この写真家にインタビューできなければ、
この現代写真家インタビュー連載には、
決定的な「欠け」があると思っていました。
なのに、長らくできなかったのは、
その作風のせいか、
勝手に「怖い人」というか、厳しい人、
激しい人じゃないかと思っていたからです。
実際の大橋さんは、
自分の欲求に対して真摯で真面目で、
人間や生命の不思議や謎を探り続けている
少年探検家のようでした。
センセーショナルな写真集で
世間を賑わせている側面ばかり見ていては、
「大橋さんの写真」のことを、
理解しきれないままだったろうと思います。
全7回、担当はほぼ日の奥野です。

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第4回 スペインの旅から写真家へ。

大橋
大丈夫ですかね‥‥こんな話で。
ここまでしゃべっておいて、何ですが。
──
大丈夫じゃないでしょうか。たぶん。
こんなにもまじめに考えている
生命の根源の不思議についての話ですし。
出てくるのはパンティとかだけど。
それにいまって、性教育とかについても、
家庭でもオープンに話したりとか、
徐々に考え方も変わってきていますし、
闇雲にタブー視するのは、
少し時代に合っていない気もしますしね。
大橋
あ、そうですか。
──
ただし、大橋さんの話って、
まじめなんだけど、
なぜだか、どこかに、
ちょっとした「おもしろエッセンス」が
効いてるんですよね(笑)。
昔からそういう子どもだったんですか。
大橋
まず、うちの実の親父なんかが、
性についてはだいぶオープンだったんです。
お前は、お父ちゃんとお母ちゃんが
「俗にいうところの女性器の名称」をして
生まれたんだからな‥‥って、
ことあるごとに吹き込まれていたんです。
うちの中では
「俗にいうところの女性器の名称」って、
ふつうに使われていて、
子どものころの自分にとっては、
すごく当たり前の自然な言葉だったんです。
性について、
まったくフタをしない家庭だったんですよ。
──
うちとは、ぜんぜんちがうなあ。
うちはテレビの「バカ殿」とかで
エッチなシーンが出てきちゃったら最後、
「しーん」みたいな家だったんで。
何だかもう、恥ずかしくて恥ずかしくて。
大橋
そういう育ち方も関係してるのか、
自分の生命が、そそられるほうというか、
呼ばれるほうへ
フラフラ~って寄っていっちゃうことが、
自然なんです。
──
そういう大橋さんが、
「写真」を表現の手段にしたというのは、
どういうきっかけがあったんですか。
大橋
精神的に写真を撮ってみようと思えたのは
荒木経惟さんの影響ですが、
たまたま親父がカメラ好きだったので、
機材を買う手間もなく
撮影をはじめやすかった部分はありますね。
親父は印刷屋さんをやっていたんですけど、
当時、中判のカメラとか持ってたんです。
プラウベルマキナとか、小西六のセミパールとか。
──
あー、プラウベルって
石川直樹さんが使っているカメラですよね。
ボディが薄くて蛇腹の、かっこいいやつ。
大橋
そうそう、一般の人は持ってないような。
雑な扱い方してたんで、
レンズにカビ生えちゃったりしてたけど。
ぼくが18歳のときに、父親の計らいで、
「一人旅せえや」みたいなことで、
お金を出してくれて、
スペインへ一人旅へ活かせてくれまして。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

