この写真家にインタビューできなければ、
この現代写真家インタビュー連載には、
決定的な「欠け」があると思っていました。
なのに、長らくできなかったのは、
その作風のせいか、
勝手に「怖い人」というか、厳しい人、
激しい人じゃないかと思っていたからです。
実際の大橋さんは、
自分の欲求に対して真摯で真面目で、
人間や生命の不思議や謎を探り続けている
少年探検家のようでした。
センセーショナルな写真集で
世間を賑わせている側面ばかり見ていては、
「大橋さんの写真」のことを、
理解しきれないままだったろうと思います。
全7回、担当はほぼ日の奥野です。
- ──
- 撮る衝動が湧いてこなくなってしまったたら、
大橋さんは「終わる」‥‥?
- 大橋
- まあ、本当に死にはしないかもしれないけど、
死んだようなものじゃないかな。
極端かもだけど、いまはそう思っちゃいます。 - ただ「写真は、ぼくの人生そのものなんです」
「ぼくの生命です」とかって言えれば
かっこいいかもしれないけど、
そう言ったら言ったで、
何か、そういうもんでもないような気はする。
写真について言えば、
人生とか生命とかって言うより、
身体の反応で「撮らざるを得ない」んですよ。
撮りたくなっちゃう。だから、撮ってる。
わざわざ言えば、やっぱり「衝動」なんです。
- ──
- 何を撮るにしても、衝動が基本?
- 大橋
- 衝動が基本です。
衝動というと瞬間的で無計画な感じもしますが
それだけではなく、
自分の中から湧き上がってきて、
ずっと自分の中に
とぐろを巻いてとどまるものでもあるんです。 - なので、
その衝動のために「計画」を立てることはある。
大きな衝動に応えるための準備というか。
『いま』で10組の妊婦さんを撮ったのも、
『そこにすわろうとおもう』で
300人の男女を集めたのも、
自分のなかでどうしようもなくなった
デッカい衝動のために計画してる感じですね。
- ──
- 後者なんか、出演者や撮影場所の手配とかも
大変だったと思いますが、
「お金の工面」も、すごいことですよね。
聞いた話ですと「家が一軒、建つ」くらいに
制作費がかかってるってことで、
ぜんぶ自腹でしょうし、
どう考えても大赤字だろうなという。 - で、それもこれも、
あくまで「衝動のための計画」をやってると。
- 大橋
- そう。その「衝動」とかっていうものも
得体が知れなくて、
言葉ではうまく説明できないんですよね。 - 本当に、身体が反応しているだけなんで。
- ──
- じゃ、その反応がなくなってしまうのは、
やっぱり、
生体反応がなくなる「死」みたいですね。
- 大橋
- たしかに写真を撮っている人間としては、
そうだと思います。 - だから、怖いですね。衝動を失くすのが。
- ──
- でも、いまのところ湧いてきてる?
- 大橋
- はい。自分の根底には
「撮る」という姿勢はずっとあるんですよ。
ただ、レンズを向けるのは
撮りたい衝動が高ぶっている瞬間なんです。 - そのときそのとき、いまでしかない瞬間。
血、出産、無数の男女の営み、パンティと、
高ぶらせる何かが、あるんです。
で、いまはまた次に高ぶらせるものがあって、
そこへ向かってるんですけど。
- ──
- いま撮っているものがかたちになるまでには、
また何年もかかる感じですか。
- 大橋
- そうでしょうね。いくつかの方向があるんですが、
自分の頭の中では、
そのどれも、すでにうっすらかたちは見えてます。 - でも、1冊の本にするのが、大変で。
- ──
- 具体的には、どう大変なんですか。
- 大橋
- まず、日々のちいさな衝動を撮らなくちゃいけない。
たぶん、ちいさな衝動は
無意識下にある無数のパズルのようなもので、
あとになって、自分の頭の中にある
もうひとつの「大きなイメージ・衝動」と
連動していくことになるんですが、
ただ、その「大きなイメージ・衝動」を
ただ再現していく、という感じでもないんです。 - それだと、つまんないんです。
- ──
- つまんない。どう、つまんないですか。
- 大橋
