- ──
- 「読み聞かせ」についてのことばです。
まだ、お話の意味もわかるかどうかというときに、
「娘の娘」さんが、絵本の読み聞かせを
してもらってるのを見て、こう書いてます。
- 糸井
- うん。驚いたんですよ。
読み聞かせをしてもらっているあの姿が
ちゃんと「聴いてる」んだよね。
どのことばも知らないはずなのに。
あと、おもしろかったのはね、
ぼくも読み聞かせをやってみたんですよ。
「もぐらが出てきました」みたいな絵本をね。
そしたらね、あとで読み聞かせをやった
かみさん(樋口可南子さん)のほうがうまいんです。
- ──
- ああー、そうなんですか。
- 糸井
- 明らかにうまいんだよ。
赤ん坊が聞いている様子を見てるとね、
こう、本と読んでる人の顔とを、
見比べるように聴いてるんですよ。
なんていうか、そういうことがあらかじめ
インプットされてるんじゃないかな、人類に。
その様子はね、ちょっと、
「美しい」という感じがしましたよ。
意味はわかってないんだけどね。
だから、ことばっていうのは
意味から学ぶんじゃないんだな、
ということを思いましたね。
で、原稿にも書いてるけど、
「ことばのやり取りって愛撫なんだな」
って思ったんです。
そういうことが、いちいちおもしろくてさ。
- ──
- おもしろいですね。
- 糸井
- じぶんが若いころに、
こういうことに気づいてたら、
もうちょっと教育パパとして、
なんかやりたくなったかもしれない(笑)。
でも、「娘の娘」だから、適度な距離感で
おもしろがることができるんです。
- ──
- そういう、実際の親子とは違う、
客観性とか冷静さは、
読んでいてもほどよい感じがします。
- 糸井
- うん。
あんまりべたべたしすぎるのもね。
- ──
- それでは、最後の言葉です。
すごく短いんですが、
大きな意味を含んでいるような気がして。
- 糸井
- ぜんぶ、よくも悪くも、だよね。
よくも、悪くも‥‥。
- ──
- その、「悪くも」というのは?
- 糸井
- なんていうかな、いまになって、
こども時代のじぶんが考えたことやら、
やったことやらを、
ぜんぶ許す前提で思い出せるんですよ。
- ──
- 「許す」。
- 糸井
- うん。こどものころのじぶんをね、
これはいいとか、これはいけないとか、
ひとつひとつを思い浮かべるんじゃなくて、
いまはもう、ぜんぶ許してるわけです。
だって、それでいままで来ちゃったわけだから。
- ──
- ああー。
- 糸井
- お母さんにただ甘えられる
っていうことのすごみとかね。
だから、「娘の娘」とかを見てると、
「いいなぁー!」と思うわけ。
「がんばれー!」って思うわけ。
俺にそっちのすごさを見せてくれ、みたいな。
そういう気持ちはあるよね。
- ──
- なるほど。
- 糸井
- だから、ぼくが、こどもについて
なにか書いたりするときは、
ふだん、なにか書くときよりも、
明らかに本気度が強いと思う。
- ──
- はい、そう思います。
- 糸井
- だから、おもしろいね。
そんなのでじぶんができてるんですよ。
そういうことがわかるようになったのも、
ここ数年のことだなぁ‥‥。
- ──
- やっぱり大きかったんですね、
その人が生まれたということが。
- 糸井
- そういうことですねぇ。
いやぁ、日々、いろんな発見をしてますよ。
こんなところにしておきましょうか。
うーん、思いのほか、
真面目に話しちゃったなあ(笑)。
- ──
- ありがとうございました。
(糸井重里のインタビューはこれで終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました。)
2021-07-14-WED