![](/n/s/wp-content/uploads/2024/06/sp_top_4.jpg)
「人に会おう、話を聞こう」をスローガンに、
さまざまな授業をお届けする「ほぼ日の學校」。
その最新コンテンツをテキストでお届けします。
今回は、27年前から、つまりデビュー前から、
「佐藤二朗という役者の大ファンだった横里さん」が、
佐藤二朗さんにインタビューをします。
月刊誌『ダ・ヴィンチ』の元編集長であり、
ほぼ日のコンテンツづくりにも力を貸してくださっている
歴戦の編集者「横里さん」が、
「今までのインタビューで一番緊張する」と武者震いしながら、
ずっと追いかけてきた佐藤二朗さんに
「『暗黒の20代』、なぜあなたはくじけなかったのか」と
ずっと胸に秘めていた問いを投げかけます。
そして、最終回である第5回には、
今年ほぼ日の乗組員になったサノが急遽飛び入りし、
自分の「とある悩み」を二朗さんにぶつける「番外編」も。
第1〜4回と第5回で聞き手が変わるという
なんともイレギュラーな連載にはなりますが、
「思い溢れるふたりの聞き手に、二朗さんはどう応えたか」。
ぜひ最後まで、お見逃しなく。
佐藤二朗(さとう じろう)
1969年5月7日生まれ、愛知県出身。俳優、脚本家、映画監督などマルチに活躍。
1996年に演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ、本格的に俳優活動を開始。『浦安鉄筋家族』(20)、『ひきこもり先生』(21)などのドラマや、『勇者ヨシヒコ』シリーズ(11、12、16)、 『HK変態仮面』(13)、『銀魂』シリーズ(17、18)などで圧倒的な存在感を放ち、一躍人気を集める。『memo』(08)や『はるヲうるひと』(21)では監督・脚本・出演を務め、クリエイターとしても才能を発揮。
- 横里
- 私はたぶん、
二朗さんが20代のころの「ちからわざ」の舞台を
半分くらいは観せていただいているんですけど、
当時はもうお客さんもまばらな感じで、
正直チケットも、何枚でも楽勝で取れたんです。
- 佐藤
- ハハハㇵ、そうだろうね(笑)。
あのときはチケットもなかなか売れなかったから。
- 横里
- 二朗さんはその、「暗黒の20代」から、
どうやって抜け出したんでしょうか。
‥‥というのも、20代、何度も挫折されかかってますよね。
就職し直してるだけじゃなくて、
行政書士の試験も受けられてたり。
- 佐藤
- いやいや、そんなことよく知ってるな!(笑)
どこで調べたんだ!?
- 横里
- 本に書いてありました。
- 佐藤
- 本に、ああ、そう、私の。
- 横里
- はい。こちらの本に。
- 佐藤
- ああ、『心のおもらし』。
- 横里
- 漏らしてました。
- 佐藤
- 漏らしてた。どんどん漏らしてるからね。
- いや、そう、私、行政書士の試験、
2回受けて、2回落ちてますよ。
そのときは役者で食えるかわからないし、
リクルートも一日で辞めちゃったし、
とにかく何か手に職を付けないと、という感じで。 - 行政書士は2回落ちてるし、
そのあとも、社会保険労務士の通信テキストを買っては‥‥
1ページも読まず。
コピーライターの通信教育のテキストを買っては‥‥
それは2ページほど、読み。 - 20代のころはもうほんとに、そんなことばっかりやってたの。
まさに迷走。迷走もあそこまでいくと、「名迷走」です。
- 横里
- でも、だからこそなのか、
あのときの二朗さんの演技にはいつも、
ものすごくギラギラしたものを感じました。 - インタビューや本を拝見すると、
当時は「見つけてさえもらえたら、俺は絶対いける」という、
そういう思いで過ごされていたんですよね?
