ふとしたきっかけから、糸井が
「対談してみたい」と思っていた方と、
その場が設けられることになりました。
お相手は、NHK「クローズアップ現代」で
23年にわたりキャスターを務めた国谷裕子さんです。
日々、森羅万象のテーマを取り上げ、
時事問題に切り込み続けてきた国谷さんだけに、
発せられることばは、まっすぐで、
洞察力に満ちていて、
「こういう番組に出たかった」と、
思わず糸井もつぶやいたほど。
国谷さんの視点、かっこよかったです。
国谷裕子(くにやひろこ)
国谷裕子(くにやひろこ)
大阪府生まれ。米国ブラウン大学卒業。
NHK衛星「ワールドニュース」キャスターなどを経て、
1993年から2016年までNHK総合「クローズアップ現代」の
キャスターを23年間にわたって務める。
2012年に菊池寛賞、2011年に日本記者クラブ賞、
2016年に放送人グランプリを受賞。
現在、東京藝術大学理事、
国連食糧農業機関の日本担当親善大使。
著書に『キャスターという仕事』(岩波新書)。
第1回
何のために自分はいるのか。
- 糸井
- 今日同席してくれているNHKの河瀬さんから、
「国谷さんと対談をしてみませんか」
というお話をいただいて。
「そりゃ、やってみたいです」と。
どうぞよろしくおねがいします。
- 国谷
- よろしくおねがいします。
糸井さんには番組にも出ていただいて。
- 糸井
- 「クローズアップ現代」ですね。
あれ、昔からある番組だけど、
国谷さんという人が真ん中に座っていることが、
ぼくはすごくおもしろかった。
- 国谷
- そうですか。
- 糸井
- でも、ぼくが番組に出たとき、
めちゃくちゃなことを言ってしまった覚えがあります。
たしか、IT企業の入社試験がテーマで、
学生の地頭力を問う、みたいな話で、
「そんなことをやって何の意味があるのか」
と言ってしまって‥‥。
- 国谷
- おもしろかったですよ。
一生懸命、理屈をつけてVTRを作った内容に対して、
「何の意味があるの」って。
- (NHKの河瀬さん)
- でも、国谷さんもそうなんです。
「クローズアップ現代」って、
放送前日に、翌日のVTRの試写をするんですけど、
ディレクターがガチガチにロジックを立てて
力を入れて仕上げたときほど、国谷さんは
「うーん、わかんない。
これ、本当は違うでしょう?」って、
痛いところを突くんです。
- 国谷
- あの番組では同じテーマを
再び取り上げることがありましたが、
担当ディレクターは、そのとき
自分の視点で大事だと思うことを中心に
ストーリーを組み立てます。
でも私は、以前取り上げたときに
本質だと思われたことは、
その後どうなったのだろう、と疑問がわいて。
新しい切り口にだけ光を当てることに
違和感をおぼえることがときどきありました。
- 糸井
- ある種のテレビの人たち特有の、
自分が持ってきた新しいテーマで手柄を立てたい、
という気持ちが透けて見えるというか。
- 国谷
- 新しいものを見つけた、というような。
でも、そういう、
ディレクターとのディスカッションこそが
番組づくりの醍醐味であって、たのしかったです。
- 糸井
- おそらく視聴者も、
国谷さんのそういうところを
信用してたんじゃないかと思うんです。
- 国谷
- そうですかね。
- 糸井
- いまの時代、放送局の中で
ひとりで司会をしている人って
ほとんどいないですよね。
だいたいが漫才形式になっていて、
たとえばひとりが
「これ、どうでしょうか。私は信じられませんね」
と言ったときに、
もうひとりは、ツッコミ役、
あるいは常識人の役をしなくちゃ
いけないような流れになっている。
その役ばかりしていると、
メインに立ったときに信用を得られなくなってしまう。
- 国谷
- 既成概念を言わないといけない人、
みたいになっちゃうわけね。
- 糸井
- そうそうそう。
特に女性のアナウンサーが
その役をせざるを得なくなっていて、
