この写真家にインタビューできなければ、
この現代写真家インタビュー連載には、
決定的な「欠け」があると思っていました。
なのに、長らくできなかったのは、
その作風のせいか、
勝手に「怖い人」というか、厳しい人、
激しい人じゃないかと思っていたからです。
実際の大橋さんは、
自分の欲求に対して真摯で真面目で、
人間や生命の不思議や謎を探り続けている
少年探検家のようでした。
センセーショナルな写真集で
世間を賑わせている側面ばかり見ていては、
「大橋さんの写真」のことを、
理解しきれないままだったろうと思います。
全7回、担当はほぼ日の奥野です。

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第5回 写真「集」は「俺の生命」。

──
撮る衝動が湧いてこなくなってしまったたら、
大橋さんは「終わる」‥‥?
大橋
まあ、本当に死にはしないかもしれないけど、
死んだようなものじゃないかな。
極端かもだけど、いまはそう思っちゃいます。
ただ「写真は、ぼくの人生そのものなんです」
「ぼくの生命です」とかって言えれば
かっこいいかもしれないけど、
そう言ったら言ったで、
何か、そういうもんでもないような気はする。
写真について言えば、
人生とか生命とかって言うより、
身体の反応で「撮らざるを得ない」んですよ。
撮りたくなっちゃう。だから、撮ってる。
わざわざ言えば、やっぱり「衝動」なんです。
──
何を撮るにしても、衝動が基本?
大橋
衝動が基本です。
衝動というと瞬間的で無計画な感じもしますが
それだけではなく、
自分の中から湧き上がってきて、
ずっと自分の中に
とぐろを巻いてとどまるものでもあるんです。
なので、
その衝動のために「計画」を立てることはある。
大きな衝動に応えるための準備というか。
『いま』で10組の妊婦さんを撮ったのも、
『そこにすわろうとおもう』で
300人の男女を集めたのも、
自分のなかでどうしようもなくなった
デッカい衝動のために計画してる感じですね。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
後者なんか、出演者や撮影場所の手配とかも
大変だったと思いますが、
「お金の工面」も、すごいことですよね。
聞いた話ですと「家が一軒、建つ」くらいに
制作費がかかってるってことで、
ぜんぶ自腹でしょうし、
どう考えても大赤字だろうなという。
で、それもこれも、
あくまで「衝動のための計画」をやってると。
大橋
そう。その「衝動」とかっていうものも
得体が知れなくて、
言葉ではうまく説明できないんですよね。
本当に、身体が反応しているだけなんで。
──
じゃ、その反応がなくなってしまうのは、
やっぱり、
生体反応がなくなる「死」みたいですね。
大橋
たしかに写真を撮っている人間としては、
そうだと思います。
だから、怖いですね。衝動を失くすのが。
──
でも、いまのところ湧いてきてる?
大橋
はい。自分の根底には
「撮る」という姿勢はずっとあるんですよ。
ただ、レンズを向けるのは
撮りたい衝動が高ぶっている瞬間なんです。
そのときそのとき、いまでしかない瞬間。
血、出産、無数の男女の営み、パンティと、
高ぶらせる何かが、あるんです。
で、いまはまた次に高ぶらせるものがあって、
そこへ向かってるんですけど。
──
いま撮っているものがかたちになるまでには、
また何年もかかる感じですか。
大橋
そうでしょうね。いくつかの方向があるんですが、
自分の頭の中では、
そのどれも、すでにうっすらかたちは見えてます。
でも、1冊の本にするのが、大変で。
──
具体的には、どう大変なんですか。
大橋
まず、日々のちいさな衝動を撮らなくちゃいけない。
たぶん、ちいさな衝動は
無意識下にある無数のパズルのようなもので、
あとになって、自分の頭の中にある
もうひとつの「大きなイメージ・衝動」と
連動していくことになるんですが、
ただ、その「大きなイメージ・衝動」を
ただ再現していく、という感じでもないんです。
それだと、つまんないんです。
──
つまんない。どう、つまんないですか。
大橋
ある意味では
「大きなイメージ・衝動」に引っ張られて
撮影をしていく部分もあるんですが
その最中に
自分の想像を超えた驚きや発見に出くわすんですよ。
──
そこに、おもしろさを感じてる。
大橋
はい。
──
画家の山口晃さんも、こうおっしゃってました。
自分の頭に「絵」がうまれる瞬間が「最高」で、
それをキャンバスの上に定着させるために
