海洋冒険家の堀江謙一さんに
インタビューさせていただきました。
1962年、
まだ自由に海外へ行けなかった時代。
全長6メートルに満たないヨットで、
太平洋を横断した堀江さん。
単独無寄港での達成は世界初でした。
今年81歳になる堀江さんは、
今も自由に大海原を走っていました。
海というより、風を感じました。
ヨットのように、自由で、軽やかで、
堀江さんご自身も、
風に近づいていくように感じました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>堀江謙一さんのプロフィール

堀江謙一 プロフィール画像

堀江謙一(ほりえ・けんいち)

1938年、大阪市生まれ。海洋冒険家。1962年に世界で初めてヨットで太平洋単独横断に成功するなど46年間、果敢に冒険航海に挑戦し続けている。

前へ目次ページへ次へ

イエローフラッグを掲げて。

──
ご著書のなかに、航海の途中で、
飛行機に出会った話がありましたけど、
そんな、
太平洋のど真ん中にヨットがいるって、
あちらもビックリでしょうね。
堀江
レスキュー専門の飛行機じゃないかな。
ぼくを見つけてから、
何回も上空を往復してくれましたから。
──
SOSを出してないか、とか。
堀江
ぼくが助けてくれと言ったら、
何とかしようと
思ってくれてたんやないかな。
でも、ぼくはわりに
余裕ある顔して写真を撮ってたりして。

──
こんなところにひとりでヨットでいて、
助けなくてもいいのかな‥‥とは、
パイロットの人も、思ったでしょうね。
堀江
たぶんね。そのことを確認するために、
何回も来てくれたんだと思います。
無線機があればよかったんでしょうが、
大丈夫やとわかるまで、
何回か来てくれて。親切な人やったね。
──
親切な人(笑)。
でも、広い海の真ん中で
ポツンと一隻のヨットに出会うなんて、
よほどの確率でしょうね。
堀江
場所は、日付変更線を越えたあたり。
──
じゃ、本当に「太平洋のど真ん中」で。
堀江
ただ、どこからか飛行機が飛んできて、
ブーンと行ってしまうことは、
まあまあ、よくあることなんですけど。
──
へえ、そうなんですか。
堀江
旅客機だと行ったり来たりしませんが、
低空飛行で確認して、
あ、ヨットか、人が乗ってるな、
みたいに確認してるんじゃないですか。
──
あ、あそこに何かいるぞ、
ちょっとたしかめてみようって感じで。
堀江
そうそう。わかるような気しませんか。
飛行機乗りの人の気持ちとして。
──
堀江さんのご著書では、
アメリカ西海岸に着いたときの描写が、
すごく印象的で、
読んでいるだけでドキドキするんです。
はじめて陸が見えた瞬間って、
あらためてどんな感じだったんですか。
堀江
地肌が見えた、アメリカ大陸の。
遠くから見た感じが、日本と違ってね。
──
地肌。
堀江
日本の場合は、緑色に見えるんだけど。
──
はい、木の生い茂った山の緑で。
堀江
そうじゃなくて、まず、色が違います。
赤い土の色をしているわけです。
ああ、これがニューコンチネンタルか、
新大陸の色かと思いました。
──
その色は鮮明に憶えている感じですか。
堀江さんの記憶の中に。
堀江
ハッキリ憶えてますね、いまでも。
50年以上の時間が経ってますけどね。
はじめてアメリカ大陸を見たところが、
サンフランシスコより北側だと
思い込んでたけど実は違ったので、
それからまた、
上陸するまでに1日かかってますけど。
──
でもそうやって、偉業を達成したのに、
内緒で行っているので、
賑々しい
お出迎えの人たちがいるわけでもなく。
堀江
はい。
サンフランシスコの金門橋を抜けてね、
到着したのが
8月12日の日曜日の午後でした。
午後1時かと思ってたら、
サマータイムで午後2時だったんです。
──
ええ。
堀江
休日なんで、サンフランシスコ湾には、
たくさんのヨットが走ってました。
そのうちの1隻が、
こっちにバーッと近づいてきてくれて。
──
導いてくれたんですよね、たしか。
堀江
ぼくが、
マストの横に黄色い旗を揚げてたんで。
昔、船で外国の港に入ってく場合には、
パスポートと、
イエローカードという紙が必要だった。
アメリカの場合は、
天然痘の証明書が必要だったんですね。
──
なるほど。
堀江
そのとき、黄色い旗を揚げるのは、
検疫お願いします‥‥という意味です。
外国の港へ入港する場合は、
イエローフラッグを揚げていくことは
国際法で定められた海のルールでした。
──
へぇ‥‥。
堀江
それで、ちっちゃいヨットなんだけど、
黄色い旗を揚げているっていうことは、
外国から来たんだと思って
こちらへ近づいてきてくれたわけです。
──
ええ、ええ。
堀江
ただ、日本から来たとは思わなかった、
なんて言われましたよ。
せいぜい、
カナダかメキシコあたりからだろうと。

