この二人の対談、いままで
「ほぼ日」上になかったのが不思議なくらいです。
直木賞作家であり、最近では
「週刊文春」のエッセイの連載回数が
ギネス世界記録に認定されるなど、
常に第一線で書き続けている林真理子さん。
ご存知の方もいるかと思いますが、林さんは
かつてコピーライター講座で糸井と出会い、
東京糸井重里事務所(現:ほぼ日)で
働いていたこともあるんです。
このたび、山梨で開催中の「まるごと林真理子展」に
糸井が寄稿したのをきっかけに、
ほぼ日オフィスで対談を行いました。
ずっと会っていなかったという
長い年月を経て、いま互いに思うことは‥‥。

写真 小川拓洋

>林真理子さんのプロフィール

林真理子(はやしまりこ)

1954年山梨県生まれ。日本大学芸術学部卒。
コピーライターとして活躍後、1982年に
『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でデビュー。
『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞、
『白蓮れんれん』で柴田錬三郎賞、
『みんなの秘密』で吉川英治文学賞を受賞、
『アスクレピオスの愛人』で島清恋愛文学賞を受賞。
2018年、紫綬褒章を受章。
2020年には「週刊文春」で37年間続けてきた連載が
「同一雑誌におけるエッセーの最多掲載回数」として
ギネス世界記録に認定される。

 

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第8回 できることが増えていく。

糸井
最近、六本木で開催している
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの
展覧会に行ったんだけど、
それがすごく良かったです。
どっちも傷つけないように、嘘もつかずに、
大袈裟にもせずに展示してあって。
二人の人生を順に辿って見ていくなかで、
強く印象に残ったものがあって、
何かというと、オノ・ヨーコのサインなんです。

サインですか。
糸井
さらさらって書いてあるんだけど、
完全に昔の人の達筆なの。
それで我に返ったというか、
オノ・ヨーコは安田財閥のお嬢さんで、
彼女がやりたかった芸術も、
これまでの過程も何もかもサインの中に
入ってるなぁと思って。
誰も見てなくても、あなたはここにいる、
You Are Here、みたいな
コンセプチュアル・アートなんだよね。
それ見てたら、オノ・ヨーコのこと、
本当はもうちょっと理解できたはずなのに、
ざっくりとした認識だけで
今まで済ましてきちゃったなぁと、
もう、申し訳ない気持ちになりました。
わかるような気がします。
私、オノ・ヨーコさんには
「週刊朝日」の対談でお目にかかりました。
「今度ダコタ・ハウスに遊びに来て」って
おっしゃったんですけど、行けるわけないですよね。
糸井
そうだね(笑)。
すごくきれいで、
ヨーロッパの男性の貴族みたいな感じでした。
私の印象ですけど。

糸井
はぁー。
毅然としてて、かっこよくて。
昔の上流社会の人って、
階級がはっきりあった時代ですから、
私みたいな庶民、下々の者とは違う、という感じ。
それが筆跡にも現れているんですよね。
糸井
そう。もう、すみませんでした、って思った。
さっきの、林さん申し訳ございません、
って思ったのと同じ。
歳を取ってからそういうことの連続だよ、俺は。
いまだに、アンケートを取ると、
世界で一番有名な日本女性は
オノ・ヨーコさんですもん。
そのあと誰も出てこれないというのが、
ちょっとさみしいですけどね。
糸井
その位置をキープできているのがすごいよね。
ちょっとおかしかったのは、
字が矢野顕子に似てるんだよ。
ああ矢野さん。
はじめて矢野顕子さんにお会いしたのも、
糸井さんのところですよ。
最初は電話がかかってきて、糸井さんが
「アッコちゃん、久しぶりー」って言ってて。
その瞬間、当時のカルチャーの最前線が
私の目の前に押し寄せてきたんですよ、
わかります?