「描く」わけですが、
それは「辻褄合わせ」のような作業だ‥‥と。
でも、その作業のさなか、
こんどは逆に
眼前にできあがってくる「絵」そのものが、
山口さんに語りかけてきて、
結果、もともとのイメージは、
「描く」ことでどんどん更新されていくんだと。
大橋
なるほど。おもしろいですね。
ぼくの場合は「一枚の地図」みたいなものが
あるんです。
なんとなく進むべき方角や場所を示す地図が。
その地図の上には
いつでも濃い霧がかかっていて、
その地図にしたがって進んだつもりが、
いつも、とんでもないところに着いてしまう。
なので、まずは衝動にしたがって
「撮らなきゃいけない」。
撮ったあとは、写真を選んで、並べ替えて、
全体の構成をつくる。
そのあとデザイナーと打ち合わせしたり、
印刷作業があって、製本があって、
それもめちゃくちゃ大変で‥‥みたいなね、
とんでもなく長い道のりなんです。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
ところどころで、それぞれの関係者と、
意見を交わしながら議論しながら、ですよね。
まさしく「果てしのない旅」みたいです。
大橋
そうですね。金はかかるし、時間もかかるし。
デザイナーとは毎回、死闘を繰り返してるし。
──
死闘。
自分は編集者なんで
デザイナーさんとの意見の相違については
まあわかるんですが、
どういう死闘なんですか、大橋さんの場合。
大橋
自分にとっての「写真集」って、
自分の鏡というか、
自分の生き写しみたいなものなんですよね。
100%自分の血肉で出来上がっている。
──
なるほど。
大橋
もうひとりの自分をつくる、みたいな感じ。
我が子だとも思っています。
写真集には、執念や怨念のようなものも
多分に入っていて、
しかも「我が子」のことですから、
いっさい妥協することができないんですよ。
──
つくりたいものしか、つくれない。
大橋
せっかくデザイナーに入ってもらうのなら、
もちろんね、デザイナーの
個性や想像力を生かしてもらいたいんです。
でも自分の写真集を子どもと意識している時点で、
すでにデザイナーとは
作品に対する距離感の違いが出てきてしまう。
そこで衝突、ぶつかり合いが出てきちゃうんです。
喧々諤々はじまっちゃって、
結果、降りちゃう人もいらっしゃったり。
──
つまり「わたし、やめときます」と。
デザイナーさんとしても考えや思いがあって
「こうしたい」って言ってるわけで、
だからこその「ぶつかりあい」なんですよね。
大橋
こちらもデザイナーの発想や感覚に期待して
依頼していますので、
作品に関するぶつかり合いについては、
まったくイヤな感情ってないんですよ。
真剣に向き合ってくれたからこそ、
意見を戦わせて、結果、降りたんだなあって。
──
ああ‥‥。
大橋
できれば降りずに、もうちょっと喧々諤々と
向き合ってほしかったなとは思います。
傷つけ合おうとしているわけじゃないですし。
でも、一般的なお仕事と比べても、
写真家の個人作品写真集の仕事って、
予算も限られるし、
デザイナー的には割に合わない作業だと思います。
昔、あるデザイナーに
俺を一生食わせるだけのギャラが払えないんなら、
自分の言うことをきけと言われて、
そのときは、こちらから降りました(笑)。
ただ、他の人のことはわかりませんが、
自分にとっての「写真集」ってものが、
あまりにも「特殊」なのかもしれません。
──
もう、そこまでの思いで向き合っているのなら、
まさしく「自分の子」ですね。
少しも「あきらめる」ようなことは、できない。
大橋
ある意味で、
精神にわけ入っていくようなことなので。
だから、よかれと思って言ってくださる
「こうすれば美しくなる」
「こうすれば売れる」
みたいなところとは基準が少し違うんですよ。
「俺の生命」っていうか
執念や怨念すら入っているので‥‥。
その厄介なものを
一緒に料理してもらわなきゃいけないんです。
──
写真じたいは「生命」というと何かちがって、
「身体の反応」なんだけど、
写真「集」になると「生命」になっちゃう。
大橋
もちろん、意見がバッチリ合って、
素晴らしい案を採用させていただくこともある。
たとえば今回の写真集でも、
淡々と写真がページごとに流れていくという
それまでのリズムを変えるために、
ところどころで
ただ白いだけのページを挟んでるんですけど、
このアイディアを
デザイナーさんから提案されたときは、
すごくうれしくて、
その案は採用させてもらったんですよ。