これは、テレビ界が作った女子アナ悲哀物語、
という感じがするんです。
だけどぼくは国谷さんには
一度も同情したことがない(笑)。
この人がやってる番組は見られる、って思ったんで。
そもそも、アナウンサーじゃないですよね。
- 国谷
- はい。アナウンサーの訓練は
一度も受けたことないです。
- 糸井
- それで、「なんとか評論家」でもないわけです。
- 国谷
- でもないです。
- 糸井
- ジャーナリストとも自称してないし。
- 国谷
- そう、自称していませんでした。
- 糸井
- (笑)
だんだんおもしろくなってきた。
立場は違うんだけど、ぼくも近いんですよ。
ぼくもいわば「素人」だから。
国谷さんも、何かのプロだったり、
ここは自分の領域だ、みたいなことって‥‥。
- 国谷
- ないの。
専門素人みたいなものです。
それで30年‥‥恵まれていたかもしれません。
- 糸井
- でも、素人であり続けるって難しいです。
たとえばお相撲に詳しい人を
番組に呼ぶんだったらお金を払うけれども、
ただお相撲が好きです、
という人にはお金は出せないですよね。
- 国谷
- 糸井さんも、
何かの専門家という位置づけではなく、
番組にお呼びしました。
この人だったら、
何かいいこと言ってくれるだろう、という感じで。
- 糸井
- 国谷さんも案外同じなんです。
相手側のツッコミだの、ボケだのがいらないから。
- 国谷
- 番組では、前説のなかで、
自分でツッコンで自分でボケて、
両方やらなきゃいけなかったんです。
だから時代が複雑になっていくと、
前説がどんどん長くなっていくわけ。
- 糸井
- あれを毎回やるのって、
とんでもなく大変ですよ。
たとえばニュース番組の最後に
「ここは、じっと見つめていく必要があります」
なんて自説のようなものを入れて終わるのは、
あれは最後だからできるんです。
国谷さんの場合は、冒頭で
自分の考えを述べなきゃいけないから、
どれだけ大変だったかと。
- 国谷
- 最初は、前説の時間が1分足らずだったのが、
いつのまにか3分になって。
「もともとはこうでした、でもこうなって、
また、こうなっています」
みたいに、丁寧に言うようになった。
前説を書き上げるのも
3時間くらいかかるようになってしまって‥‥。
だって私は、それをしないと、
スタジオにキャスターとして
自分がいることの意味が
わからなかったんです。
- 糸井
- 最高(笑)。
- 国谷
- 「クローズアップ現代」の前に担当していた
BSの番組はとにかくスタッフが少なく、
海外からのニュースを、
いわば右から左へと伝えているような状態でした。
そんななかでも、外国のニュースが、
日本国内においてどう受け止められているか、
という部分は、自分で書いて
番組の頭にプレゼンをしていました。
その後、地上波へ行ったら、ずいぶん体制が手厚くて、
試写に行くとたくさん人がいて、
構成表があって、前説の内容も書かれていれば、
「この人にはこう聞きなさい」という
一問一答まで全部書いてあった。
じゃあ私はいったい
何のためにいるんだろう、
ということに対して、最初から悩んじゃって。
- 糸井
- それがスタートなんですか。
- 国谷
- そうなんです。
全部用意してくれているなら、
何のために自分はいるんだろう、と。
- 糸井
- じゃあ、まずは我慢している時代が
あったわけですか。
- 国谷
- いえ、我慢しなかったです。
「私は自分で書きます」って。
前説部分もリハーサルはするので、
「現場で聞いて、問題があったら直してください」
と言って、自分で書いていました。
すごーく汚い手書きの字で(笑)。
- 糸井
- 国谷さんのそういうところが
視聴者に伝わってくるんです。
だから、ぼくは当時、
国谷さんと会ったこともなかったけど、
「この人の番組に出ませんか」と言われて、
「ああ、行こう」と思ったんです。
(つづきます)
2020-03-19-THU