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第2回 ともだちのこと、親のこと、成長のこと。

──
糸井さんに、ご自身が過去に書いた
「こども」についてのことばについて
語ってもらっています。
つぎのことばは、こちらです。
「娘の娘」に、なにをプレゼントできるだろう?
という文脈で書かれたことばです。

糸井
ともだちって、前提として他人だというのが
すばらしいことなんですよね。
他人なのに、こんなにいろいろ
つながることができる。
そこが、ダイヤモンドですよね。
親とか兄弟とか親戚とかは、
深い関係ではあるものの、それにくらべると
イボみたいなもんでさ(笑)。
いってみれば、じぶんの分身だからね。
一方、ともだちというのは、他人だし、
じぶんから離れているものでありながら、
手を伸ばしてつながることができる。
それは、シナプスの冒険を想像させますよね。
──
糸井さんがかつて池谷裕二さんの
研究室でご覧になったという、
神経細胞のシナプスの動きですね。
暗闇のなかで、互いに手を伸ばして、
つながろうとしている動き。
糸井
うん。それはすごいことだよねぇ。
誰もいない、なにも見えないところに
手を伸ばしてつながるわけだからね。
ともだちって、会ってなくてもともだちだし、
いなくてもその人のことを語れるし、
すごいものだと思います。
一方で、親っていうものは、
こどもの側からすると、ある意味、
粗末に扱ってもいいんだよ、って
ぼくなんかは思っているところがある。
──
粗末に扱っていい、というのは。
糸井
うーん、なんだろうなぁ、
つまり、親との親しさというのは、
ある種の冷たさを含んでもいい。
そんなふうにぼくは思うんです。
たとえば、親が死んでから、
もっと会っておけばよかったって思っても
遅いんだよ、って言われるんだけど、
そこまで含めて親子の関係なんじゃないかな。
夫婦もそれに近いところがありますよね。
もっと大事にしてあげたかったな、
というところまで含めて夫婦。
でも、ともだちに関しては、
その距離感も一緒につくっていくというか、
親しいし、他人だし、微妙なものだし、
特別なものだと思うんですよね。
なんというか、ともだちっていうアート?
──
(笑)

糸井
そんなふうに思うんだよねぇ。
でも、そのあたりの感覚は、もしかしたら、
ぼくがふつうじゃないのかもしれない。
親子だとか、家族についての考え方が、
たぶん、他の一般の人よりも、
ぼくは距離がありすぎるんだよね。
わかんないけど。
──
でも、「ふつうの家族」の基準って、
ないですもんね。
サザエさんちの家族が基準かって言うと、
そういうわけではないし。
糸井
そうですね。
そういう基準も時代によって変わってくるし。
とくに、新型コロナウイルスの影響とかで、
いろんなものとの関係が変わってきてるからね。
でも、このへんのことばって、
コロナの前に書いてるんだよね?
──
はい。2019年のことばです。
糸井
それは、なんだろうねぇ(笑)。
おもしろいですね。
予兆を感じたりしているのかな。
──
ご本人に解説するのも変ですが(笑)、
2018年はブイヨンが亡くなった年なんですね。
それとほんとにクロスするように、
「娘の娘」さんが生まれて。
その成長を見ながら、2019年は、
「こども」についてのことばが増えていく。
糸井
ああ、なるほどね。
生まれるとか、死ぬについて
考える時期だったのかもしれない。
──
成長ということでいうと、
こういうことばも書かれています。

糸井
‥‥そのとおりだよ。
──
(笑)
糸井
俺が言ったかのようだ。
──
言ったんですけどね(笑)。
糸井
さっき言ってたとおり、
ブイヨンが亡くなって新しくブイコが来た時期と、
「娘の娘」が生まれた時期が近いんですね。
だから、子犬の成長と、赤ん坊の成長を
同じ時期に感じることができた。
そうすると、子犬の変化はあるところで
だんだん安定してくるんですね。
ところが、赤ん坊はもう、
とにかく、だいたい毎日違う。
いろんなところがちょっとずつ成長する。
それはやっぱりすごいことでさ。
それと同じことが70歳を過ぎてる
じぶんの中にもあるんだよなぁ‥‥。
って、書いたことと同じことを言いましたが。
──
(笑)
糸井
あ、社員にも、それは思うね。
──
社員は、子犬寄りですか、赤ん坊寄りですか。

糸井
赤ん坊のほうです。
だって、あのころにはこんなことできなかった、
ということだらけじゃない?
──
そうですね。
糸井
それがいまだにあるじゃないですか。
それはなかなかいいことだと思いますよ。
まだまだ赤ん坊です。
──
励みになります(笑)。

(つづきます)

2021-07-13-TUE

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