さあ、満を持しての登場です!
「常設展へ行こう!」を名乗る本連載には
決して欠かすことのできない美術館、
上野の「国立西洋美術館篇」。
かの「松方コレクション」をベースにした
見応え120点満点のコレクションを、
4時間半もかけてご案内いただきました。
全13回に渡って、たっぷりお届けします。
これを読んだら、ぜひぜひ、
東アジア最高峰とされる西洋美術の殿堂を、
訪れてみてください。
きっと、いっそう楽しめると思います!
担当は、ほぼ日の奥野です。

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第13回 国立西洋美術館の立ち位置。

新藤
北欧の作家をご紹介した流れで、最後の
「コレクション・イン・フォーカス」です。
ここは、わたしが担当したんですけれど。
──
おお。テーマは‥‥。
新藤
はい、なるべく簡単に説明しますね。
つきあたりの壁に掛けている絵は、
ドイツの印象派を代表する画家のひとり、
ロヴィス・コリントのもの。
彼による《オークの木》という作品です。
で、ここで示したいのは、一見したところ
関係がないように思える絵画たちの間に
関係性が見えてくるということ、
それから「時代/地域の多様性」ですかね。

ロヴィス・コリント《樫の木》 ロヴィス・コリント《樫の木》

──
多様性。美術だけでなく、
時代、現代のキーワードでもありますよね。
新藤
はい、何度も申しあげていますが、
近代フランス美術にとらわれず‥‥という
収集方針の転換については、
68年の山田智三郎の第2代館長就任以降、
ずっと謳われてきた長期的課題なんです。
とはいえ、当館の中核をなすのが、
近代フランス美術であることは歴史の必然。
──
もとの松方コレクションが、
その色彩が濃かったということですもんね。
新藤
当館には、オールドマスターから数えても、
ドイツの絵画っていまだ「4点」しかないんです。
近代絵画はそのうち2点。
その1点がコリント、
もう1点がマックス・エルンストのものです。
──
抽象画の、グラッタージュの。はい。
新藤
あとは、2点のオールドマスターの作品が
冒頭で見たふたつのクラーナハの絵画です。
ここでは、コリントの絵を中核にして、
制作された時代も地域も異なる作品を並べました。
コリントは、
色彩豊かな肖像画や群像表現で知られる画家ですが、
こんなふうに一本の樹木だけに接近して
画面全体に描いている作品はとてもめずらしい。
マックス・リーバーマンや
マックス・スレフォクトと並んで、
ドイツにおいては、
いちはやく印象派を受容した人なんですが。
──
ええ。
新藤
ちなみに、コリントが懇意にしていたのが、
ベルリンのパウル・カッシーラー画廊。
ドイツで先駆的にフランスの印象派の絵画を
紹介していたところです。
別の文脈でいえば、松方幸次郎もその画廊で
何点かの作品を購入しているのですが。
──
はい。
新藤
いずれにせよ、その画廊でコリントは、
フランスの印象派やポスト印象派の作品を
見ていたにちがいありません。
それに彼にはリーバーマンの影響も強かった。
そうした環境因もあって、
既存のドイツ絵画には見られない、
こうして画面いっぱいに、
一つひとつのブラッシュストロークを強調しながら
オークの木を描くにいたったと考えています。
──
なるほど‥‥。
新藤
コリントはセザンヌなんかも知っていましたし、
彼を敬愛してもいました。
それで、奇縁だと思わずにいられないのは、
国立西洋美術館が所蔵する
このセザンヌによる
《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》は、
1909年に
カッシーラー画廊で展示されていたということです。
きちんと展覧会歴が残っています。
コリントもまさに「この絵」を見ていた可能性が、
なんら小さくないんですね。
──
おお‥‥おもしろいなあ。

ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》 ポール・セザンヌ《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》

