これからの自分の道のりを思うとき、
直面して困ることが、おそらくあるだろう。
いま話を聞いておきたい人は誰?
伊藤まさこさんの頭に浮かんだのは糸井重里でした。
大切な人を亡くしたとき、どうする?
からだが弱ってきたら、どうする?
なにをだいじにして仕事していく?
この連載では、伊藤さんが糸井に、
訊きたいことを好きなだけ訊いていきます。
読み手である私たちは、ここで話されたことが、
自分ごとになってスッと伝わってくるときに、
取り入れればいい。
そんな意味を入れたタイトルにしました。
長い連載になりそうです。
どうぞゆっくりおたのしみください。
おしゃべりの場所
秩父宮ラグビー場
写真
平野太呂
伊藤まさこ(いとうまさこ)
スタイリスト。
おもな著作に
『おいしいってなんだろ?』(幻冬舎)、
『本日晴天 お片づけ』(筑摩書房)
『フルーツパトロール』(マガジンハウス)など。
「ほぼ日」でネットのお店
weeksdaysを開店中。
エッセイ、買物、対談など、
毎日おどろくような更新でたのしさ満載。
糸井重里(いといしげさと)
コピーライター。
WEBサイトほぼ日刊イトイ新聞主宰。
株式会社ほぼ日の社長。
おもなコピー作品に
「おいしい生活。」(西武百貨店)
「くうねるあそぶ。」(日産)など。
ゲーム作品「MOTHER」の生みの親。
- 伊藤
- 人のはいってないラグビー場、
はじめてです。
- 糸井
- ぼくもです。
こうやって許可を取れば来られるんだね。
- 伊藤
- 撮影許可をいただきました。
- 糸井
- 寒いけど、雨あがりで気持ちいいです。
- 伊藤
- 今日は、糸井さんに、
おもに「仕事」について訊きたいと
思っています。
- 糸井
- わたくしの意見でよろしいのであれば、
よろこんで。
- 伊藤
- 今日はお弁当も作ってきました。
- 糸井
- とてもたのしみです。
ありがとうございます。
- 伊藤
- 糸井さんがほぼ日をはじめられたのは
1998年ですね。
- 糸井
- はい。
それまでは、個人の事務所として
会社がありましたが、
ほぼ日を開いた1998年から
スタッフが増えていきました。
- 伊藤
- スタッフのみなさんの人数は
いまと比べて少なかったと思いますが、
ほぼ日にはいまも、古い時代からいる人たちが
たくさん働いておられます。
先日、その「古いスタッフ」のおひとりから
こんなことを伺いました。
「いま考えると、糸井さんは
ほんとによく耐えてくれたと思ってます」
- 糸井
- ええ?! 誰だろう、そんなこと言うのは。
- 伊藤
- たとえば「これ○○さんに送っといて」と、
ポスターを1枚、渡されたことがあったそうです。
彼女は「はい」と受け取って、
その紙をクルクル巻いて、
宅配便の送り状をピャッと貼っただけで
送ったそうです。
ポスターそのまま、巻いただけですよ?
