「人に会おう、話を聞こう」をスローガンに、
さまざまな授業をお届けする「ほぼ日の學校」。
その最新コンテンツをテキストでお届けします。
今回は、27年前から、つまりデビュー前から、
「佐藤二朗という役者の大ファンだった横里さん」が、
佐藤二朗さんにインタビューをします。
月刊誌『ダ・ヴィンチ』の元編集長であり、
ほぼ日のコンテンツづくりにも力を貸してくださっている
歴戦の編集者「横里さん」が、
「今までのインタビューで一番緊張する」と武者震いしながら、
ずっと追いかけてきた佐藤二朗さんに
「『暗黒の20代』、なぜあなたはくじけなかったのか」と
ずっと胸に秘めていた問いを投げかけます。
そして、最終回である第5回には、
今年ほぼ日の乗組員になったサノが急遽飛び入りし、
自分の「とある悩み」を二朗さんにぶつける「番外編」も。
第1〜4回と第5回で聞き手が変わるという
なんともイレギュラーな連載にはなりますが、
「思い溢れるふたりの聞き手に、二朗さんはどう応えたか」。
ぜひ最後まで、お見逃しなく。

>佐藤二朗さんのプロフィール

佐藤二朗(さとう じろう)

1969年5月7日生まれ、愛知県出身。俳優、脚本家、映画監督などマルチに活躍。

1996年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ、本格的に俳優活動を開始。『浦安鉄筋家族』(20)、『ひきこもり先生』(21)などのドラマや、『勇者ヨシヒコ』シリーズ(11、12、16)、 『HK変態仮面』(13)、『銀魂』シリーズ(17、18)などで圧倒的な存在感を放ち、一躍人気を集める。『memo』(08)や『はるヲうるひと』(21)では監督・脚本・出演を務め、クリエイターとしても才能を発揮。

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第2回  「見つけてくれさえすれば、必ず」

横里
私はたぶん、
二朗さんが20代のころの「ちからわざ」の舞台を
半分くらいは観せていただいているんですけど、
当時はもうお客さんもまばらな感じで、
正直チケットも、何枚でも楽勝で取れたんです。
佐藤
ハハハㇵ、そうだろうね(笑)。
あのときはチケットもなかなか売れなかったから。
横里
二朗さんはその、「暗黒の20代」から、
どうやって抜け出したんでしょうか。
‥‥というのも、20代、何度も挫折されかかってますよね。
就職し直してるだけじゃなくて、
行政書士の試験も受けられてたり。
佐藤
いやいや、そんなことよく知ってるな!(笑)
どこで調べたんだ!?

横里
本に書いてありました。
佐藤
本に、ああ、そう、私の。
横里
はい。こちらの本に。
佐藤
ああ、『心のおもらし』。
横里
漏らしてました。
佐藤
漏らしてた。どんどん漏らしてるからね。
いや、そう、私、行政書士の試験、
2回受けて、2回落ちてますよ。
そのときは役者で食えるかわからないし、
リクルートも一日で辞めちゃったし、
とにかく何か手に職を付けないと、という感じで。
行政書士は2回落ちてるし、
そのあとも、社会保険労務士の通信テキストを買っては‥‥
1ページも読まず。
コピーライターの通信教育のテキストを買っては‥‥
それは2ページほど、読み。
20代のころはもうほんとに、そんなことばっかりやってたの。
まさに迷走。迷走もあそこまでいくと、「名迷走」です。
横里
でも、だからこそなのか、
あのときの二朗さんの演技にはいつも、
ものすごくギラギラしたものを感じました。
インタビューや本を拝見すると、
当時は「見つけてさえもらえたら、俺は絶対いける」という、
そういう思いで過ごされていたんですよね?
「俺には絶対に、才能がある」と。