「俺には絶対に、才能がある」と。
- 佐藤
- まあ、ものすごく恥ずかしい青年だったと思いますけど、
本当に正直なことを言うと‥‥
はい、そういう気持ちでしたね。 - 何度も諦めかけたりしてましたけど、
腹の底ではずっと、「役者になる運命だ」と本気で思ってた。
見つけてさえくれれば、世の中に出ることさえできれば、
自分の芝居で感動したり、
大笑いしたりしてくれる人がたくさん出てくるという、
そんな何の根拠もない自信を持ってました。
- 横里
- はい、本当にそうだと思うんです。
当時の二朗さんは、舞台の上でそういうものを発してました。
その「役者になるのが運命だ」という思いは、
いつ、何がきっかけで芽生えたんですか?
- 佐藤
- それはおそらく、小学校4年生の学芸会だったと思います。
『おいもは、こうして生まれました』っていう劇で、
8人のイモが主役なんですけど、
イモ役の子たちには台詞が無いんです。イモだから。
- 横里
- はい(笑)。
- 佐藤
- で、僕は、8人のイモを引率する「ネコの先生」で、
物語の7割が僕の台詞なんですよ。
なんで先生があの台本を選んだのか今でも本当にわからない。
ただまあとにかくその劇をやったら、父兄の皆さんがもう、
「どうしちゃったの!」っていうぐらい笑って。
その、父兄のみなさんが笑ってる光景。
あれがきっかけだったんじゃないかと思ってます。
- 横里
- じゃあ、そこから。
- 佐藤
- うん。もう、「役者になる運命」だと。
僕、卒業文集にも「役者になりたい」とか書いてないんです。
「運命」だから。そうなる人生だから。
わざわざ「なりたい」なんて書く必要もないと、
それくらいに思ってました。 - なんか、本当にバカみたいな話なんだけど、僕、
当時食い入るように観ていていたドラマの制作者‥‥
たとえば、『北の国から』の杉田成道さんとか、
TBS『ふぞろいの林檎たち』のディレクター・鴨下信一さん、
ほかにも山田太一さんとか倉本聰さんとか、
そういった人たちに、突然「手紙」を送ったりしてるんです。
- 横里
- 手紙?
- 佐藤
- 自分の書いた台詞をカセットテープに吹き込んで、
「俺を使ってくれ」という手紙と共に、送ってるんですよ。
小学生か、中学生くらいだったかな。
「プロダクション」って言葉すら知らない、
どうやって俳優になっていいかわからない少年が、
どこに連絡したらいいかわからずとりあえず
「なんとか名鑑」みたいなところに送ってたから、
たぶんご本人にすら届いてないんですけど。
そういうことをしていました。
- 横里
- ‥‥すごい子どもですね。
- 佐藤
- もちろん、自信だけじゃなかったけどね。
田んぼに囲まれた愛知の田舎で、
母親から「あんた、名古屋になんか行っちゃいかん、
名古屋には不良がおるでね」とか言われながら
名古屋市にすら行ったことがないまま育ち、
部活にも入らず、家から学校までの田んぼのあぜ道を
行き来するだけの小・中・高を過ごしていたから、
そんな子どもが大東京へ行って役者で食えるようになるなんて
叶うわけがない‥‥みたいなことも、どこかでは思ってたし。
- 横里
- ああ、そういうお気持ちもあったんですね‥‥。
実際、二朗さん過ごされた「暗黒の20代」はある意味
その不安が的中してる状態でもあったと思うんですけど、
そんな中舞台に立ち続けて、最後、ブレイクといいますか、
「佐藤二朗」が世の中に出ていくきっかけになったのは
何だったのでしょうか。
- 佐藤
- それはやっぱり‥‥「人との出会い」ですね。
全てのはじまりは、さっきも話した通り、
ラフカットで鈴木裕美と出会ったこと。
なんか不思議なもので、そこから本当に、
どんどんつながっていったんです。 - 鈴木裕美と出会ったことで、まず、
ラフカットのプロデューサー・堤泰之と出会います。 - 鈴木裕美に客演で呼んでもらった
