お父さん&お母さん&お兄ちゃん&ご本人の
リアル家族4人で
消防士やヘビメタバンドや
戦隊ヒーローやヤクザの一家に扮して撮った
デビュー作『浅田家』が
木村伊兵衛写真賞に輝いた、浅田政志さん。
なんと、映画にもなってしまうとは。
ふとしたきっかけから撮りはじめ、20年間。
それだけの時間をかけて、
向き合ってきたテーマ「家族」について、
あらためて、浅田さんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
浅田政志(あさだまさし)
1979 年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経
- ──
- 浅田さんは、たしか中学生のときに、
お父さんからカメラをもらって。 - そこから、どんどん
写真が好きになっていったんですか。
- 浅田
- はい。
- ──
- 写真家になりたいなって思ったのは。
- 浅田
- 大阪の写真の専門学校を卒業して、
就職もせず三重に帰って、
パチスロやっているときですかね。
- ──
- ややこしいなあ(笑)。
- 浅田
- 専門学校でウケた家族を撮りはじめて、
一枚の写真に、過去の思い出と
現在の家族の姿が重なって見えるのが、
おもしろいなぁと思ったんです。 - なので、しばらくは
「思い出を再現する」というテーマで
撮ってたんですけど。
- ──
- ええ。
- 浅田
- ネタが切れて。
- ──
- パチスロに通う毎日。
- 浅田
- そうですね。写真を撮りたいなあとは
ぼんやり思ってたんですけど、
将来のこと‥‥あんまり考えてなくて。 - 地元でアメ車を乗り回したり、
まあ、遊ぶことで精一杯の時期でした。
- ──
- でも、どうしてパチスロしてるときに、
「やっぱり写真」と思ったんですか。
- 浅田
- 何かはじめなきゃなあとは思いながら、
パチスロやってたんですよ。 - でも、具体的に「何する?」と思うと、
入れ墨を入れていても大丈夫な仕事が
やりたかった‥‥というか、
入れ墨がダメな職業は、できなかった。
もう入れちゃった後だったんで(笑)。
- ──
- なるほど(笑)。
- 浅田
- ま、自分が楽しいのは何かと考えたら、
やっぱり「写真」だったんですよね。 - それ以外は、思いつかなかったですね。
- ──
- やるなら写真だ、と。
- 浅田
- はい。でも「思い出を再現する」では、
行き詰まっちゃって。 - それでふと、あるときに、
それまで撮っていた家族の「過去」を、
「未来」に置き変えてみたんです。
- ──
- というと?
- 浅田
- 浅田家で「ぼくが死んだ」という未来を、
撮ってみたんです。 - そしたら、未来だったら何でもできると、
気づいたんですね。
- ──
- そうか、「未来」にネタ切れなし。
- 浅田
- そのことに気づいて、
浅田家の「未来」を撮りはじめたんです。
- ──
- 可能性は無限ですもんね、未来。
昔なりたかったものにさえ、なれるし。
- 浅田
- バンドマンも、ヤクザの一家も、
消防士もいいかもなぁとか言いながら、
いろんなアイディアを、
ネタ帳みたいな紙に書き留めていって。 - 実現できるところから撮影していって、
ひとつずつ消していきました。
三重と東京を行ったり来たりしながら、
7年くらいかかりました。
- ──
- はー、7年。
- 東京から三重に帰って浅田家を撮って。
それを7年も、繰り返した。
- 浅田
- その間、数々の出版社に断られながら。
- ──
- そうみたいですよね。
映画にも描かれていて意外だなあと。 - 写真を見た人からの評判はいいのに、
出版社には断られたんですか。
- 浅田
- そうなんですよ。
- 見せた人にはこれだけ評判いいんだし、
これは写真集の出版、
絶対いけんじゃないかなぁって(笑)。
- ──
- 思っていたけど。
- 浅田
- ぜんぜん、ダメでした。
- いろんな出版社に行って見せて、