──
まさか、太平洋を渡ってきたとは。
堀江
その船には、5~6人が乗ってました。
カリフォルニア大学バークレー校の
学生さんが、
家族でヨットに乗って遊んでたんです。
あちらのほうから声をかけてくれて、
「どこから来たんだ」
「日本から来ました」と。
──
おお。
堀江
「パスポートを持ってないんですけど、
どうしたらいいですか」
と聞いたら、
「オーケー、俺らについてこい」って。
──
カッコいい。
堀江
そのヨットは
マーメイド号の2倍くらいの大きさで、
しかも、
ぼくのヨットの底には貝が付いてるから、
半分くらいしかスピードが出ない。
並走して、誘導してくれてたんですけど、
ぼくのヨットが遅すぎて、
すぐに彼らと距離が空いてしまうんです。
それでも、何度も引き返してきてくれて。
──
ええ。
堀江
あっちの船長が
「日本からってお前、何日かかったんだ」
と聞いてきたので
ぼくが「94日」と言って、
帽子を脱いで、
3か月間、散髪に行ってない頭を見せた。
──
はい。
堀江
そしたら船長も白い帽子を取ってくれて、
彼は40代後半くらいだったのかな、
俺にはもう髪の毛があんまりないぞって。
──
リラックスさせてくれた。
アメリカ流のジョークで(笑)。
堀江
彼とは仲良くなって、その後も
何回も会ってゴハンを食べたりしてます。
──
いいですね、そういう間柄。
堀江
東洋人がヨットで来た日のことは、
彼のダイアリーにも書いてあるそうです。
──
堀江さんは、着いたらどうしようだとか、
誰に会おうとかも決めず、
その場の一発勝負で出発したんですよね。
堀江
そうそう。
──
どうやって入国すればいいかはわからず、
黄色い旗を1枚、たずさえて。
堀江
黙って入国する気はなかったから、当然。
太平洋を渡るのが目的だから、
もしも何かの法律に違反していたら、
煮るなり焼くなり、
料理してくれたらいいと思ってましたね。
──
その覚悟を持って。
堀江
最悪の場合でも、
死刑にはならんだろうと思ってましたし。
アメリカという国なら、
ひとりでヨットで海を渡ってきたやつを、
死刑にはせんでしょう。
──
そこは、ある意味、
自由とチャンスの国・アメリカを信じて。
誘導されたあとは‥‥。
堀江
すぐにコーストガードの船が来ましたよ。
──
沿岸警備隊。
日本から来たと言ってる若者がいるぞと。
堀江
彼らの指示で帆を下ろし、
ボートで引っ張ってもらって船を停めて。
最初に検疫の担当官がやって来て、
たったひとつのことを聞かれたんですよ。
──
ひとつ。
堀江
そう、ヨットにネズミはいないか‥‥と。
いや、ネズミなんかいませんと言ったら、
それでもう検疫はオッケーでした。
──
病気を持ち込む心配はない、と。
堀江
それもルールなんです。
今でも、ヨットで外国の港へ入るときは、
入国手続の際、パスポートに加えて、
ネズミはいませんという証明書もないと、
入れないんです。
──
そんな証明書があるんですか。
堀江
このへんなら、神戸の和田岬の検疫所で、
係官にバーンとハンコ押してもらう。
──
ネズミいませんよ、のハンコを。
堀江
そう。

(つづきます)

2020-12-02-WED

前へ目次ページへ次へ
  • 連続インタビュー 挑む人たち。