900点超におよぶ
膨大な森山大道初期作品のなかから、
60数点を選り抜いて展覧会を構成した
写真家の小林紀晴さん。
母数が900点以上あるということは、
展覧会の切り口は、ほぼ無限‥‥。
そこから、どんなふうに
展覧会のテーマをしぼっていったのか。
そこには、
「暗室の中の森山大道さん」にたいする
同じ写真家としての「疑問」があった。
全5回。担当は「ほぼ日」奥野です。

>小林紀晴さんのプロフィール

小林紀晴(こばやしきせい)

1968年長野県生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。新聞社にカメラマンとして入社。1991年独立。アジアを多く旅し作品を制作。近年は自らの故郷である諏訪地域を、独自の視点で見つめなおし作品制作を行っている。近著に『愛のかたち』 『kemonomichi』 『ニッポンの奇祭』 『見知らぬ記憶』 『東京「水流」地形散歩』 『まばゆい残像』 など。最新写真集に 『孵化する夜の啼き声』 がある。1997年『DAYS ASIA』で日本写真協会新人賞、2013年『遠くから来た舟』で第22回林忠彦賞受賞。東京工芸大芸術学部写真学科教授。

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第1回 オリジナルプリント900枚。

──
昔「東京写真大学」という名前だった
こちらの東京工芸大学のギャラリー
「写大ギャラリー」には、
森山大道さんのオリジナルプリントが
900枚以上も所蔵されていると。
小林
ええ。1976年までの作品と、
1982年に出版された『光と影』に
収録されていた作品です。
──
収蔵されたのは、いつごろなんですか。
小林
まず、1976年の10月に
ここで森山さんの展覧会がありまして、
そのときと2003年の2回にわけて、
収蔵されています。
──
あ、じゃあ、はじめて収蔵されたのは
もう40年以上前のできごと。
小林
そうなんですよ。
当時、展覧会については
細江英公先生が声をかけたようです。
──
三島由紀夫の写真で有名な方ですね。
森山さんの師匠でらっしゃる。
小林
はい、その細江英公先生が、
写大ギャラリーの運営委員長当時に、
森山さんに、
ここで展示をやらないかと。
──
お誘いになって。
小林
そのとき持ち込まれた約900点を、
展覧会終了時に
ギャラリーでまとめて購入しました。
さらに2003年に
森山さんの展覧会を開催したときに、
『光と影』収蔵作品のプリント30点を
新たに収蔵したんです。
──
そういう経緯で、森山さんの作品が、
大量にコレクションされていると。
小林
雑誌媒体を中心に発表された作品、
写真集に掲載された作品、
それに、まったくの未発表の作品。
そういった作品の
オリジナルプリントが900枚超。
──
すごい数ですよね。900枚超‥‥。
じゃ、そのコレクションを活用して
こうして
たまに展示してらっしゃるんですか。
小林
展示はこれまで‥‥3回しています。
だから、今回で4回目ですね。
7年ぶり、4回目の森山大道展です。

写大ギャラリー 展示風景 写大ギャラリー 展示風景

──
その展覧会の展示構成を、
今回は小林さんが担当された‥‥と。
小林
そうですね、たまたまなんです。
──
たまたま。
小林
はい。
──
森山大道さんの展覧会の展示構成という
そんな大役を、たまたま?
小林
ええ、今回の経緯を話しますと、
工芸大の中に、
芸術学部の教員が中心になって構成する
「写大ギャラリー運営委員会」
という組織があります。
──
ええ、運営委員会。
小林
当初、運営委員のなかに
吉野弘章先生という方がいたのですが、
昨年4月に工芸大の学長になりまして。
──
おお、学長さんに。
小林
運営委員に1名、欠員が出てしまったと。
そこで、ぼくが、
その新米運営委員に選ばれまして、
同時に、森山さんの展覧会の展示構成も、
任されることになったんです。
──
そのような「たまたま」ですか。
小林
ぼくも写真家なんですけど、
自分の展示構成は
何度もしたことがあるのですが、
自分以外の写真家の展覧会の
展示構成するのは
それほど経験したことがなく。
──
そうなんですか。
でも、今回は「森山大道さん」で、
それも、900点ものコレクションから、
展覧会を構成する‥‥。
小林
はい。ぼくも、ここの卒業生なんですが、
ふだんは収蔵庫に入っている作品ですし、
正直、ほとんど見たことがなかった。
もちろん森山さんのことは知っていたし、
大好きでリスペクトしていましたが、
ここの900点のコレクションは未見で。
──
ええ、ええ。
小林
ただ、最近は、
オリジナルプリントを実際に見る授業を
積極的にやっているので、
ぼくが学生のときよりは、
いまの学生の方が、目にする機会は多いです。
ついこの間も‥‥昨年の秋、2年生を中心に、
ここで
森山さんの作品を実際に見たりはしてますが。
──
なるほど。
小林
でも、ぼくが学生のころは、
「オリジナルプリント」に対する意識が、
今ほど高くなかった気がするんです。
──
え、そうなんですか。
いまは
「森山大道さんのオリジナルプリント」
なんて言ったら
「わあ!」って感じだと思いますが。

写大ギャラリー 展示風景 写大ギャラリー 展示風景

小林
おそらく、森山さん自身もそうだったと
思うのですが、
70年代くらいまでは、
写真のプリントって、
雑誌や写真集を印刷するための
「印刷原稿」という意識が
高かったのだと思います。
──
ああ、なるほど。
写真ではないですけど、
中原淳一さんの描いた直筆のイラストも
当時、同じような状況で、
雑誌をつくる過程で
散逸してしまったものも多いと聞きます。
小林
そうなんですか。
ぼくも23からフリーでやっているのですが、
編集部にプリントを渡しても、
雑誌は送られてくるけど、
その元のプリントは戻って来ないことが、
当たり前にありましたから、90年代でも。
だから70年代だと、
より、その傾向がより強かったはずです。
──
そうですか‥‥そういう時代だった。
小林
結局‥‥とくにプリントの場合は
ネガが手元にあるから、
カメラマンのほうでも、
そこまで
プリントに対しては意識が高くなかったはずです。
編集部と写真家双方、そうだったんです。
それより雑誌や写真集に、
きちんと印刷されているかが重要だった。

──
巨匠と呼ばれる人のプリントも、
じゃあ、それくらいの扱いだったという。
小林
少なくとも
印刷物を目的にしたプリントは
そうだったと思います。
だんだん、変わってきてますけどね。
とくにデジタル以降、
逆にフィルムで撮られた
オリジナルプリントの価値は
高まってきていますし。
──
ああ、なるほど。
小林
当然、森山さん自身に対する評価も
年月が経つにつれて、
どんどん高まってきていますから、
そういう要素もあると思いますが。
──
そのような事情を考えても、
900枚もの
森山大道さんのオリジナルプリントが
残されているということは、
あらためて、すごいことですね。
小林
そうなんです。
で、その900枚をどうするか‥‥で。
──
ああ、そうでした。展示構成の話。
小林
ずいぶん悩みました。
──
森山大道さんの展覧会‥‥なんて、
やり尽くされているくらいでしょうし。
最終的には、どういった‥‥。
小林
暗室の中の森山大道さん‥‥ですかね。
軸というか、方針の核になったのは。

森山大道 『provoke第3号』 森山大道 『provoke第3号』

(つづきます)

2021-04-16-FRI

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