糸井
ドラマチックに言うなあ。
スタイリスト、コピーライター、デザイナー、
そういうカタカナの人たちが時代のスターで、
あそこから飛び出して、
いまもいろんな活躍している方がいらっしゃって。
特にあのころの写真家は、
いまもすごくないですか。
糸井
写真家はそうだね。操上さんとかね。
最近、私が講演会でもよく言うのは、
多少なりとも野心を
持っていなきゃいけない世界で、
三流でいるのはつらいよ、ということなんです。
私もコピーライターをはじめたとき三流で、
そういう我々がどこに行くかと言うと、
池袋の安い居酒屋に行って、
「糸井がさー、仲畑がさー」とか言うわけです。
別に悪口じゃなくて、ただ親しげに噂話するの。
会ったこともないのに。
糸井
(笑)
そういう安いウイスキーを飲んでた私が、
突然糸井さんのところで電話番をすることになって、
矢野顕子さんだとか、YMOの方々とかから、
電話がかかってきて取り次ぐ、
という毎日がはじまって。
私なんかただのダサい女の子だったのに、
糸井さんが、
「2年後には名前が出てくる子だから、
覚えてくださいね」と言って、
あの上村一夫さんに紹介してくれたりもして‥‥。
糸井
生々しいよね、思い出し方が。
なんか、みうらじゅんみたいだ(笑)。
話の盛り方が同じだよ。

すいません、失礼しました。
そういえば、あのころ活躍していた方で、
すごく若くてきれいな愛人がいた男性がいて、
5、6年前かな、青山通りを歩いてたら、
すっかり老人になったその人と、
おばあさんになった彼女が歩いていたんです。
それを見て、30年という歳月、
ずっと一緒にいたんだと思うと、
私、なんだか感動しちゃって‥‥。
それをもとに短い小説を書きました。
糸井
それは何か思うねぇ。はぁー。
当時の広告界って、
間違ったラブ思想が蔓延してた気がする。
何ていうんだろう、茶道をやっている人が、
書とか掛け軸だとかについても
ある程度は知っておいたほうがいいように、
広告界においてラブはたしなみ、
それがないとだめ、
みたいなところがあったように思うなぁ。
おおー。
そうか、ラブはたしなみ。
もっと私もたしなんでおけばよかった。
ラブが足りなかった。
今はもう、自分には縁がないことなので、
人の噂話ばっかりしてますよ。
糸井
(笑)
昨日も、古市憲寿くんと、
どうしようもないゴシップ話とか、
人の恋愛について下世話なことをしゃべってたら、
その場にいた若いアナウンサーに
そんなことはじめて知りましたって驚かれて、
後で「エゲツない大人の話をしてごめんね」って
LINEを送りました。
糸井
そういう好奇心は、
昔から変わらずあるんだねえ。

好奇心というか、
ただ下世話な話が好きなんだと思います。
自分に縁がないぶん、
人のそういう話を聞いては、
みんなエネルギーあるな、うらやましいな、
と思って、私はただ傍観しているだけ。
糸井
「月刊林真理子」っていう
雑誌つくったら売れそうだね。
噂話とかいっぱい入れてさ。
いや、今日たくさん話していて思ったけど、
変わったところと、変わらないところと、
ほんとに両方ありますね。
あの、これは改めてご依頼をしますけど、
いまぼくらは「ほぼ日の學校」というものを運営していて、
いろんな人が講座をしてくれているんだけど、
もしよかったら、
ぜひそこに出ていただきたいと思うんです。
はい。学校、ぜひ。
なんでもおっしゃってくだされば。
糸井
たとえば、林のように
もともと勉強が好きじゃなくて、
そういうつもりじゃないんです、って生きてた人が、
職業として大工の修行をしていくうちに、
それなりに家が建つようになった流れというか、
技術が身に付いて、
やれることが増えていくっていう‥‥。
そこはすごく重要なことで、
まず、注文があったということですよね。
「私けっこう注文あるじゃん」
「犬小屋しかつくれないと思ってたけど、
けっこうしゃれてるとか褒められちゃったじゃん」
と思うと、できちゃうんですよ。
期日までにやるなんて無理、と言いつつも、
それでも期日までに建てると褒められて、
お、やっちゃおうかなと思ううちに、
1軒、2軒と増えて、次は
もっと豪華な家つくろうとか思いはじめて‥‥。

糸井
うんうん。そういう話って、
何をしている人でも聞きたいはずだよ。
『白蓮』を読んで、
「うわー、俺がうろうろしてるあいだに、
こいつはちゃんとやってたんだー」
と思わせてくれた、そのときの話を、
ぼくも聞きたいです。
ということで、
今日はこのあたりで‥‥。
はい。ありがとうございました。
たのしかったです。またぜひ。
糸井
ありがとうございました。
またねー。

(おわります)

2020-11-11-WED

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  • まるごと林真理子展
    山梨県立文学館にて
    11月23日(月・祝)まで開催中!
    詳しくはこちら