- ある意味では
「大きなイメージ・衝動」に引っ張られて
撮影をしていく部分もあるんですが
その最中に
自分の想像を超えた驚きや発見に出くわすんですよ。
- ──
- そこに、おもしろさを感じてる。
- 大橋
- はい。
- ──
- 画家の山口晃さんも、こうおっしゃってました。
- 自分の頭に「絵」がうまれる瞬間が「最高」で、
それをキャンバスの上に定着させるために
「描く」わけですが、
それは「辻褄合わせ」のような作業だ‥‥と。
でも、その作業のさなか、
こんどは逆に
眼前にできあがってくる「絵」そのものが、
山口さんに語りかけてきて、
結果、もともとのイメージは、
「描く」ことでどんどん更新されていくんだと。
- 大橋
- なるほど。おもしろいですね。
ぼくの場合は「一枚の地図」みたいなものが
あるんです。
なんとなく進むべき方角や場所を示す地図が。
その地図の上には
いつでも濃い霧がかかっていて、
その地図にしたがって進んだつもりが、
いつも、とんでもないところに着いてしまう。 - なので、まずは衝動にしたがって
「撮らなきゃいけない」。
撮ったあとは、写真を選んで、並べ替えて、
全体の構成をつくる。
そのあとデザイナーと打ち合わせしたり、
印刷作業があって、製本があって、
それもめちゃくちゃ大変で‥‥みたいなね、
とんでもなく長い道のりなんです。
- ──
- ところどころで、それぞれの関係者と、
意見を交わしながら議論しながら、ですよね。 - まさしく「果てしのない旅」みたいです。
- 大橋
- そうですね。金はかかるし、時間もかかるし。
デザイナーとは毎回、死闘を繰り返してるし。
- ──
- 死闘。
- 自分は編集者なんで
デザイナーさんとの意見の相違については
まあわかるんですが、
どういう死闘なんですか、大橋さんの場合。
- 大橋
- 自分にとっての「写真集」って、
自分の鏡というか、
自分の生き写しみたいなものなんですよね。 - 100%自分の血肉で出来上がっている。
- ──
- なるほど。
- 大橋
- もうひとりの自分をつくる、みたいな感じ。
我が子だとも思っています。 - 写真集には、執念や怨念のようなものも
多分に入っていて、
しかも「我が子」のことですから、
いっさい妥協することができないんですよ。
- ──
- つくりたいものしか、つくれない。
- 大橋
- せっかくデザイナーに入ってもらうのなら、
もちろんね、デザイナーの
個性や想像力を生かしてもらいたいんです。 - でも自分の写真集を子どもと意識している時点で、
すでにデザイナーとは
作品に対する距離感の違いが出てきてしまう。
そこで衝突、ぶつかり合いが出てきちゃうんです。
喧々諤々はじまっちゃって、
結果、降りちゃう人もいらっしゃったり。
- ──
- つまり「わたし、やめときます」と。
- デザイナーさんとしても考えや思いがあって
「こうしたい」って言ってるわけで、
だからこその「ぶつかりあい」なんですよね。
- 大橋
- こちらもデザイナーの発想や感覚に期待して
依頼していますので、
作品に関するぶつかり合いについては、
まったくイヤな感情ってないんですよ。
真剣に向き合ってくれたからこそ、
意見を戦わせて、結果、降りたんだなあって。
- ──
- ああ‥‥。
- 大橋
- できれば降りずに、もうちょっと喧々諤々と
向き合ってほしかったなとは思います。
傷つけ合おうとしているわけじゃないですし。 - でも、一般的なお仕事と比べても、
写真家の個人作品写真集の仕事って、
予算も限られるし、
デザイナー的には割に合わない作業だと思います。
昔、あるデザイナーに
俺を一生食わせるだけのギャラが払えないんなら、
自分の言うことをきけと言われて、
そのときは、こちらから降りました(笑)。
ただ、他の人のことはわかりませんが、
自分にとっての「写真集」ってものが、
あまりにも「特殊」なのかもしれません。
- ──
- もう、そこまでの思いで向き合っているのなら、
まさしく「自分の子」ですね。
少しも「あきらめる」ようなことは、できない。
