写真評論家の飯沢耕太郎さんに、
森山大道さんの「写真」がどいうものか、
いろいろうかがいました。
一貫して路上を撮ってきた森山さんの
特異性、魅力、その功績。
さらには、あの有名な「三沢の犬」が、
「どうして有名なのか」という、
なんとも素朴な(?)ギモンについても
丁寧にお答えくださいました。
最後には「撮れちゃった写真」の大切さ。
これには、なるほど~とうなりました。
「撮った写真」じゃなく
「撮れちゃった写真」が、なぜ凄いのか。
「撮れちゃった写真」を撮れるのが、
素晴らしい写真家なんです‥‥と。
全6回の連載、担当はほぼ日の奥野です。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。1954年、宮城県生まれ。1977年、
- ──
- 飯沢さんが写真と出会ったのは‥‥。
- 飯沢
- ぼくは、大学の写真学科です。
- でも、ただなんとなく入っちゃって、
写真を撮るという行為が
そこまで好きでもなく、
向いてもいないな‥‥ということが、
一週間くらいでわかった。
- ──
- あ、そうなんですか。
- 飯沢
- 何ていうのかな、
おもしろいのは現実世界だと思った。 - で、その現実の世界への入口として、
写真はおもしろいなあと思う。
- ──
- なるほど。
- 飯沢
- 現実世界を切り取ったり、
そのことによって認識していったり、
メディアとして興味深いと、
徐々に、気がついていったんですね。 - 写真学科の3年生くらいになったら、
もう写真はほとんど撮らず、
日本の写真の歴史についての論文を
一生懸命に書いてましたね。
- ──
- それは、どういった内容の?
- 飯沢
- 1930年代くらいの
戦前の日本の写真をいろいろ調べて、
卒業論文にまとめたり。 - そのころ、筑波大学の大学院が、
ちょうど学生を募集しはじめたので
筑波に移って博士論文を書きました。
最初は「古い写真」について
書いてたんだけど、だんだん
何でもやらなきゃいけなくなってね。
森山さんや荒木さんについても、
いろいろと書くことになったんです。
- ──
- 当時、写真評論家という人は、
他にあまりいなかったわけですよね。
- 飯沢
- 写真についての若手の研究者が
一斉に出てきたのが、ぼくらの世代。 - 写真という表現が
アート化しはじめる時期だったので、
写真美術館ができたり、
まあ、おもしろい時代だったですよ。
- ──
- 自分は大学を出て
ファッション誌編集部に配属されるまで、
写真のことは
ほとんど興味なかったんですけど、
毎日、仕事で写真に接する中で、
自分の好きな写真がわかるようになって。
- 飯沢
- あ、そこがいちばん大事なところだよね。
- ──
- そうですか、やっぱり。
- 好きな写真がわかるようになったとたん、
一気に興味が出て、
写真集を買いだしたりしたんです。
- 飯沢
- 好きな写真がわかってきたら、
好きな写真を撮っている写真家さんって
どういう人なんだろう‥‥
ということが気になってくるよね。 - そうなると、写真家としての経歴だとか、
作品のスタイル、
その写真家が写真の歴史の中で
どういう位置を占めているかが、
だんだんわかってくるようになるんです。
- ──
- そうなると、もう、おもしろいです。
- 飯沢
- だから写真集との出会いは大事なんです。
- その写真家の世界観がパッケージされて、
1冊の本になっているわけだから。
- ──
- 自分は、写真を見たときに
やたらとドキドキする感覚があるんです。 - それって、自分の好きな「絵」を見ても、
湧いてこない感情でして。
- 飯沢
- ああ、わかります。
これは現実なんだという感覚なのかなあ。 - 絵画の持つ力はもちろん認めながら、
何なんだろうね、
写真の持つ、絵とは別の独特な魅力って。
ぼくもずーっと考えているんだけど。
- ──
- 昔の写真を見ると、とくにです。
- ああ、ここに写ってるものは現実だけど、
もうどこにも存在していない‥‥という。
- 飯沢
- それはあるね。
- かつてこの人たちは生きてたんだという。
自分の記憶を刺激する力は、
絵よりも写真の方が大きい気はするなあ。
- ──
- なるほど。
- 飯沢
- この写真はどこかで見たことがあるとか、
自分もいつか経験したことがある、
そういう既視感が関係してるんですかね。 - 過去の記憶を刺激する力と、
新しいものの見方を教えてくれる力との、
その両方を持っているところが、
写真というものの魅力なのかもしれない。
