしている。
写真で、写真集で。
4作目の最後のパートって、
車を運転しているドライバーたちですが、
あれも、すごく不思議でした。
大橋
あ、そうですか。
──
もちろん大橋さんの中には、
確固たる流れや必然性があると思います。
でも、運転手の顔を拡大しているような、
粒子も荒くてピントも来てない、
そういう写真の連続に、
最初は、かなりの「唐突」を感じまして。
大橋
なるほど。
──
でも、なぜか目を離せない感じもあって。
大橋
あのドライバーたちは、
まるで、あの世の世界の人たちにも見える。
生きた幽霊を見るような、
人という存在じたいが幻なんだと思わせる、
不思議な空気感がある。
それはこの写真集を貫いている感覚なんですが、
人の存在の不思議さ、儚さ、
それゆえの愛しさ、おもしろさ。
「人とはなんなんだ、人間はどこへ行く?」
という
問いかけが浮かんでくる写真だと思っています。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
徹底的に「無防備」ですよね。表情からして。
大橋
自分の中では、3冊目の
『そこにすわろうとおもう』の続き、
みたいな感覚もあります。
カメラというものを意識してない人間が
どういう姿をしているのか。
「ハイ、撮りますよ」と言われていない、
素の状態の人間を撮りたいと
いつも思ってはいるのですが。
──
あー‥‥3作目もそうだった、んですね。
大橋
はい。あれだけの人数の男女が
入り乱れての「肉弾戦」をやってると、
個々の人間も、
ぐわわーっとひとつの肉団子みたいに
なっていくんです。
そのときはみんな、
撮影のことなんて忘れてるんですよね。
無我の境地みたいな状態の人間の姿、
それを撮りたかったし、
その肉の渦の中に一人で飛び込みたかった。
そこにこそ、ぼくは、
人間という生きものの本当の姿が現れると思いました。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
それが、あの‥‥この先、絶対に
誰も同じようなことをしないであろう
3冊目をつくった動機。
大橋
撮りますよと言った瞬間、何かが変わる。
お互いの関係性も出ちゃう。
もちろん、そのよさもあるんですけど、
「人間の本当の姿」を撮るには‥‥
と考えて、つくった写真集だったんです。
今回のドライバーたちの写真も同じです。
これ、すれちがう瞬間に、
望遠レンズで、バババって連射で撮ってるんです。
──
いつもとぜんぜんちがう撮り方ですよね。
使っているレンズとかにしても。
大橋
もうね、何を撮ってるのかも、
何が写ってるかも、正直わかんないです。
ただババババーっと押してただけだから。
そこに残ったものが、これなんだけど、
この名前も知らない人たちが、
たしかに存在した記録であり、
正真正銘の人間の姿であり、
ぼくにとっての決定的瞬間でもあるんです。
──
おお。
大橋
顔もわからないほどぼんやりした写真で、
この人たちは
写ってることじたい知らない、
撮られることにたいして無意識の状態なわけだけど、
このとき、
たしかにこういう感情があった、
こういう表情をしていたっていうことを、
ぼくは、写真にして残したかった。
そして写し出されていた人々の
生き生きとした表情に驚きましたし、感動もしました。
逆に、このときの感情や表情や瞬間が
どこにも残ることなく、誰も見ることなく、
この世界から消えてなくなってしまうと思ったら、
やっぱり、ぼくは悲しいです。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
決定的瞬間ですね、まぎれもなく。
残したい瞬間ってことは。
大橋
だって、この瞬間の、この自然な表情。
カメラや撮影を意識していない、
これぞ純粋にナチュラルな表情だから。
──
人間の、そういう表情を残したい?
大橋
撮りたいし、残したいです。
これを残すことこそが
写真のひとつの役割だと思うんです。
人の無意識に宿るものに、
強い刺激を感じるんです。
──
有名人著名人のポートレートでもなく、
神々しい大自然の姿でもなく、
名もなき人々の、
ふつうの表情を残すことが写真の役割。
大橋
だって、こういう顔してって言っても、
こんな表情、絶対にできないんですよ。
──
ええ。
大橋
こんな自然でこんないい笑顔、ないよ。
これなんかきっと、息子さんが
お母さんを
ドライブへ連れてってあげてるのかな。
配達中のお兄さんだって、
何だか、すごく人間らしいんですよね。
──
まさか『そこにすわろうとおもう』と、
つながっているとは思いませんでした。
でも、納得しました。
大橋
3冊目の数百人の真っ裸の男女も、
4冊目のドライバーたちも、
撮られている意識がない、無意識の状態なので、
自意識を出してかっこつけたりとかしてない、
真実の姿。
この素晴らしさを伝えたいし、残したい。
ほら、見て、この自然な笑顔。
レンズをバッチリ見て意識してる人もいいけど、
撮られていることを意識していない状態の人は、
本当に美しい。
理屈ではなく、無意識の衝動で、
いままでもこれからも、
ぼくは写真を撮るのだと思います。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