新藤
コリントは、セザンヌは見たものを
個人の「感覚」にしたがって描いたと考えていました。
セザンヌがいう「Sensation」、
ドイツ語では「Empfindung(エンプフィンドゥング)」。
このオークの木の枝葉の描写なんかも、
どことなくセザンヌの筆致を想起させるところがある。
まあ、そういうようなこともあって、
今回、こういう並べ方をしています。
──
いつも思うんですが、ぼくら鑑賞者は、
学芸員さんの頭のなかの
考えや、発想や、つながりを見ている‥‥
ということでもあるんですよね。
なるほど、そういう見方もあるんだって
教わるようで、おもしろいです。
新藤
そのままではバラバラなものたちのあいだに、
ある視点を導入することで、
つながりや関係性を見出していこう、
ということも、
美術館でやっていけたらと思っています。
──
描かれた年代も場所もまったく違う絵が、
時間と空間を超えて、こうして並んでいる。
そのこと自体が奇跡的なことだとも思うし。
新藤
美術館という場所は、出自の異なる作品が
不意に同居できる場。
それで、そこにどういうつながりがあるのかを
探して見出したりするのが、
われわれ学芸員の役割のひとつだろうと思います。
──
いまフェルメールの本を読んでるんですが、
この絵がまず、
本人のもとから誰それのところへ行って、
そのあとに空白があって
何十年か後に
ポッとどこそこのオークションに出て、
そのあと美術館から盗まれて、
墓地に放置されているのが発見されて‥‥
とか「絵画の人生」っておもしろいなあと。
新藤
近代絵画の宿命のひとつは、
やっぱり「流浪する」ってことかなと。
ハプスブルク家みたいな王侯貴族が代々、
何百年も受け継いできて、
18〜19世紀に美術館に入った作品もありますが、
近代絵画は、
美術館へ入ってくる経路が異なりますよね。
──
ええ、なるほど。
新藤
個人の手から別の個人の手へと渡り歩いて、
ようやく美術館に収蔵されるものが
少なくないわけですね。
──
逆に有名な作家の有名な絵でも、
いま、どこへ行ったかわかんない作品も、
あったりするじゃないですか。
いっとき、日本の会社社長が持っていた
ゴッホの《医師ガシェの肖像》とか。
そのことが、不思議でおもしろいですね。
新藤
だから、近代以降の絵画って、
どこか「みなしご」みたいなんですよね。
流浪するのが宿命とすれば、
その渡り歩きの履歴、
つまり「来歴」は、とても重要です。
われわれが作品を購入する際は、
たとえばナチスの略奪品ではなかったかどうかを、
もう、徹底的に調査しますし。
──
略奪品だった場合は‥‥。
新藤
もとの持ち主の遺族なりに返還する必要があります。
国民のみなさんの税金で購入した作品を
返還しなきゃいけなくなったら、
それこそ、とんでもないことですよね。
ですから、われわれの場合は、
それが不当な略奪美術品や盗難品でないことを
綿密に調べます。

──
なるほど、いやあ、おもしろいですね‥‥
うわ、こんな時間。
お話がおもしろくて一瞬でしたけれど、
4時間半も経ってる(笑)。
最後の部屋を見ながらでいいのですが、
何となく、
国立西洋美術館の立ち位置って言うか、
そのあたりのことを、うかがえますか。
新藤
はい、わかりました。ただ、総括というよりは、
ある視点からお話しますね。
たとえば、これはムンクの絵です。
じつは松方がカッシーラー画廊から
買ったものなのですが。
雪のなかの労働者を描いた絵ですけれど、
広く流布しているイメージと比較すれば、
ムンクらしくないと思いませんか。
──
《叫び》の印象とは、だいぶちがいますね。
新藤
松方というひとは、どちらかといえば、
当時すでに評価が定まりつつあった作品を集めていて、
彼が収集をはじめた1910年代の
同時代的な作品、前衛的な作品には、
あまり関心を払っていなかったように
個人的には思えます。
もちろん、当時先端的な造形実験をおこなっていた
マティスの絵画などは買ってはいるものの、
たとえばキュビスムの作品を買ってるかといったら、
買ってない。
ドイツにしても、表現主義は買ってません。
──
ええ。
新藤
その点、このムンクの絵は
かなり例外的だとわたしは考えています。
ムンクは一時期、
こうした雪のなかの労働者を集約的に描いてました。
1912年に「ゾンダーブント」展という
とても大きな前衛美術の展覧会が
ドイツのケルンで開かれるんですが、
そのとき、ムンクはかなり特権的なあつかいを受けました。
この展覧会で、ムンクに割りあてられた展示室の
ある壁の中央に掛けられていた作品が、これです。
そういった展示史などを考えても重要な絵なんですよ。
ドイツ表現主義を担う若い作家たちも見ていましたし、
当時としては
前衛的な文脈のなかに置かれていた作品だった。
──
ようするに、比較的、評価の定まったものを
収集していた松方コレクションにも、
こういった例外はある‥‥ということですね。
新藤
松方コレクションには、
そういった特徴があるのかなと考えています。
それと、いまの話とはまったく別の視点でいうと、
日本には「国立」の美術館で、
コレクションを持っているところが4館ありますよね。
竹橋の東京国立近代美術館、
京都国立近代美術館、
大阪の国立国際美術館、
そして当館、国立西洋美術館なのですが、
全館で共通して持っている作家がひとりいて。
──
誰だろう。
新藤
藤田嗣治です。
おそらく、全館で共通して持っている作家は
藤田以外いないと思います。
セザンヌでも京近美にはないので。
少なくとも、藤田は4館ともにもっている。
けれど、当館にとって藤田って、
ほかの館とは異なる位置づけなんですよね、実質的に。
つまり「西洋」の画家として存在しているわけですね。
──
日本人の作家ではなく。なるほど‥‥。
言ってみれば、藤田嗣治というよりも、
レオナール・フジタとして、というか。
新藤
つまり、藤田嗣治という画家の作品を
どういう目線で見つめているか、
どういう意識で収蔵しているかという点に、
ここ国立西洋美術館という場所の
アイデンティティがかかわっていると思います。
──
フジタさんの絵を、西洋の文脈で捉えている。
それが、国立西洋美術館。
東京国立近代美術館で見る藤田嗣治さんって
戦争画のイメージが強いですしね。
同じ作家の絵でも、
それを所有し展示する美術館によって、違う。
新藤
位置づけが変わってきてしまうと思うんです。
コレクションや展示の力学のなかで。
──
なるほど‥‥おもしろいです。
新藤
当館で見る藤田の作品は、
日本の近代絵画史のなかの1点ではなくて、
西洋絵画史のなかの1点としてあるということになる。
そのことは、この西洋美術館という場所の、
特異なところだと思うんです。
そのことが、この美術館自体の特徴や
立ち位置というものを、
浮き彫りにすると思っています。