- ──
- ああ、なるほど。そういうことなのか。
- 飯沢
- でもね、写真家がおもしろいんですよね。
本当はね。
- ──
- 写真家さんご本人が。
- 飯沢
- だってさあ、写真という表現に惹かれて
集まってくる人って、
何だかもう、みんな変わった人ですもん。 - 森山さんにしたってそうでしょう。
ご本人そのものが、つねにおもしろいよ。
- ──
- ご本人のおもしろさが、
その視線のおもしろさに反映して‥‥。
- 飯沢
- そうそう。本人のあり方、本人の生き方、
本人の経験、本人の記憶、
そういうものが、すべて直接に出るから。
- ──
- 写真、には。
- 飯沢
- だから、森山さんの写真を見ているとね、
ああ、森山さんって
こうやって街を歩いて写真を撮ってんだ、
つまり森山さんの街の歩き方‥‥
ひいては人生とか生き方、
そういうものを追体験できるんですよね。
- ──
- ええ、ええ。
- 飯沢
- それは絵画よりも一層「なま」だと思う。
- ──
- たしかに、そうかもしれないです。
- 飯沢
- 写真を見たときに感じる、独特の感覚。
- そこに写っている世界や人物やモノと
撮った本人との関係性が、
あらゆる意味で密着しているでしょう。
- ──
- そうですね、そんな気がします。
- 偶然に関係ない人が写り込んでいても、
そのときそこにいたこと自体に、
すごく運命的な何かを感じちゃいます。
- 飯沢
- そう、そういう感覚って、写真に独特。
- それが写真のおもしろさのひとつだし、
こわいことに
写真家の無意識の部分も出てくるから。
- ──
- 出ちゃう。無意識が。
- 飯沢
- 意識的に構築できる部分以外の何かね。
- 無意識が、じわじわにじみ出る。
きっとそういうものの出ている写真が、
おもしろい写真なんじゃないかな。
- ──
- その人の奥底の何かが、出ている写真。
- 飯沢
- 撮った本人も気がついてない部分って、
絶対あると思いますよ。 - だから、今日のはじめのところで
「三沢の犬」の写真を
森山さんの自画像だって言ったけれど、
それも、
ある意味では「後付け」というか。
- ──
- と、おっしゃいますと。
- 飯沢
- 仮に、あの写真に
森山さんの写真家としてのあり方が
写っていたとしても、
森山さんご自身、
自分で撮ったあの写真を見て、
自分で驚いちゃったんじゃないかな。 - そういうことはあるような気がする。
- ──
- 自分の無意識を目の当たりにして、
自分で驚いちゃう。
- 飯沢
- 絵の場合、ほとんど「意識」だからね。
- ──
- そうですね。
- 無意識や偶然性を重んじた
シュルレアリスム‥‥みたいな芸術も
ありますけど、ふつうは。
- 飯沢
- ああ、自分は
こういう見方をしていたのかあって、
出来上がった写真を見て
はじめてわかることもあると思うな。 - 自分の意識を超えて、
無意識のレベルで考えていたことが。
- ──
- 写っちゃう、と。
- 飯沢
- そう、で、それはなぜかっていうと、
カメラが「機械」だから。 - 素晴らしい絵描きが
絵筆をコントロールするのと同じく、
素晴らしい写真家も
カメラをコントロールするんだけど、
相手が機械だけに、ときとして
そのコントロールを超えちゃう‥‥
みたいなことがあると思うんだよね。
- ──
- そこに写真のおもしろさが、宿る。
- 飯沢
- その点、最近のデジカメって、
逆にコントロールしやすくなってる。 - となると、写真表現として、
撮った人もびっくりしちゃうような、
そういう経験が減ってしまう。
もったいないなという気がしますね。
- ──
- 自分の枠内に収まってしまうことは
おもしろくないですよね、何にせよ。
- 飯沢
- こういう写真が撮りたいなと思ったら、
簡単に撮れてしまう時代だし、
しかも、
撮れたかどうかすぐに確認できちゃう。
- ──
- テクノロジーの発達によって、
何かが整い過ぎちゃうみたいなことが。
- 飯沢
- その意味では、
「撮れちゃった写真」っていうものが、
すごく大事なんだと思うよ。 - 「撮った写真」じゃなくて
「撮れちゃった写真」。
- ──
- つまり、自分のコントロールを超えて、
無意識とか、
偶発的な何かが写ってしまうような‥‥。
- 飯沢
- だって、「三沢の犬」なんて
完全に「撮れちゃった写真」でしょ。
そこに「凄み」が宿っている。 - たぶん、そういう写真を撮れる人が、
素晴らしい写真家なんだと思います。
(終わります)
2021-04-14-WED