1万年以上にもわたって
続いたとされる縄文時代。
土器や土偶など独特な造形美が
育まれた時代でもあります。
縄文時代をテーマにしたフリーペーパー
『縄文ZINE』の編集長・望月昭秀さんと
縄文に魅せられた俳優の井浦新さんに、
縄文時代の魅力を語ってもらいました。
ふたりが対談の場所に選んだのは、
東京のど真ん中で「縄文」を感じられる、
國學院大學博物館の考古展示室。
土器に囲まれながら、
「縄文」の楽しさ、楽しみ方を
じっくりのんびり語らいます。
望月昭秀(もちづき・あきひで)
1972年静岡県生まれ。
ニルソンデザイン事務所代表。
書籍の装丁や雑誌のデザインしながら、
都会の縄文人のためのフリーマガジン
『縄文ZINE』を2015年から発行。
著書に『縄文人に相談だ』
(国書刊行会/文庫版は角川文庫)、
『蓑虫放浪』(国書刊行会)、
『土偶を読むを読む』(文学通信)などがある。
井浦 新(いうら・あらた)
1974年東京生まれ。
1998年「ワンダフルライフ」で映画初主演。
以降、映画、テレビなどの話題作に数多く出演。
また映画館を応援する「ミニシアターパーク」、
アパレルブランド
〈ELNEST CREATIVE ACTIVITY〉ディレクター、
サステナブル・コスメブランド
〈Kruhi〉ファウンダーを務める
など、その活動は多岐にわたる。
- 井浦
- 望月さんは、各地の考古館に足を運んで
縄文の時代を想像していくなかで、
日々の暮らしや生き方に縄文時代の知恵が生きると
感じることってありますか?
- 望月
- そうですねぇ。
「縄文人だったらどう思うのかな」という視点が
少しずつできてきたような気はしますね。
現代人には現代人なりの視点があると思うんですが、
それに加えてもうひとつの視点として。
- 井浦
- それはとても大きいですね。
自分の感覚や眼差しにプラスして、
もうひとつ、縄文感覚からも
ひとつのものを考えたり、感じたりできる。
それって、すごく豊かなことですよね。
- 望月
- 普通にごはんを食べていて
「これ、縄文人が食べたら、どう思うかな」なんて
思うことがあります。
しょっぱすぎると思うかなとか、
こんな甘いものを食ったらどう思うだろうという
素朴な疑問とか。
あと人付き合いに悩んだときに
「縄文時代だったら、どう考えただろう」と
思いを巡らせたり。
それはぼく個人にとって、よかったことですね。
- 井浦
- 縄文感覚がいろんなところで活かされるというのは、
ぼくもとても共感します。
学術的にはそれはまだまだ解明されてはないけれども、
縄文って1万年以上かけて作られた豊かな時代。
その長い歴史のなかに
「争いがなかった」と言われていることが、
すごくすてきなことだと思って。
縄文の歴史を知ると、
弥生時代や古墳時代がすごく短いものに感じられますよね。
- 望月
- うん、年表にすると
縄文時代の長さは桁違いであることがよくわかります。
- 井浦
- 時代が変わるときって、
必ず前の時代を押しつぶすような動きがあって、
そこではたくさんの人が亡くなっているわけですよね。
1万年という途方もない時代をつなげてこられた、
縄文人の視点、感覚って
すばらしいなと思うんです。
- 望月
- もちろん縄文時代も、
1万年がまったくひとつの文化とは言い切れない。
ただ、やはり最初から最後まで、
割と同じような感覚を持っている人たちかな、
というふうにも思います。
やっぱり弥生時代に入ると、
かなり大きく変わるので。
- 井浦
- まさに。
- 望月
- 縄文時代にも小競り合いや
個人的な殴り合いはあったと思いますけれど(笑)、
大がかりな戦争の痕跡は少なく、残っていない。
現代から、その争わなくてすんだ時代を見ると、
「われわれも縄文人みたいになれないかね」と
思いますよね。
- 井浦
- ぼく、縄文人の骨の研究に
すごく好きなエピソードがあって。
