この写真家にインタビューできなければ、
この現代写真家インタビュー連載には、
決定的な「欠け」があると思っていました。
なのに、長らくできなかったのは、
その作風のせいか、
勝手に「怖い人」というか、厳しい人、
激しい人じゃないかと思っていたからです。
実際の大橋さんは、
自分の欲求に対して真摯で真面目で、
人間や生命の不思議や謎を探り続けている
少年探検家のようでした。
センセーショナルな写真集で
世間を賑わせている側面ばかり見ていては、
「大橋さんの写真」のことを、
理解しきれないままだったろうと思います。
全7回、担当はほぼ日の奥野です。

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第6回 謎を探り続けている感覚。

──
大橋さんは「人間」というものを撮ってきた、
という感じがするんですけど、
「人間」って、どういう存在だと思いますか。
大橋
得体が知れないですね。まったくの謎。
──
撮っても撮っても、わからない?
大橋
撮っても撮っても、謎でしかないんですよ。
無限に広がる宇宙みたいな感じ。
だから、欲望が湧いてきて、尽きなくて、
もっともっと「見たくなる」んでしょうね。
ぜんぶが不思議なんです。
こうやって、自分が生きてることも含めて。
生命が生まれることも、
それが燃えることも、いつか死ぬことも、
考えれば考えるほど、恐ろしいほど不思議。
──
そんなに、ですか。
大橋
自分は「人間を知りたい」と思うと、
まずは己のしょうもなさを詳らかに理解して、
出来るだけ正直に
表現しなきゃいけないと思ってます。
他人のことなんか、何にもわからないし。
そのためにまずは、自分をちゃんと見ないと。
そうじゃなかったら、他人なんか見れない気がします。
人間を撮るということは、
ぼくにとっては、
謎に向かってレンズを向けてるってことです。
ずっと「探ってる」っていう感覚なんです。
──
レンズの向こうを、探ってる。
それは‥‥撮れば撮るほど、謎が深まりそう。
最初の生命って、深い深い海の底の
300度くらいの熱泉が湧き出てるところから
生まれたそうなんです。
つまり、現生生物が死に絶えてしまうほどの
エネルギーのカタマリみたいなところでしか
「生命のかけら」は生まれなかった。
そこから、長い長〜い時間をかけて進化して、
こうして人間にまでなって、
言葉を発明して、文明をかたちづくって、
国家や社会や法律を整えて、
カメラも発明して、
「写真って」とか話しているのを想像すると、
とんでもないことですよね。
大橋
本当ですよ。
──
最初は、300度の熱泉に翻弄される、
単なる「兆し」にすぎなかった者たちが今や。
大橋
自分にとってパンティってなんだ‥‥とかね。
そんなことをぐるぐる考えてる。
宇宙も不思議ですよね。
ダークマターって見えない物質があるんだとか。
爆発してうまれたこの果てしない宇宙が、
とんでもない長い時間を経たら、
またいつか暗黒に戻るっていうんですよ。
宇宙は、それを繰り返してるだけだって。
──
一瞬の熱い爆発と、長く冷たい静寂。
大橋
そうです。とんでもなく一瞬の熱い爆発と、
とんでもなく長くて冷たい静寂。
その繰り返しのなかで、
たまたまわれわれが今日こうして出会って、
宇宙って何だっけとか話してる。
もうね、わけがわからないんですわ、正直。
──
ははは、はい。ぼくもです。
大橋
だから、この目の前のとんでもない状況を
とにかく感じて、焼きつけて、
自分の欲望を満たそうとしてるのかなあ。
写真を撮って、写真集を出すってことは。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
大橋さんの4冊目の写真集を、
いま生きている人間として
見ることができてよかったなと思うんです。
何度も言いますが、4冊目を見たことで、
これまでの大橋さんの写真集のことも、
もっとよくわかったような気がしますし。
大橋
本当にうれしいな。
──
でも、写真集みたいに、
そもそもつくりあげることが大変なものを、
大橋さんみたいにつくっていたら
「ぜんぶ売れても大赤字」
みたいな可能性も大いにあるわけですよね。
大橋さんにとって、
お金ってどんなものだって思っていますか。
大橋
ぼくは独り身なんで、
自分がなるべく自由に行動できるぶんだけ
あればいいもの、です。
撮りたいときに撮りたいものを撮れる、
そのための機材がある、
移動するための電車賃がある、
腹が減ったら何か食べることができる、
そのうえで、
