登山の世界のアカデミー賞と呼ばれる
ピオレドール賞に3度も輝いた、
アルパインクライマーの平出和也さん。
どうして誰も登ったことのない未踏峰、
未踏ルートへ向かうのか。
山で生まれた問いへの答えは、
次の山へ向かうことで得られる‥‥と、
平出さんは言います。
その繰り返しが、
自分を成長させてくれるんだそうです。
哲学者のそれかのような
平出さんの言葉に、引き込まれました。
全7回、担当は「ほぼ日」の奥野です。

特集「挑む人たち」が本になりました

>平出和也さんのプロフィール

平出和也(ひらいでかずや)

アルパインクライマー、山岳カメラマン。石井スポーツ所属。大学2年のときから登山をはじめ、2001年のクーラカンリ(東峰・7381m)初登頂以後、難易度の高い数々の未踏峰・未踏ルートに挑戦し、優秀な登山家におくられるピオレドール賞を日本人最多の3度受賞。世界のトップクライマーの1人であり、山岳カメラマンとしても幅広く活躍している。公式サイトはこちら

前へ目次ページへ次へ

第3回 シスパーレ、7611メートル。

──
山が人間を成長させる、という表現には、
いろんな意味がありそうですが、
たとえば、どういうことだと思いますか。
平出
シスパーレで言えば、
ぼく、
2007年に最初の挑戦をしてるんです。
当時は、イケイケでした。
実際は、残り3分の1くらいのところで
敗退するんですけど、
そのとき、自分は生命を懸けさえすれば
どんな山でも征服できる‥‥
みたいな、
そういう「思い上がり」があったんです。

──
自信があったってことですか。
それまで未踏峰の経験を積んでいたから。
平出
自信もあったけど、
それより
弱い自分を受け入れられなかったんです。
敗退を敗退として、
受け入れられない自分がいたんですよ。
その後2012年に2回目の挑戦をして、
そこでもまた、敗退します。
そのときに、やっと、
生命を賭けても登れない山があるんだと、
認めることができたんです。
──
そして、3回めも‥‥。
平出
はい、敗退しました。
3回目、日本に帰るときっていうのは、
人生でひとつくらいは
登れない山があってもいいのかな‥‥
なんて、
どこか諦めのような感情がありました。
──
3回目、ですものね。
平出
世界には、
まだまだ他にも未踏峰があるんだから、
シスパーレだけに固執せず、
他に目を向けたほうがいいぞって、
山に教えられてるのかなと思いました。
──
なるほど。
平出
でも‥‥シスパーレの3回目のときに、
自分自身が、
成長していることに気付いたんです。
ほんの些細な差なんですけど、
同じ山に何回もチャレンジしていると、
小さな成長に気づくんですね。
──
自分の成長って、
なかなか自分では気づけませんけどね。
平出
ぼくにとってシスパーレは、
それを教えてくれる存在だったんです。
あの山へ行けば、人間として、
登山家として何が足りないのか‥‥を
教えてもらえる気がした。
だから、救いを求めるかのように、
再度シスパーレへ戻って行くんですね。
──
4回めの挑戦。
2017年‥‥てことは10年越しの、
4回め。
平出
はい、あの山に4回目に挑んだのは、
ご存知かもしれないけど、
パートナーだった谷口けいさんが、
2015年に
亡くなったことも大きな理由でした。
──
そうですか‥‥谷口さんのことは、
のちほど
あらためておうかがいしたいのですが、
はじめてシスパーレを知ってから、
1回目の挑戦をするまで、
たしか5年くらいあったわけですよね。
その間って、つまり、
訓練とか準備をしていたってことですか。
平出
ぼくには「夢のファイル」があるんです。
学生のころからのものですが、
海外の本や雑誌とか見たり読んだりして、
カッコいい山の写真があったら、
そのファイルにはさんでおくんですよ。
で、いつかこんな山に登りたい‥‥って。
──
カッコいい山‥‥に、登りたい?
平出
こんな山に登りたい‥‥と思うのには、
見た目がカッコいいというのと、
今は登れそうにないけど、
いつかこんな山に登ることができたら‥‥
というのがあるんです。
見た目がカッコ悪かったり、
簡単に登れそうだなと思う山だったら、
そのファイルには入らない。
──
憧れているってことは、
高く遠く、
そびえ立つように見えるんでしょうね。
つまり、登れそうにない感じに。
平出
難しそうでカッコいい山に、憧れます。
そういう山が「夢のファイル」に入る。
もちろんシスパーレも入っていました。
──
ええ。
平出
簡単に登れそうにない憧れの山だから、
そのファイルに入ってるわけですが、
何年かしたのちに見返すと、
あ、この山、いまなら登れるかもって、
ふと、思えたりするんです。
いけるんじゃないかなあ‥‥って。
不可能の塊だった「夢のファイル」から、
手の届きそうな山が出てくるんです。
──
ようするに、登山家として場数を踏んで、
成長した証なわけですよね、それは。
平出
そうやって、2007年に
「夢のファイル」から抜き出された山が、
シスパーレであり、
2005年に抜き出されたのが、
「インドのマッターホルン」と呼ばれる
シブリンという山なんですよ。
──
その名前も、聞いたことがないです。
平出
三角形にとんがったカッコいい山です。
ぼくは、そこではじめて、
世界で評価された登山ができたんです。
──
評価というのは‥‥。
平出
自分たちの登山が世界の雑誌に載った。
はじめての経験でした。
難しい山の未踏の壁に、
1本のラインを引いたっていうことで。
シブリンという山は、
標高こそ6543メートルですけれど、
エベレストの100倍、
それくらい難しい山で、
一流のクライマーしか行けないんです。