佐藤
まあ、ものすごく恥ずかしい青年だったと思いますけど、
本当に正直なことを言うと‥‥
はい、そういう気持ちでしたね。
何度も諦めかけたりしてましたけど、
腹の底ではずっと、「役者になる運命だ」と本気で思ってた。
見つけてさえくれれば、世の中に出ることさえできれば、
自分の芝居で感動したり、
大笑いしたりしてくれる人がたくさん出てくるという、
そんな何の根拠もない自信を持ってました。
横里
はい、本当にそうだと思うんです。
当時の二朗さんは、舞台の上でそういうものを発してました。
その「役者になるのが運命だ」という思いは、
いつ、何がきっかけで芽生えたんですか?
佐藤
それはおそらく、小学校4年生の学芸会だったと思います。
『おいもは、こうして生まれました』っていう劇で、
8人のイモが主役なんですけど、
イモ役の子たちには台詞が無いんです。イモだから。
横里
はい(笑)。
佐藤
で、僕は、8人のイモを引率する「ネコの先生」で、
物語の7割が僕の台詞なんですよ。
なんで先生があの台本を選んだのか今でも本当にわからない。
ただまあとにかくその劇をやったら、父兄の皆さんがもう、
「どうしちゃったの!」っていうぐらい笑って。
その、父兄のみなさんが笑ってる光景。
あれがきっかけだったんじゃないかと思ってます。
横里
じゃあ、そこから。
佐藤
うん。もう、「役者になる運命」だと。
僕、卒業文集にも「役者になりたい」とか書いてないんです。
「運命」だから。そうなる人生だから。
わざわざ「なりたい」なんて書く必要もないと、
それくらいに思ってました。
なんか、本当にバカみたいな話なんだけど、僕、
当時食い入るように観ていていたドラマの制作者‥‥
たとえば、『北の国から』の杉田成道さんとか、
TBS『ふぞろいの林檎たち』のディレクター・鴨下信一さん、
ほかにも山田太一さんとか倉本聰さんとか、
そういった人たちに、突然「手紙」を送ったりしてるんです。
横里
手紙?
佐藤
自分の書いた台詞をカセットテープに吹き込んで、
「俺を使ってくれ」という手紙と共に、送ってるんですよ。
小学生か、中学生くらいだったかな。
「プロダクション」って言葉すら知らない、
どうやって俳優になっていいかわからない少年が、
どこに連絡したらいいかわからずとりあえず
「なんとか名鑑」みたいなところに送ってたから、
たぶんご本人にすら届いてないんですけど。
そういうことをしていました。
横里
‥‥すごい子どもですね。
佐藤
もちろん、自信だけじゃなかったけどね。
田んぼに囲まれた愛知の田舎で、
母親から「あんた、名古屋になんか行っちゃいかん、
名古屋には不良がおるでね」とか言われながら
名古屋市にすら行ったことがないまま育ち、
部活にも入らず、家から学校までの田んぼのあぜ道を
行き来するだけの小・中・高を過ごしていたから、
そんな子どもが大東京へ行って役者で食えるようになるなんて
叶うわけがない‥‥みたいなことも、どこかでは思ってたし。
横里
ああ、そういうお気持ちもあったんですね‥‥。
実際、二朗さん過ごされた「暗黒の20代」はある意味
その不安が的中してる状態でもあったと思うんですけど、
そんな中舞台に立ち続けて、最後、ブレイクといいますか、
「佐藤二朗」が世の中に出ていくきっかけになったのは
何だったのでしょうか。