- 大橋
- ある意味で、
精神にわけ入っていくようなことなので。 - だから、よかれと思って言ってくださる
「こうすれば美しくなる」
「こうすれば売れる」
みたいなところとは基準が少し違うんですよ。
「俺の生命」っていうか
執念や怨念すら入っているので‥‥。
その厄介なものを
一緒に料理してもらわなきゃいけないんです。
- ──
- 写真じたいは「生命」というと何かちがって、
「身体の反応」なんだけど、
写真「集」になると「生命」になっちゃう。
- 大橋
- もちろん、意見がバッチリ合って、
素晴らしい案を採用させていただくこともある。 - たとえば今回の写真集でも、
淡々と写真がページごとに流れていくという
それまでのリズムを変えるために、
ところどころで
ただ白いだけのページを挟んでるんですけど、
このアイディアを
デザイナーさんから提案されたときは、
すごくうれしくて、
その案は採用させてもらったんですよ。
- ──
- しかも1枚だけじゃなく、
何枚か連続して白いページが続く場所もありますね。
- 大橋
- これは、そのデザイナーさんが
写真集に感じてくれた呼吸のリズムなんです。
白いページを入れる具体的な場所に関しては
自分で構成し直したんですが、
革命的な提案だった。 - この本は、
そのアイディアに助けられたなと思ってます。
ただ、別の部分で折り合えなくて‥‥。
- ──
- おたがいに「真剣」だからこそ。
- 大橋
- 自分には、写真集をつくることについては、
やっぱり、
どうしても譲れない部分があるんですよね。 - で、デザイナーにも譲れない部分があって、
その1点で折り合えなかった。
でも、ただ、それだけのことなんです。
俺が全力で行くんで、あちらが
疲れちゃうということはあるかもしれない。
- ──
- そんな大変な思いをしてまで、つくりたい。
- 大橋
- はい‥‥つくらざるを得ないって感じですね。
- つくらなくても自分的にいいのなら、
もうつくりたくはないです。面倒くさすぎる。
- ──
- そうですか。
- 大橋
- へんな言い方だけど、
ぼくはしょうがなくつくってるんですよ。 - つくらざるを得ない、だからつくってる。
われながら、なんて強烈な欲求だと思う。
- ──
- 本当はつくりたくないのに
つくらざるを得ないって‥‥たしかに。 - ただ、つくりたくないのに
つくらざるを得ないようなものに出会ってる、
そのことについては、
傍から見れば
うらやましいなあなんて思ったりもしますが。
ご本人は大変かもしれないけど。
- 大橋
- ああ、そうですね。
自分でも、それをどこかでわかっているから、
「怖い」んでしょうね。 - この「撮ること」への強烈すぎる衝動を、
失くしてしまうことが。
- ──
- なるほど。
- 大橋
- 好きなタイプの女性を見ても
何かぜんぜん何にも感じなくなっちゃうとか
おいしそうな食べ物のにおいがしても、
お腹が減らないみたいな。
- ──
- 本当ですね。
- 大橋
- めっちゃおいしそうなカレーライスを見ても、
「ふーん」とか、怖いでしょ。
- ──
- 死が近そうって感じ。まさしく。
- 大橋
- やっぱり、自分を奮い立たせてくれる、
どこかへ向かわせてくれる、
そういう何かの存在‥‥というのは、
ある意味厄介ですけど、
同時にありがたいものだなと思います。
(つづきます)
2024-11-11-MON
-
荒木経惟さんをして
「これが現代アートだ」と言わしめた作品
『そこにすわろうとおもう』から10年、
大橋仁さんが
「過去の3作品とくらべて、自分の頭の中、
脳細胞やメンタルやDNA、
生命の記憶の領域へ足を踏み入れてる感じ」
と位置づける第4作。
写っているのは金のパンティとコガネムシ。
(もちろん、それだけではありませんが)
このインタビューを読んで、
もし「大橋仁」という写真家、
というか「人間」に興味を持たれましたら、
ぜひ、手にとってみてください。
みなさんの感想を、聞いてみたいです。
販売サイトは、こちらです。