『またもや休むに似たり』に、
『池袋ウエストゲートパーク』を撮り終えたばかりの
堤幸彦がふらっと観に来た。
僕の出番は一幕だけだったんですけど、
「誰だ、こいつは?」と何か引っかかった堤さんが、
そのとき撮っていた本木雅弘さん主演の
『ブラック・ジャック2』というTBSのドラマに、
僕を出してくれて。 - 名前すらない、板東英二さんに癌を告知する「医者A」の役。
台詞も5行ぐらいでワンシーンだけだったんですけど、
心ある監督というか、心あるクリエイターはみんなそうですけど、
無名でも、面白い芝居をする人は
ちゃんと撮ってくれるんです。
で、ちゃんと面白いシーンになったんですね。 - それを、本木さんの事務所の社長が見るわけです。
- 横里
- 所属タレントが出てる作品だから、当然。
- 佐藤
- そう。当時の、小口健二という社長が、
本木さんに「本木、見たか、あのシーン」、
「はい、あの医者の人でしょ」って2人でなったらしくて。
その場で、「うちに引き抜け」って言ったらしいんですよ。
- 横里
- えっ。そんなことあるんですか。
- 佐藤
- いや、相当ぶっ飛んでると思います。
普通、ワンシーンだけ観て、
「うちに引き抜け」ってならないですよ。 - で、後に僕のマネジャーになる‥‥
今もそこにいますけど、ハタという人間が電話をかけてきて。
「うちは、本木雅弘、竹中直人らが所属する
フロム・ファーストという事務所なんですが、
社長がぜひ一度お会いしたいって言ってる」と。
「はあ?」みたいな感じで。 - ほんで俺ね、「じてキン」の鈴木裕美さんの演出好きだし、
辞める気はなかったけど、一応行ってみたんです。事務所に。
当時の芸能事務所なんて大抵マンションの一室なんですけど、
行ったら自社ビルなんですよ。
「えっ、えっ?」って思いながらエレベーターで上がって、
そしたら‥‥ハタさん、これ、まあ、いいよね、シャレで。
その、今はもう亡くなってしまったんですけど、
社長の小口健二が待っていて、
「あ、佐藤さん」って言うんだけど‥‥
もう、どっからどう見ても反社なんですよ。
- 横里
- (笑)
- 佐藤
- いや、違いますよ?
違いますけど、とにかく、めちゃくちゃ怖くて。
「うわあ、俺、とんでもないところに来ちゃった」と思った。 - で、そこで小口健二が僕に言ったのは、
「あなたは、どこに行っても売れるだろう」。
そして、こう続く。
「でも、うちに来たら、
ちょっとだけ近道を照らしてあげられますよ」
- 横里
- はあー。
- 佐藤
- 今でもすごく覚えてます。
それでその事務所に入って、今、もう25年になります。 - そうやって、
鈴木裕美とか、堤幸彦とか、小口健二のような恩人たちと、
29、30ぐらいで立て続けにバタバタって会うんですよ。
堤幸彦が言うのは、
「佐藤二朗というビンの蓋を
誰かが開けるのは時間の問題だった。
たまたま開けたのが俺だっただけで」って言うんですけど。 - そのあともいろんな、
もう足を向けて寝られない人との出会いがありますけども、
「いける」ってなったのは、まさにその時期ですね。
(つづきます)
2024-06-12-WED
-
佐藤二朗さんが出演される映画、
『あんのこと』が公開中です。
「少女の壮絶な人生をつづった新聞記事」をもとに
描いたこの作品について、二朗さんは、
「たった4年前に、この国で起きていたこと。
ある種の十字架を背負って、
劇場を後にしていただきたい」
と言葉にしました。
幼いころから母親に暴力を振るわれ、
売春を強いられていた少女(河合優実さん)と、
彼女に更生の道を拓こうとする刑事(佐藤二朗さん)。
そして、2人を取材するジャーナリスト(稲垣吾郎さん)。
3人の登場人物を中心に、
「現代社会の歪み」を突きつける物語。
ぜひ劇場でどうぞ。