骨折痕のある老人の骨が出土したのですが、
死因は骨折ではなかったんです。
骨折後も、若者に背負われながら移住生活を続け、
最終的には海の近くの比較的大きな集落に定住する。
彼はそこに埋葬されたんです。
生活にも祈りの儀式にも
すべてにおいて知恵を授けてくれる存在として
年長者が敬われていたことがわかるエピソードですよね。
体力的に弱い人にも、
すべての人にちゃんと役割があった。
そして、小さな喧嘩はあれど
「あそこの集落を全滅させよう」というような
争いはないという時代。
現代人のぼくにとっては、痛いぐらいに刺さるんです。
- 望月
- めちゃくちゃ刺さりますね。
- 井浦
- それが弥生時代以降、武器が作られて、
生きるための狩りではなく、
土地を奪うため、人を殺すために使われてきた。
それは、争い、戦さ、戦争と言葉を変えて、
現代までずっと続くんです。
- 望月
- 縄文時代に「狩猟採集しか知らない野蛮な人たち」
というイメージを持っている人もいるかもしれないけれど、
そうじゃない。
老人は狩りにおいては戦力にならないかもしれないけれど、
その知識は力にも匹敵するものとして
大切にされていたんですよね。
今って、すぐに「老害」って言われたり、
昔の話や知識を軽んじられがちですけれど、
それってなんだかさびしいな、と思います。
- 井浦
- そうですね。
心が疲れてしまうことの多い現代ですが、
縄文の旅を続けると、
笑顔しか浮かんでこない。
自然と対峙して、
自然とともに生きるたくましい顔が
強くイメージされるんです。
- 望月
- それで言えば、土器を作っている人の顔が、
見えるような気がするときがありますね。
バイオリズムも感じるというか、
「調子が悪いときに作ったんじゃないかな」とか(笑)。
- 井浦
- 直結していますよね。
心ともの、手と土器。
- 望月
- 土器ひとつからも、
いろいろなことを想像して、
思いにふけってしまいますね。
- 井浦
- 本当に。
縄文って、未来にむかって今を生きる自分たちにとって、
たくさんの目に見えない精神性を学べる時代だと思います。
きっとここから学んで未来に向かっていくと、
いい方向に、栄養のある時代になるんじゃないか、
と思います。
- 望月
- ぼく、縄文にハマった最初のころって、
縄文至上主義的な感覚になって
「弥生とか別に」って思ってたんですよ。
- 井浦
- 受け付けない、と。
- 望月
- でもいろいろな考古館に行ってみていると、
縄文時代の前には旧石器時代があって、
縄文時代の後には弥生時代、古墳時代と続いていって。
縄文を好きになると、
その比較対象として弥生時代、古墳時代にも興味が湧いて、
どんどん広がっていった感じがあります。
- 井浦
- 考古館にあるものは
古臭いものというイメージがあったとしたら、
それは全部真逆。
生命感にあふれて、
これからの私たちに生きる知恵をくれる。
だから、ぼくは考古館に来ると元気になるんです。
- 望月
- 元気になりますね。
ヘトヘトになることもあるけれど‥‥。
- 井浦
- そう(笑)、フラフラになって出るときもありますが、
それも生命力に当たっちゃってるからじゃないかな、と。
- 望月
- 土器に当たる感覚、わかります。
“土器あたり”しますよね(笑)。
それもたぶん、作った人のエネルギーを
感じるからなんでしょうね。
- 井浦
- 現代病に悩む方たちは、ぜひ考古館へ!
栄養になるのは間違いない、と思います。
- 望月
- 考古館に行くと当時の人々の暮らしに
想像が広がっていくことがあります。
ちょっとタイムトラベル感もあって、
おすすめです、考古館。
さて、話はつきませんけれど、
そろそろ現代にもどりましょうか(笑)。
- 井浦
- そうですね(笑)。
今日はありがとうございました!
- 望月
- ありがとうございました!
(おわります)
2024-11-25-MON