写真集を出すために必要なぶんが残ってる。
それだけあれば十分で、
それ以上ほしい気持ちはあんまりないです。
──
こうやって、しっかりしたつくりの、
重量感のある写真集なわけじゃないですか。
もちろんですが、手にした人は、
なかなか捨てられるような本じゃないです。
つまり、これから先も、
大橋さんがこの世からいなくなってからも、
ずっと残っていく本だと思います。
大橋
自分の作品を後世に残したいとか、
そう思ってやってるわけではないんですが、
でも、簡単に消えてほしくもない。
だから、こうやって
ハードカバーの頑丈な本をつくりたいって
思ってるのかも。
言ってることに矛盾があるかもですけど。
──
100年後の人に見てほしい、
みたいな気持ちでは、やってないんですか。
大橋
正直、そこまで長い視点は持ってないです。
ただ、出すからには見てほしい。感じてほしい。
すぐ消えてしまうものにはしたくないです。
ぼくは、自分をふくめた世の中の人たちが、
ゴシップ記事とかワイドショーを
見たくなる気持ちも当然わかるんです。
でも、本来、人間がいちばん気になるのは、
「自分のこと」だと思うんです。
──
ああ‥‥なるほど。たしかに。
大橋
ぼくは、写真集をつくることをつうじて、
自分のことを知ろうとしてるし、
表現とは己の暴露だと思っているんです。
己の暴露の中にこそ、
その人の真の個性、おかしさや、悲しさ、
希望、絶望、ぜんぶ入ってる。
──
まったく同じことを原一男監督も言ってたなあ。
自分がドキュメンタリーを撮ってるのは
突き詰めれば自分のことを知りたいからだって。
大橋
ただそれは、己の恥部をさらせばいい‥‥
ということでは決してなく、
白い紙に一本の線を書いただけの表現にも、
「己の暴露」は現れると思うんです。
──
わかります。
それこそが、マーク・ロスコや
サイ・トゥオンブリーの抽象絵画の前で
時間を忘れてしまう理由だと思います。
大橋
暴露系ユーチューバー?
あれって他人のことを勝手に暴露してるんでしょ?
そうじゃない。自分の暴露がほしいんです。
それがいちばんおもしろいじゃないですか。
いまの世の中は逆で、
自分のことを
ぜんぜん見ていないような人が増えているように
感じてしまいますね。
──
SNSとかに取り憑かれちゃったりした場合、
そうかもしれないですね。
大橋
他人からどう思われるかばっかりが
気になっちゃってね。
自分のことを見てないっていうか。
ひとつの原因は、自分のことを考えることって、
冴えない現実ばかり突きつけられて結局辛いし、
めんどくさい作業に
なっちゃうからなんだと思うんです。
何も考えずに
他人のことを笑ったり怒ったりしているほうが、
簡単に楽しめるから。
──
はい。
大橋
でも、本当は誰しも、
自分のことがいちばん気になるし、
いちばん大切なはず。
自分のことに、
いちばん興味を持ってなきゃいけないと、
めんどくささの壁を一歩乗り越えて、
ちょっとだけ自分のことを掘ってみると、
やっぱり
自分のことががいちばんおもしろいんじゃないかと、
ぼくは思ってるんです。
──
大いなる謎ですもんね‥‥自分って。
大橋
自分の生命に興味を失っているのかなあ。
インターネットの画面にあふれる情報に
翻弄されて、
うわべの世界で踊り続けているみたいな。
自分の生命の根源に
目を向けられない時代だったら悲しいな。
この写真集を出したときも
ある編集者に
「大橋さんの写真て、
どうせまた死ぬとか生きるとかばっかでしょ」
って言われたんです。
「言われてみりゃそうだな」って(笑)。
──
でも、そこがいちばんの関心事だから。
大橋
そう。逆に言えば、生と死という二極が
否応もなくハッキリ存在してるから、
その間にあるグラデーションのすべてが、
おもしろくなると思うんです。
生と死の存在を軽んじれば、
そのグラデーションを感じる感覚も緩くなる。
生と死はあらゆることの基本で、
究極の刺激を与えるものだと、思っています。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
ぼくは、大橋さんの写真を見て、
自分が何を思ったか、
何を感じたか、何を考えたかってことが
大事じゃないかなと思うんです。
大橋
それって、自分を見るってことですよね。
そのきっかけになったら、うれしいけど。
──
美術館に通っていて楽しみにしているのは、
ゴッホにしたって、
有名な《ひまわり》1枚だけじゃなくて、
他に何十枚も見たら、
「あ、こういうことをしたかったのかな」