担当者レベルではすごくウケるんです。
「おもしろいですね!」って。
- ──
- ええ、ええ。
- 浅田
- でも、ぜんぜん電話がかかって来ない。
- ──
- 待てど暮らせど。
- 浅田
- だから、こっちから電話すると、
「いやあ、会議にかけたら難しいって」
とか
「残念ながら編集長にダメと言われた」
みたいな返事ばっかり。
- ──
- それは‥‥どうしてなんでしょうね。
- 浅田
- やっぱり、言ってしまえば、
ただの無名のアマチュアの家族写真で、
おもしろいかもしれないけど、
「本当に売れるか?」って聞かれたら、
厳しいんじゃないんですかね。 - そういう出版社側の判断だと思います。
- ──
- まじめに「会議」をすればするほど、
そういう結論になる気もします。 - 本当に売れるか、なんて話し合ったら。
- 浅田
- そう、そうだと思います。
- でも、最終的に出してくれた赤々舎は、
代表の姫野(希美)さんと直なんです。
- ──
- 会議がなかった(笑)。
- 浅田
- そう、姫野さんが出すと言ったら出る。
- はじめて会議のない出版社で、
その場で「出します」と言われました。
- ──
- そう考えると、会議も考えものですね。
- 断られまくった写真集が、
すぐに「木村伊兵衛写真賞」を獲って、
のちに映画化もされたわけで。
- 浅田
- その後の展開については、
もう、自分でもびっくりしてますけど。
- ──
- 赤々舎さんに出会えて、写真集が出て、
本当に、よかったですね‥‥。 - おかげで、浅田家の写真を、
こうして、ぼくたちも見れるわけだし。
- 浅田
- 写真集を出せたのは
29歳になる手前だったんですけど、
夢のようでした。 - いまなら自費で、オンデマンド印刷で、
という方法もありますけど、
当時は、新人が
出版社から写真集を出すのって、
年間10件か20件だったと思うんで。
- ──
- そんな狭き門ですか。
- 浅田
- だから写真集が出たとき‥‥というか、
写真集が刷り上がってきたとき、
すっごくうれしかったのを覚えてます。 - これが‥‥写真集‥‥みたいな(笑)。
- ──
- 一個の物体になったときのうれしさは、
あれは、何なんでしょうね。 - 本が持つ魔力みたいな気もしますけど。
- 浅田
- ブックデザイナーさんとの共同作業も
はじめてだったんですけど、
みるみる、
かっこよく仕上がっていくんです。 - もう、すべてが「感動」でした。
できあがった本をはじめて見たときは、
大げさでなく、一緒に寝ました。
- ──
- 写真集を抱いて。いいなあ(笑)。
- 浅田
- 宝物みたいに思えたんです。
- ──
- 映画の赤々舎さんのシーンでは、
石川直樹さんの『NEW DIMENSION』が、
ちらっと映ってましたね。
- 浅田
- あ、そうですね。
- あの映画には、
石川くんの『NEW DIMENSION』と、
エリックの『GOOD LUCK CHINA』とが
出てくるんですけど、
その年の木村伊兵衛写真賞の最終候補って、
その3人なんですよ。
- ──
- あ、そうだったんですか。
- 浅田さんと石川直樹さんと、エリックさん。
みなさん、いま、それぞれのフィールドで、
それぞれにご活躍ですけど。
- 浅田
- そうですねえ。
- ──
- コロナウィルスで中止したようですが、
昨年お会いしたとき、
石川さんはK2に行こうとしていたし。
- 浅田
- ええ。
- ──
- エリックさんは、
少し前に香港の空撮に凝ったりしていたし。 - それぞれですよね、おもしろいです。
- 浅田
- 石川くんなんか、文章も上手ですしね。
- 土門拳賞とか獲っちゃって、
いきなり「大先生」みたいになったし(笑)。
- ──
- 浅田さんも、他にもいろいろやりながら、
でも「家族の写真」は、
その後もテーマとしてずっと撮り続けて。
- 浅田
- はい。
(つづきます)
2021-03-30-TUE