1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。
イラスト:サユミ
#19
物語をつくる人は。
『北の国から』第22回のあらすじ
いよいよ丸太小屋の組み立て工事が開始した。
そこへ突然こごみが現れ、純は激しい反感を示す。
「冗談じゃねえよ! 飲み屋に勤めてる女なんだぞ!」
だが職業でとやかく言う考え方は許さないと
純を厳しく叱責する五郎。
前回の終わりでつららさんが
「もう麓郷には戻らないと思う」と
ほかでもない雪子さんに、
すっきりした表情で語ったことで、
すべてがまるく収まったわけではないけれど、
ずっと引きずっていたことが
ひとつ終わったような気がしていた。
同じように、周囲を悩ませていた
五郎さんとこごみさんの関係も、
中ちゃんとのたいへん地味でハードボイルドな会話で、
いちおうの決着を見た気がしていた。
試合でひどい負け方をした草太は、
「あれから何も言わなかった」という
冒頭の純のモノローグによって、
それはそれで落ち着いた気がしてた。
おまけにもうUFOの気配もない。
そして、秋空の下、
丸太小屋の建設がはじまる。
純も螢もそれをたのしみにしている。
雪子さんも中畑材木店の人たちもそれを手伝う。
久々の「DASH村」モードである。
思えば、のこりあと3話だ。
終わりに向かって、
物語が観る人たちに礼儀を払いながら
幕を下ろしていく気配をぼくは感じていた。
いまさら言うのもなんだけど、
このコンテンツでは、いわゆる「ネタバレ」を
あまり深く気にせず書き進めてきた。
40年も前のドラマだし、
いま放送されているものでもないし、
読む人の像はどちらかというと
かつて熱心に見た人が懐かしく思い出しながら読む
という感じかなとも思ったので、
大事な展開なども気にせず書いてきた。
回の冒頭にあらすじを配することで
その姿勢はあらかじめやんわりと伝えたつもりだ。
でも、今日これから書くことは
すこしレベルが違うような気もするので、
一度だけお知らせしておきます。
これから観ようと思っている人、
観ながらこれを読んでいる人は、
ぜひ、観てから読んでね。
言いましたよ?
さて、ぼくは幼いころから、
たくさんの物語に触れてきた。
量は胸を張って平均以下だと言えるけど、
それでもそれなりに、
本を読んだり、映画を観たり、
漫画を読んだり、アニメを観たり、
ドラマを観たり、お芝居を観たりしてきた。
ぼくはしばしば思う。
物語をつくるって、どういう気持ちなんだろう?
というのも、物語をつくる人は、
ほぼかならず、登場人物に、
なにかのかたちの不幸を与えなければならない。
もちろんそういう要素の極端に少ない物語もあるけれど、
たいていの場合はなんらかの不幸が
物語のどこかに生じ、登場人物たちがそれを
乗り越えたり受け入れたりすることで、
お話は進んでいく。
物語の登場人物は、魅力的に描かれる。
あたかも、そこにそうして生きているかのように。
だからこそ、物語は受け手をぐいぐい引き込んでいく。
たぶん、その人物がその人物らしく
その物語のなかで振る舞うまでに、
うかがいしれない苦労があるのだろうと思う。
だからこそ、ぼくはしばしば思う。
物語をつくるって、どういう気持ちなんだろう?
物語のなかの大切なひとりを死なせてしまうって、
どういう気持ちなんだろう?
『タッチ』を描いたときのあだち充先生は、
どういう気持ちだったんだろう?
『ONE PIECE』のマリンフォード頂上戦争編を
描いたときの尾田栄一郎先生は、
どういう気持ちだったんだろう?
ああ、あんまり例を挙げてはだめですね。
とりわけ、考えてしまうのは、
長く続いた物語のなかで、
大切な誰かが死んでしまうときである。
作者は、つらいのだろうか?
それとも、つらさなどを感じていては、
物語はつくれないのだろうか?
司馬遼太郎先生の『竜馬がゆく』は、
いうまでもなく坂本竜馬の生涯を描いたもので、
その意味では主人公が死んでしまうことは必然である。
当然、司馬遼太郎先生も、
そのことは重々承知だったはずだ。
にも関わらず、司馬遼太郎先生は、
物語の後半に彼との別れが近づくにつれて、
それを明らかに嘆く。
なんなら、引き延ばそうとする。
そこがぼくはたまらなく好きだ。
その場合の作者と人物の関係がウェットだとすると、
倉本聰先生の場合は、
人物との関係がドライなように思える。
けれども、こころのなかはわからない。
倉本聰先生は、どういう気持ちで、
『北の国から』を書いたのだろう?
どういう気持ちで、
この第22回を書いたのだろう?
令子さんが、
純と螢のおかあさんが、死んでしまった。
(そんなことになるとはまったく思わなかったわけで。)
2020-02-21-FRI