って、素人ながらも、
何かわかるときがくるかもしれないないな、
ということなんです。
その意味で、大橋さんの写真集も、
4作目まで来て、
過去の作品がよりわかったし、
より輝き出したっていう感じがしてます。
大橋
そこ、カットしないで書いてほしい。
──
次はどんなものを出してくるだろうって、
楽しみな表現者のひとりなんです。
大橋さんといえば、
センセーショナルなイメージばっかりで
語られがちですけど、
やっぱり、真摯に、まっすぐに
人間を地べたで見つめてきた人なんだなと、
今日、お話してわかりました。
大橋
ちょっと聞いてみたいんですけど、
奥野さんにとって、写真って何ですか。
──
奇跡のようなもの、ですかね‥‥。
大橋
奇跡。
──
大橋さんが、「生命」に感じている感覚と、
似ているかもしれないです。不思議。
ソール・ライターの展示で見た写真ですが、
たぶん家の近所の‥‥つまり
ニューヨークとかのシャツ屋さんの店先に、
きれいに折り畳まれた
襟つきの白いシャツが飾られてるんですね。
もう70年前とかの写真ですけど。
大橋
ええ。
──
この白シャツは、このあと誰かに買われて、
何年かわからないけど着られて、
そのうち着られなくなって、
タンスで眠らされて、そのうち捨てられて、
ごみ焼却所で燃やされて、
着ていた人ともども、
もう、この世には存在しないんだろうなと。
でも、写真には残ってる。
しかもいま言った長い旅路に出る前の姿で、
残ってる。その奇跡、その不思議。
大橋
なるほど。
──
70年前の光で撮られた白いシャツを、
70年後のぼくが、
今現在の光のもとで見てるわけです。
時空をワープするような感覚も不思議だし、
そういう機械をつくろうと思った、
ニエプスさんからはじまる、
人間の気持ちも奇跡的だなって思ってます。
大橋
ああ‥‥。
──
そんなふうに感じて以来、写真というものに、
抗いがたい魅力を感じるようになったんです。
はるか遠い宇宙の星を見ているかのような。
70光年先の星って、
70年前の姿を、いま見ているわけですよね。
それと同じような、
魔法にかけられたような、
足元をすくわれるような感覚です。
大橋
ロバート・キャパやロバート・フランクが、
路上の人たちをいっぱい撮って、
その時代時代の一瞬の風景を残してくれた。
何十年後かのあとのぼくらは、
彼らの写真を通じて、当時のことを知る。
「こういう時代だったんだ。
こういう人たちが生きてたんだ」って知る。
そう思うと、すごく重要なものなんだけど、
いまのスマホの時代に、
自分が写真を撮る意味がどこにあるんだと、
ふと思っちゃうこともあって。
──
大橋さんには、撮ってほしいですね。
大橋
「自分が撮ることに、何の意味があるんだ?」
「別に俺が撮んなくたって、いいじゃねえか」
みたいな。
──
無責任なことは言えないんですけど、
写真家がいなくなったら、
100年後の人が困っちゃうと思うんですよ。
100年前の姿がわかんなくなるから。
大橋
でも、スマホがありますよね?
──
デジタルデータである以上、
それが本当に「本当の姿」かどうかって、
信用しきれないと思うんです。
道端の風景なんか、AIで生成できるし。
でも、「大橋仁」という写真家が残した
写真なら「本物だ」と信じられる。
そこには、かつて生きた人間たちの
本当の姿が写ってると信じられると思う。
大橋
ありがとうございます。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

(つづきます)

2024-11-12-TUE

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  • 大橋仁さん最新写真集『はじめて あった』

    荒木経惟さんをして
    「これが現代アートだ」と言わしめた作品
    『そこにすわろうとおもう』から10年、
    大橋仁さんが
    「過去の3作品とくらべて、自分の頭の中、
    脳細胞やメンタルやDNA、
    生命の記憶の領域へ足を踏み入れてる感じ」
    と位置づける第4作。
    写っているのは金のパンティとコガネムシ。
    (もちろん、それだけではありませんが)
    このインタビューを読んで、
    もし「大橋仁」という写真家、
    というか「人間」に興味を持たれましたら、
    ぜひ、手にとってみてください。
    みなさんの感想を、聞いてみたいです。
    販売サイトは、こちらです。