佐藤
それはやっぱり‥‥「人との出会い」ですね。
全てのはじまりは、さっきも話した通り、
ラフカットで鈴木裕美と出会ったこと。
なんか不思議なもので、そこから本当に、
どんどんつながっていったんです。
鈴木裕美と出会ったことで、まず、
ラフカットのプロデューサー・堤泰之と出会います。
鈴木裕美に客演で呼んでもらった
『またもや休むに似たり』に、
『池袋ウエストゲートパーク』を撮り終えたばかりの
堤幸彦がふらっと観に来た。
僕の出番は一幕だけだったんですけど、
「誰だ、こいつは?」と何か引っかかった堤さんが、
そのとき撮っていた本木雅弘さん主演の
『ブラック・ジャック2』というTBSのドラマに、
僕を出してくれて。
名前すらない、板東英二さんに癌を告知する「医者A」の役。
台詞も5行ぐらいでワンシーンだけだったんですけど、
心ある監督というか、心あるクリエイターはみんなそうですけど、
無名でも、面白い芝居をする人は
ちゃんと撮ってくれるんです。
で、ちゃんと面白いシーンになったんですね。
それを、本木さんの事務所の社長が見るわけです。
横里
所属タレントが出てる作品だから、当然。
佐藤
そう。当時の、小口健二という社長が、
本木さんに「本木、見たか、あのシーン」、
「はい、あの医者の人でしょ」って2人でなったらしくて。
その場で、「うちに引き抜け」って言ったらしいんですよ。
横里
えっ。そんなことあるんですか。
佐藤
いや、相当ぶっ飛んでると思います。
普通、ワンシーンだけ観て、
「うちに引き抜け」ってならないですよ。
で、後に僕のマネジャーになる‥‥
今もそこにいますけど、ハタという人間が電話をかけてきて。
「うちは、本木雅弘、竹中直人らが所属する
フロム・ファーストという事務所なんですが、
社長がぜひ一度お会いしたいって言ってる」と。
「はあ?」みたいな感じで。
ほんで俺ね、「じてキン」の鈴木裕美さんの演出好きだし、
辞める気はなかったけど、一応行ってみたんです。事務所に。
当時の芸能事務所なんて大抵マンションの一室なんですけど、
行ったら自社ビルなんですよ。
「えっ、えっ?」って思いながらエレベーターで上がって、
そしたら‥‥ハタさん、これ、まあ、いいよね、シャレで。
その、今はもう亡くなってしまったんですけど、
社長の小口健二が待っていて、
「あ、佐藤さん」って言うんだけど‥‥
もう、どっからどう見ても反社なんですよ。
横里
(笑)
佐藤
いや、違いますよ?
違いますけど、とにかく、めちゃくちゃ怖くて。
「うわあ、俺、とんでもないところに来ちゃった」と思った。
で、そこで小口健二が僕に言ったのは、
「あなたは、どこに行っても売れるだろう」。
そして、こう続く。
「でも、うちに来たら、
ちょっとだけ近道を照らしてあげられますよ」
横里
はあー。
佐藤
今でもすごく覚えてます。
それでその事務所に入って、今、もう25年になります。
そうやって、
鈴木裕美とか、堤幸彦とか、小口健二のような恩人たちと、
29、30ぐらいで立て続けにバタバタって会うんですよ。
堤幸彦が言うのは、
「佐藤二朗というビンの蓋を
誰かが開けるのは時間の問題だった。
たまたま開けたのが俺だっただけで」って言うんですけど。
そのあともいろんな、
もう足を向けて寝られない人との出会いがありますけども、
「いける」ってなったのは、まさにその時期ですね。

(つづきます)

2024-06-12-WED

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    佐藤二朗さんが出演される映画、
    『あんのこと』が公開中です。
    「少女の壮絶な人生をつづった新聞記事」をもとに
    描いたこの作品について、二朗さんは、
    「たった4年前に、この国で起きていたこと。
    ある種の十字架を背負って、
    劇場を後にしていただきたい」
    と言葉にしました。
    幼いころから母親に暴力を振るわれ、
    売春を強いられていた少女(河合優実さん)と、
    彼女に更生の道を拓こうとする刑事(佐藤二朗さん)。
    そして、2人を取材するジャーナリスト(稲垣吾郎さん)。
    3人の登場人物を中心に、
    「現代社会の歪み」を突きつける物語。
    ぜひ劇場でどうぞ。