お父さん&お母さん&お兄ちゃん&ご本人の
リアル家族4人で
消防士やヘビメタバンドや
戦隊ヒーローやヤクザの一家に扮して撮った
デビュー作『浅田家』が
木村伊兵衛写真賞に輝いた、浅田政志さん。
なんと、映画にもなってしまうとは。
ふとしたきっかけから撮りはじめ、20年間。
それだけの時間をかけて、
向き合ってきたテーマ「家族」について、
あらためて、浅田さんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
浅田政志(あさだまさし)
1979 年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経
- ──
- 撮影にあたっては、
ご家族には、どう説明してたんですか。 - これが、この先どうなるのか‥‥とか。
- 浅田
- まあ、写真集になったらいいなあ、
くらいは言ってたかもしれないですが、
目標にしてたわけでもないんです。 - これって、いつか本に‥‥なんのかぁ?
みたいな感じでしたかね(笑)。
- ──
- 最終的なゴールがあったっていうより、
撮りたいテーマを
つぎつぎ撮影していったみたいな。
- 浅田
- 最初にぼくが「撮ろう」と言い出して、
家族は、仕方ないから、
「次の土曜日か。いちおう休みだけど」
って感じで、付き合ってくれて。
- ──
- それができるって、すごいことですね。
- いくら家族とはいえ、
それぞれの生活や予定もあるわけだし。
- 浅田
- 逆に言えば、
家族以外は付き合ってくれないですね。
- ──
- ああ、そうか。家族だからこそできた。
- 浅田
- 家族じゃなかったら、
絶対もう意味わかんないと思いますよ。
雑誌に載るわけでも、
ギャラが出るわけでもないですから。 - 家族だからこそ、
面倒でも
付き合ってくれたということはあるし、
でも、やってみると、
意外と達成感があって楽しいんですよ。
- ──
- ああ、1回1回の撮影が。
- 浅田
- 行くときは面倒くせーなって雰囲気でも、
実際の消防士さんに会ったりすると、
家族もテンションが上がって
「今日は、よろしくお願いいたします!」
みたいな感じになるんです。 - 「すみません、息子のために何かこんな」
「家族で精一杯がんばりますんで」
とかって、消防服を着させてもらったり。
- ──
- その「素養」はあったんですかね。
みなさん。
- 浅田
- いやあ‥‥恥ずかしかったと思いますね。
- ──
- そうでしょうね(笑)。
- 浅田
- だって、たくさんの人が見てるし、
「もう、やるしかない」みたいな決心で、
どうやったら
本物の消防士に見えそうか教わったり。 - ぼくがOK出すまで終わんないんですよ。
- ──
- ははは。まだかよ的な(笑)。
- 浅田
- はい、いいカットが撮れるまで、
何回も撮り直して‥‥何時間もかかって。 - いちおうOKですみたいな感じになると、
立ち会いの消防士さんも
「よかったですよ」とか言ってくれたり、
家族は家族で
「ありがとうございました!」‥‥って。
- ──
- いいなあ(笑)。
- 浅田
- そんなのを1日2~3回も繰り返したら、
終わったころには夜で、クタクタ。 - 移動距離もけっこうあったりするんで、
晩飯つくるのめんどくさいから、
「今日はラーメンでも食って帰るか!」
みたいなノリになって、
そうなると、もう、ほどよい達成感です。
- ──
- 家族のイベントですね(笑)。
- 浅田
- 天気もよかったし、いいの撮れたね‥‥
みたいな感じを、家族で味わえるんです。
- ──
- 楽しそう。
- 浅田
- 楽しかったですよ。
- ──
- でも、これが自分の実家だって考えたら、
うちの人たち、
付き合ってくれるかなあと思うんです。 - だから、そういう意味で、
浅田家はすごいなあって思っていました。
- 浅田
- ぼく自身は、作品をつくりたいからやる。
両親は、息子のためにやってくれる。 - だから「お兄ちゃん」ってポジションが
いちばん難しかったと思います。
ちゃんと仕事もしていて、忙しいですし。
- ──
- ああ、なるほど。
- 浅田
- でも、その点、浅田家のお兄ちゃんって、
すごかったと思うんです。 - なんでおまえのために
休みの日をつぶさなきゃなんないんだと、
少しは思ってたかもしれないけど、