それ、ぐちゃぐちゃになっちゃうに
決まってる(笑)。
- 糸井
- そうかぁ(笑)、
まぁ、当時はそんな感じだったでしょうね。
- 伊藤
- ほぼ日のみなさんって、のびのびしてるし、
いろんな人がいます。
最初は糸井さんの個人事務所だったわけですが、
ほぼ日ができてからは、
チームを組んで仕事するようになっていきますよね。
私もこのところ、ほぼ日の
weeksdaysのチームといっしょに
動かせていただくことで、
できなかったことができたり、
関わっているものが大きくなって
可能性が広がるのを感じています。
- 糸井
- うん、そうだよね、わかる。
- 伊藤
- 私はフリーとして活動しているので、
以前は特に、
関わるものがすべて「自分」でした。
たとえば本を出すときも、
切り貼りしてラフのデザインを考えて、
0から10までまずは自分で考えないと、と
思っていた気がします。
若さゆえ、それを直されたりすると、
絶対戻したりとかして(笑)。
糸井さんも「糸井重里」というひとりの人から、
会社で組織的な仕事をしていくに至る段階が
いろいろあったんだろうなぁ、と思います。
ほぼ日は、今年で創刊22年になるんですよね。
- 糸井
- うん。
ひとりでやってた時期よりも
ほぼ日のほうが長くなりそうなくらいだよね。
おっしゃるとおり、ほぼ日ができるまで、
ぼくは選手だったんですよ。
広告の世界にいる、ひとりの選手でした。
いつも選手として、よそのチームに入っていました。
- 伊藤
- はい。たくさんの企業の、
広告作品を作られました。
- 糸井
- 強いチームに入ったときには、そのぶん、
「必ず打てよ」とか、
「ルールはこうだからそれに合わせてくれ」とか、
それだけのことが要求されました。
プレーヤーとしていろんなチームに行っては、
与えられたゲームをする日々でした。
長いことやってれば、そのうち、
「外の人間だけど、主将としてチームに入る」
ということもありました。
そんな経験をたくさんしていたから、
まぁ、集団に慣れてなかったわけではありません。
当時もチームプレーをやっていたといえば
そのとおりなんだけど、
いまとはぜんぜんちがいます。
- 伊藤
- ちがいますよね。
- 糸井
- たとえて言うなら今日、まさこさんが
作ってきてくださったという、
「お弁当」なんですよ。
お弁当箱がそこに、まずある。
- 伊藤
- はい。
- 糸井
- ごはんがあって、おひたしがある、
ぼくはおかずの、しょうが焼きです。
「よし、ここはひとつ、
しょうが焼きでやってみましょう」
てなことが広告の世界にはあるのです。
そこでぼくはしょうが焼きとして、
いい仕事をすればそれでよかった。
でも、その頃のぼくは、
弁当箱そのものは持っていなかったんです。
しょうが焼きだからね。
- 伊藤
- なるほど、ふふふ。
- 糸井
- ほぼ日をはじめるときは、当然のように、
お弁当箱から作ることになりました。
箱なんて作ったこともないし、材料もないけど、
じつは葉っぱでもできるんですよね。
そんなふうに見よう見まねで作ったチームでした。
それまでは「言われたこと」をやればよかったけど、
今度はこっちから誰かにお願いしたり、
乗っかってもらう場所を
作んなきゃいけなくなりました。
- 伊藤
- しょうが焼きとしていい仕事をすることから、
お弁当箱を作る仕事に変わった、と。
- 糸井
- そう。
いままではお願いを受けてばかりだったから、
まぁ、カッコつけて言えば
「かぐや姫」でいられたわけですよ。
だけど今度は頭を下げて、
お願いしますという役です。
プロポーズしまくりました。
- 伊藤
- でも、お弁当箱を作るほうが、
覚悟もひっくるめてたのしそうですね。
- 糸井
- そうなんだよ、ドキドキがちがうよね。
だって、うまくいくかどうかが
ほんとうにわからないんだから。
弁当箱を作る作業として、
最初にやったのが、会社の引っ越しでした。
- 伊藤
- たしか「鼠穴」というところですよね。
- 糸井
- そう、事務所をそう呼んでた。
場所は東麻布です。
それまでいた青山の事務所は
いろんな人が遊びに来てくれる場所でした。
でも、ほぼ日を作った当初は、
ちょっと行きづらい場所に越したんです。
砂漠の真ん中に、研究所を作るような気持ちで。
- 伊藤
- どうしてですか?
- 糸井
- そのほうが集中できると思ったの。
そうしないと、
ファイトがもたないと思ったんですよ。
- 伊藤
- おお、ファイト。
どうして「もたない」と思ったんですか?
- 糸井
- やるからにはやっぱり、
「やってよかった」と思いたかったんです。
そのときぼくがやろうとしていたことは、
テスト前の一夜漬けで
乗り切るようなことじゃないと
わかっていました。
でも、それまでのぼくには
一夜漬けの癖がついていたんです。
だから意識的に負荷のあることを
しなくてはいけなかった。
- 伊藤
- それまでとはちがう環境と態勢を
作ろうとした引っ越しだったんですね。
(明日につづきます)
2020-01-14-TUE