──
どういうところが、難しいんですか。
平出
たとえば、エベレストだったら
二本の足で立って歩いて登れますけど、
シブリンは、
手も足も使わなければ登れないくらい、
傾斜がきついんです。
手脚4本でも足りないくらい。
場合によっては、アゴまで使ったり、
岩にかじりついたり‥‥
もう、それくらい大変な山なんです。
──
そんなところを、何日もかけて。
平出
2泊3日で登りきりました。
でも、その山で
さっき言った凍傷にかかってしまった。
当時はまだ経験が浅かったんですけど、
登れる自信はあったんです。
こんなカッコいい山登りてぇなーって、
写真集を見て、選んで‥‥。
──
本当に写真集で決めちゃったんですか。
すごいノリですね‥‥!
平出
当時は、ずっとそんな感じでしたね。
シスパーレ以外にも、
ひとつでも多く、
いろんな山に登りたいと思ってたので。
──
次から次へと。
平出
駆け出しのころって楽しいじゃないですか。
自分の登山のテーマとかも決めずに、
ヒマラヤに行ったら、
見渡せる山ぜんぶ登りたいっていうくらい、
あっちもこっちも‥‥って。
だから、昔は、ひどかったですよ(笑)。
いったんヒマラヤへ行ったら
3カ月くらい、ずーっと山登りしてました。
──
登って降りて、また登って‥‥という?
平出
パキスタンのあたりでひとつ山に登ったら、
中国の新疆のほうまで陸路で行って、
そのあたりの山に登って、
次はインドのほうに移動して、山に登って。
それで、3カ月くらい帰って来ないんです。
──
そんな人‥‥他にいます?(笑)
平出
いま同じことやれって言われても無理です。
でも当時は、ひとつでも多く登りたかった。
だって、もったいないじゃないですか。
見渡す限り、ぜんぶ新鮮な山なんですから。
──
そうでしょうけど(笑)。
平出
まだまだキャリアの浅い自分にとっては
すべてが未踏峰。
だから、なるべく多くの頂に立ちたいと。
──
なるほど。
平出
そのうちに、そういう思いが、
だんだんテーマとして見えるようになり、
やがて、
誰も登っていない山、
誰も登っていない壁を目指していこうと。
──
そうやって、
平出さんの登山の方向性が、定まった。
平出
はい。
──
あらためて‥‥ですけど、平出さんは、
どうして、
シスパーレという山に、
そんなにも惹きつけられたんでしょう。
平出
見上げたときに、すごく高く、遠く‥‥
まるで、
雲の上にまでそびえ立つ山に見えたから、
だと思います。
──
おお。
平出
ぼくが、はじめてあの山を見上げたのは、
2002年、20代前半ですけど、
あのとき、
あまりに高く遠くそびえ立っていたので。
──
登れそうにない‥‥と思うほど?
平出
ぼくの人生では登れない頂に見えました。
でも、だからこそ、ぼくの人生を懸けて、
あの頂にいつか立とうと決めた。
あの頂にさえ立てたら、
今までの自分じゃない、
まったく別の自分になれるんじゃないか、
そう思ったんです。

写真提供:石井スポーツ 写真提供:石井スポーツ

(つづきます)

2021-06-06-SUN

前へ目次ページへ次へ
  • 連続インタビュー  挑む人たち。