──
しかも1枚だけじゃなく、
何枚か連続して白いページが続く場所もありますね。
大橋
これは、そのデザイナーさんが
写真集に感じてくれた呼吸のリズムなんです。
白いページを入れる具体的な場所に関しては
自分で構成し直したんですが、
革命的な提案だった。
この本は、
そのアイディアに助けられたなと思ってます。
ただ、別の部分で折り合えなくて‥‥。
──
おたがいに「真剣」だからこそ。
大橋
自分には、写真集をつくることについては、
やっぱり、
どうしても譲れない部分があるんですよね。
で、デザイナーにも譲れない部分があって、
その1点で折り合えなかった。
でも、ただ、それだけのことなんです。
俺が全力で行くんで、あちらが
疲れちゃうということはあるかもしれない。
──
そんな大変な思いをしてまで、つくりたい。
大橋
はい‥‥つくらざるを得ないって感じですね。
つくらなくても自分的にいいのなら、
もうつくりたくはないです。面倒くさすぎる。
──
そうですか。
大橋
へんな言い方だけど、
ぼくはしょうがなくつくってるんですよ。
つくらざるを得ない、だからつくってる。
われながら、なんて強烈な欲求だと思う。
──
本当はつくりたくないのに
つくらざるを得ないって‥‥たしかに。
ただ、つくりたくないのに
つくらざるを得ないようなものに出会ってる、
そのことについては、
傍から見れば
うらやましいなあなんて思ったりもしますが。
ご本人は大変かもしれないけど。
大橋
ああ、そうですね。
自分でも、それをどこかでわかっているから、
「怖い」んでしょうね。
この「撮ること」への強烈すぎる衝動を、
失くしてしまうことが。
──
なるほど。
大橋
好きなタイプの女性を見ても
何かぜんぜん何にも感じなくなっちゃうとか
おいしそうな食べ物のにおいがしても、
お腹が減らないみたいな。
──
本当ですね。
大橋
めっちゃおいしそうなカレーライスを見ても、
「ふーん」とか、怖いでしょ。
──
死が近そうって感じ。まさしく。
大橋
やっぱり、自分を奮い立たせてくれる、
どこかへ向かわせてくれる、
そういう何かの存在‥‥というのは、
ある意味厄介ですけど、
同時にありがたいものだなと思います。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

(つづきます)

2024-11-11-MON

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  • 大橋仁さん最新写真集『はじめて あった』

    荒木経惟さんをして
    「これが現代アートだ」と言わしめた作品
    『そこにすわろうとおもう』から10年、
    大橋仁さんが
    「過去の3作品とくらべて、自分の頭の中、
    脳細胞やメンタルやDNA、
    生命の記憶の領域へ足を踏み入れてる感じ」
    と位置づける第4作。
    写っているのは金のパンティとコガネムシ。
    (もちろん、それだけではありませんが)
    このインタビューを読んで、
    もし「大橋仁」という写真家、
    というか「人間」に興味を持たれましたら、
    ぜひ、手にとってみてください。
    みなさんの感想を、聞いてみたいです。
    販売サイトは、こちらです。