はい。
大橋
今日、最初のところで奥野さんに
「4冊目を見たら、
それまでの3作をより理解できるようになった」
と言ってもらえたことは、
大げさじゃなくて、すごくうれしかったんです。
本当に3冊目までは、
かなりセンセーショナルなものを撮ってきてて、
でも、この4冊目で、
自分なりに
母の死や己の性癖を交えた生命の記憶について
見つめてみようと試みたんですが、
画(え)的には地味に見えるかもしれなくて、
まったく反応ないんです。さっきも言ったけど。
──
ええ。
大橋
ぼくの写真への期待って、
センセーショナルなものだけだったのかなって、
思っちゃったりとかしてる。
いままで「大橋さんの写真が好きなんです」と
言ってくれていた人たちの、
その「好き」って、
センセーショナルだったからなのか、
作品の根底に流れているものに共感してくれたのか、
正直そのあたりが、本当に気になりましたね。
そのくらいの絶望がある。
だって、在庫の山が岩のごとく動いてないんで。
──
であればなおさら、4冊目を手にとってほしい。
この4冊目って、
前の3冊の解説本でもあるような気がするので、
これ言うのもう何回目かわからないけど、
これまでの3冊を見たことある人は、
4冊目を見て、あらためて前の3作品を見たら、
ちがって見える気がします。
なぜなら、他ならぬ、ぼくがそうだったんです。
大橋
つねに最新作が自分の集大成だと思ってるんで、
そう言ってもらえると、救われます。
で、5冊目は、さらにその集大成になるんです。
必ず「更新」されていくものだから。
──
新しい写真集が出るたびに、
過去の作品の見え方や意味合いや位置づけが
微妙に変わっていくのも、おもしろいですね。
大橋
ただ、いま言ったような状態なんで、
写真集というものは、
将来的には消えていくしかないのかなって、
悲観することが多くて。最近は。
──
でも、現存する古い本でいうと、
何百年前の『新古今和歌集』の写しとかが
東京国立博物館にありますけど、
あの本を、リアルタイムで読んでた人って、
ほとんどいないじゃないですか。
でも、「本」という物体だったからこそ、
どの時代の人にも「残したいもの」と思われて、
結果いま、多くの人に知られてますよね。
だから、紙の本にすることには、
大きな意味があると、ぼくは思っているんです。
大橋
でも、つくり手としては
ゴッホの人生がいちばん悲しいんですよ。
──
ああ‥‥ドレスコーズも歌ってますしね。
大橋
あんな悲しい人生って、ある?
あれほど才能にあふれた人が、
生きているときはたった1枚しか売れなくて、
絶望して自殺したあとに認められて、
大人気になって、
何百億になるって、そんな悲劇ありますかと。
──
たしかに。
大橋
もちろんゴッホ自身には、
絵を描くことの快感や幸福感って
たくさんあったと思うんです。
でも、同じつくり手としてあえて言うと、
作家としては、最悪の人生だと思うんですよ。
ゴッホの才能をうらやましがる人って、
世界中にいるけど、
でも、ゴッホ自身が、
あの世で自分の人生を振り返ったときに
「こんな悲惨な人生ない」って、思うと思う。
──
ああ‥‥。本人の気持ちになってみれば。
大橋
どうして、俺が生きているときに‥‥って。
しかも落差が激しすぎるじゃないですか。
最後は精神の病院に自ら入っていって、
行き倒れ同然みたいにして死んでった人が、
死んじゃったあと、世界中で尊ばれて。
──
いまやゴッホがあれだけ憧れた日本でも、
何年かおきに個展が開かれてるわけですし。
大橋
もちろん自分はゴッホほどの才能はないけど、
4冊目は生前まったく売れなくて、
いまわの際に「悔しい」と、
大橋さんはそう言って死んでいきましたとか、
そんなん嫌なんですよ。
──
どうすればいいんでしょうか。
大橋
わからない。わからないけど、
こうやって、誰かに話を聞いてもらうことで、
少しずつ少しずつ、
わかってもらえるようになったらと思います。
──
撮るのはやめない、ですか。
大橋
やめないです。大橋仁が何をするのか、
どうなって行くのか、興味があるんです。
衝動さえも枯れ果ててしまったときには、
本当に、自分が終わるときだと思うから。

(終わります)

2024-11-13-WED

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  • 大橋仁さん最新写真集『はじめて あった』

    荒木経惟さんをして
    「これが現代アートだ」と言わしめた作品
    『そこにすわろうとおもう』から10年、
    大橋仁さんが
    「過去の3作品とくらべて、自分の頭の中、
    脳細胞やメンタルやDNA、
    生命の記憶の領域へ足を踏み入れてる感じ」
    と位置づける第4作。
    写っているのは金のパンティとコガネムシ。
    (もちろん、それだけではありませんが)
    このインタビューを読んで、
    もし「大橋仁」という写真家、
    というか「人間」に興味を持たれましたら、
    ぜひ、手にとってみてください。
    みなさんの感想を、聞いてみたいです。
    販売サイトは、こちらです。