オトンとオカンがよろこんでるんなら、
うーん、やるか‥‥
みたいな感じで付き合ってくれたんです。
- ──
- すばらしい。
- 浅田
- それが‥‥すごく大きかったと思います。
オトンとオカンには
スポットライトが当たりやすくて、
「おもしろいね!」
みたいに褒められるんですけど‥‥。 - 兄ちゃんは、本当に縁の下の力持ちです。
クルマの運転もしてくれるし、
撮影のとき、
悩んでるとアドバイスもくれるんですよ。
- ──
- へええ。
- 浅田
- オトンはよくわかってないから
「はやく撮れ」って言うだけなんですが、
ぼくが「いま考えてるから」って、
モヤモヤしてると、
兄ちゃんが
「こうすれば本物に見えるんじゃないか」
とか、アドバイスくれたり。 - 兄ちゃん、すごい重要人物なんです。
- ──
- そのわりには‥‥お兄さんのあこがれの
スーパーカーの撮影で、
クルマのジャッキ上げる人の役だったり。 - ドライバーじゃなく。
- 浅田
- ですね。
ただ、あれは映画の脚本上の話ですけど。
- ──
- ああ、そうなんですね(笑)。
じゃ、あのシーンは
お兄さんの人柄がすごく出てるんですね。
縁の下の力持ち、という。 - 家族に対する照れくさい気持ちって、
ある人とない人がいると思うんですけど、
『浅田家』を見るかぎり、
きっと仲のいい家族なんだろうなあ、
これはちょっと、
うちじゃ無理かなあと思ったんですよね。
ご自身の感覚としてはどうですか。
- 浅田
- そんな仲がいいってこともなかったです。
- 家族でワアワアしゃべるわけでもないし、
旅行とかキャンプとか、
そんなに行った覚えもないですし。
オカンは病院で忙しくしてたし、
オトンはオトンで、
家事もやりながらはたらいてもいたので。
- ──
- そうなんですか。意外。
- 昔から
仲良し一家だったのかと思ってました。
- 浅田
- ふたりともあんまり家にいなかったんで、
地域の人に育ててもらった感じです。
- ──
- 三重県津市の、ご近所のみなさまに。
- 浅田
- 浅田家の写真を撮りながら、
だんだん仲良くなっていったんですよね。 - あの‥‥オトンは長崎の出身で、
子どものときに、
子どものいなかった「浅田さん」の家に
養子に入った人なんです。
- ──
- あ、そうでしたか。
- 浅田
- でも、そのあとに実子がうまれたんです。
- それで居づらくなったのか、
そのあたりはよく知らないんですけど、
とにかく高校を中退して、
ボストンバッグ1個で長崎を飛び出して。
- ──
- へえ‥‥。
- 浅田
- そのうちに、オカンと出会って
三重県に居を構えることになるんです。 - それで、オトンはオトンなりに、
あたたかい家庭を築きたい‥‥っていう
気持ちが、強かったんです。
- ──
- あ、だから「食卓を囲む」ことを。
- 浅田
- そう、オトンは何より大事にしてました。
- ぼくが反抗期で遊びたい盛りのときも、
家族でごはん食べるために、
6時に朝帰りしてぜんぜん眠たいのに、
すぐには寝ず、
7時まで起きて朝ごはん食べたりして。
- ──
- そこは、ちゃんと付き合ったんですね。
- 浅田
- それ以外は、まったくの自由なんですよ。
勉強で怒られたこともないし。 - だけど、毎日の「食卓を囲む」のと、
毎年の「年賀状の写真を撮る」のだけは、
ずーっとやってましたね。
- ──
- たとえ、反抗期でも。
- 浅田
- 家族なんてかっこ悪いみたいな感じでも、
ハタチを越えて、
実家から遠くの東京ではたらいていると、
「家族もいいな」と思えてきて‥‥。 - たぶん、家族の写真を撮ってなかったら、
いま、関係性はぜんぜんちがったと思う。
- ──
- 人生の分岐点というのは、
何か、ふとしたところにあるものですね。
- 浅田
- ああ、そうですよね。ほんとに。
- 浅田家の写真って、
撮るのにけっこう時間が必要なんですよ。
- ──
- あれこれ演出してるわけですもんね。
- 浅田
- そういう「時間」が、
一枚の写真の上に集約されていくんです。 - だから、浅田家の写真を見ると、
ぼくは、その「時間」を思い出すんです。
- ──
- ああ‥‥。
- 浅田
- 20年間、一緒に撮ってきた「時間」が、
自分にとっては大切なものなんです。
(つづきます)
2021-03-31-WED