藤田嗣治《坐る女》©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2023 E5329 藤田嗣治《坐る女》©Fondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo,2023 E5329

(おわります)

※作品の保存・貸出等の状況により、
 展示作品は変更となる場合がございます。

2023-08-21-MON

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  • 国立西洋美術館の リニューアルプロジェクトを記録した ドキュメンタリーがおもしろい!

    2016年、世界遺産に指定された
    ル・コルビュジエ建築の国立西洋美術館。
    この「常設展へ行こう!」の連載が
    はじまる直前、地下にある
    企画展示館の屋上防水更新の機会に、
    創建当初の姿へ近づけるための
    リニューアル工事がはじまったのですが、
    その一部始終を描いた
    ドキュメンタリー映画が公開中です。
    で、これがですね、おもしろかった。
    ふだんは、見上げるように鑑賞している
    巨大な全身肖像画‥‥たとえば
    スルバランの『聖ドミニクス』なんかが
    展示室の壁から外されて、
    慎重に寝かされて、
    美術運搬のプロに運ばれていく姿なんか、
    ふつう見られないわけです。
    それだけで、ぼくたち一般人には非日常、
    もっと言えば「非常事態」です。
    見てて、めちゃくちゃドキドキします。
    重機でロダン彫刻を移動する場面とかも
    見応えたっぷりで、
    歴史的な名画を描いたり、
    彫刻をつくったりする人もすごいけど、
    それを保存したり修復したり
    移動したり展示する人も同じくすごい!
    全体に「人間ってすごい」と思わせる、
    そんなドキュメンタリーでした。
    詳しいことは映画公式サイトでご確認を。
    また、その国立西洋美術館の
    現在開催中の企画展は、
    「スペインのイメージ:
    版画を通じて写し伝わるすがた」です。
    展覧会のリリースによると
    「ゴヤ、ピカソ、ミロ、ダリら
    巨匠たちの仕事を含んだ
    スペイン版画の系譜をたどることに加え、
    ドラクロワやマネなど
    19世紀の英仏で制作された
    スペイン趣味の作品を多数紹介します」
    とのこと。まだ見に行ってないのですが、
    こちらも、じつにおもしろそう。
    常設展ともども、夏やすみにぜひです。

    常設展へ行こう!

    001 東京国立博物館篇

    002 東京都現代美術館篇

    003 横浜美術館篇

    004 アーティゾン美術館篇

    005 東京国立近代美術館篇

    006 群馬県立館林美術館篇

    007 大原美術館篇

    008 DIC川村記念美術館篇

    009 青森県立美術館篇

    010 富山県美術館篇

    011ポーラ美術館篇

    012国立西洋美術館

    013東京国立博物館 東洋館篇