──
素敵なお父さんだなあ。
大橋
そのときに持っていったのが、
キヤノンの「AE-1」ってカメラでした。
それには60mmマクロの接写レンズが
ついてたんだけど、
つまり、いちばん最初に出会った
そのレンズが、
のちの自分の「接写好き」とかにも、
影響を与えていると思うんですよ。
──
今作を象徴するパンティもコガネムシも、
接写ですもんね。
写真家としての大橋仁さんに、
めちゃくちゃ影響を及ぼしていそうです。
大橋
ふつうのレンズだと寄れないところまで、
マクロレンズでは寄れちゃうから。
無限の視覚を手に入れた、みたいな感じ。
あのとき、望遠レンズを渡されてたら
どうなってたんだろう。
遠くのものしか撮らない人っていうか、
被写体から
やたら距離を取る写真家になったかも。
──
すごく長いレンズで、
遠くのパンティを撮っていたかも‥‥。
大橋
ただのヤバい人じゃないですか。
──
でも、「最初の道具」が、
その後の自分を決めてるっていうのは、
おもしろい話ですね。
写真家さん以外でもいろいろありそう。
はじめて手にしたギターが、
レスポールかストラトかでちがうとか。
大橋
おふくろの味じゃないけど、たしかに。
そのレンズで育ったから、
何を撮るか、どう撮るか‥‥みたいな
影響があると思います。
──
で、スペインでは何を撮ったんですか。
大橋
日常の場面だとか、
現地でできたスペイン人の友だちとかですね。
アンダルシアのちいさな街に、
父親の友人がいるというので
2週間ほど滞在をさせてもらったんですが、
行ってみたら、
父親の友だちの友だちの友だちの‥‥みたいな、
父親のことさえ、
ほぼほぼ知らない人だったんですよ(笑)。
──
ほとんど無関係の人ですね、それは(笑)。
大橋
アンダルシアのアロラという街で
当時で50才過ぎの男性の日本人画家と、
けっこう年下の日本人の奥さま、
それにちいさな息子さんお一人のご家庭でした。
旦那さんと奥さまは
20才くらいの歳の差夫婦で、
ふたりで世界中を放浪して暮らしていたそうで、
とても暖かく迎えてくれて、
途中から親戚みたいになってました。
全旅程で言うと、スペインに1か月、
フランスに20日でした。
──
あ、そんなに長い旅だったんですか。
大橋
マドリードから入ってアロラ、
マラガってピカソが生まれた場所を経て、
バルセロナのほうへ向かいました。
いま「ロマ」と呼ばれてるんでしたっけ、
ジプシーの人たちを撮ったりしながら。
──
ええ。
大橋
彼らは差別されていて、衝撃的でした。
アロラの日本人画家の旦那さんに紹介された
同い年のホセ・マヌエールってやつがいて、
田舎暮らしで貧しいんだけど、
何かもう、すごく性格のいいやつでね。
ジェントルマンだし、日本人のぼくを
やさしくもてなしてくれたりとか。
──
おお。
大橋
夜になると
プールサイドがディスコになる場所があって、
あるとき、そこでみんなで遊んでたんです。
そのとき、そのやさしいホセ・マヌエールが、
ある2人の男の子を、
絶対に席に座らせなかったんです。
何でだろうと思ってたら、
彼らふたりジプシーの子だったんです。
ぼく、事情を知らなかったから、
椅子を持ってきて、
「きみらも座んなよ」ってすすめたら、
ホセ・マヌエールが
「いいんだよ、ジン。
あいつらは立ってる。一緒には座らない」
って。
──
へええ‥‥そうなんですか。
大橋
あれはエグかったなあ。
だって、ふたりも会話に入ってるんだよ。
ニコニコしながら。
輪の中にいるメンバーではあるんですよ。
それなのに差別されてるんです。
何だろう、根の深いものが、
すぐ身近にあるっていう感じがしました。
──
そういうところから、
大橋さんの写真ははじまってるんですね。
大橋
キヤノンが主催していたコンクールの
「写真新世紀」にも、
ジプシーたちの写真を出してます。
あとは、
当時付き合ってた女の子のつむじとか。
──
つむじ?
大橋
接写でつむじとか目のアップを撮ってた。
当時、裸は撮ってませんでした。
そのころ、
世の中的には女性のセルフヌードが流行ってて、
作品として
発表してる女性もたくさんいたんだけど、
あんなの、よく撮れんなぁって思ってた。
自分の裸なんて、
よくもまあ人の前にさらせるもんだなと。
──
そのときは、そう思ったんですね。
大橋
そうなんですよ。思ったんですよ。
自分をさらして恥ずかしい、
すげえなぁと思って、
びっくりしたもんです、まだそのころは。
──
じゃあ、そのあとに、
1作目の『目のまえのつづき』を出した。
それが20代の半ばくらいですか。
大橋
26のときです。
18、19くらいから撮りはじめた作品が
けっこう貯まってたんですが、
義父の自殺未遂に遭遇したのが、21のときなんです。
その前後5、6年のできごとを収録したのが、
1冊目の写真集でした。
──
表紙からして、
めちゃくちゃインパクトがありましたよね。
シーツに染み込んでいく、
お父さんの真っ赤な「血」の写真ですけど。
でも、その場面を撮ったのが21歳で、
そこから本になるまでに
5年くらいかかってるのはなぜなんですか。
大橋
義父が自殺した場面を撮ったときには、
何も考えてなかったんです。
驚いて、反射的に、
ただただ夢中で撮っていただけで、
もう、写真だとか作品だとか何だとか‥‥
ましてや
写真集を出すなんてことは、まったく。
──
そうですよね‥‥それは。
大橋
でも、そうこうしているうちに、
グラフィックデザイナーで
マッチアンドカンパニーの町口ってやつに
声をかけられたんです。
──
造本家の町口覚さん。
大橋
それまでの自分は、
パルコのギャラリーでグループ展やったり、
リクルートの「ひとつぼ展」で
入選したりとかは、まあ、していたんです。
で、あるとき会場で町口が声をかけてきて、
そこになぜか
当時の青幻舎の安田(英樹)社長もいて、
「写真集、出さへんか」
みたいなことになったんですよ、たしか。
──
おお。
大橋
そう言われて、はじめてその気になった。
24、25くらいのときです。
で、一気に編集して出したって感じです。
──
曖昧な質問になってしまいますけど、
それから長く、
大橋さんでしかないような写真を
撮り続けてきたわけじゃないですか。
大橋
ええ。
──
いま、「写真」って、
どういうものだって思っていますか。
大橋
うーん‥‥たまに考えるんです。
「撮らなくなることが、あるのか?」
とか、
「自分のなかから、
写真が消えるときが来るのか?」とか。
つまり「反応・衝動」みたいなものなんです。
食欲とか性欲なんかと同じように、
内側から「湧いてくるもの」なんです。
──
大橋仁にとって、写真とは。
大橋
生きるうえで必要な、反応と衝動と欲求。
だから、それらが湧かなくなったときが
「終わるとき」なのかな。
──
大橋さんの「生命活動」みたいなものが?
大橋
そう。

大橋仁『はじめて あった』より 大橋仁『はじめて あった』より

(つづきます)

2024-11-10-SUN

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  • 大橋仁さん最新写真集『はじめて あった』

    荒木経惟さんをして
    「これが現代アートだ」と言わしめた作品
    『そこにすわろうとおもう』から10年、
    大橋仁さんが
    「過去の3作品とくらべて、自分の頭の中、
    脳細胞やメンタルやDNA、
    生命の記憶の領域へ足を踏み入れてる感じ」
    と位置づける第4作。
    写っているのは金のパンティとコガネムシ。
    (もちろん、それだけではありませんが)
    このインタビューを読んで、
    もし「大橋仁」という写真家、
    というか「人間」に興味を持たれましたら、
    ぜひ、手にとってみてください。
    みなさんの感想を、聞いてみたいです。
    販売サイトは、こちらです。