お父さん&お母さん&お兄ちゃん&ご本人の
リアル家族4人で
消防士やヘビメタバンドや
戦隊ヒーローやヤクザの一家に扮して撮った
デビュー作『浅田家』が
木村伊兵衛写真賞に輝いた、浅田政志さん。
なんと、映画にもなってしまうとは。
ふとしたきっかけから撮りはじめ、20年間。
それだけの時間をかけて、
向き合ってきたテーマ「家族」について、
あらためて、浅田さんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
浅田政志(あさだまさし)
1979 年三重県生まれ。日本写真映像専門学校研究科を卒業後、スタジオアシスタントを経
- ──
- 浅田さんのお父さんにしてみると、
浅田さんが
毎日の「食卓を囲む」ことも
毎年の「年賀状」も、
長いあいだ‥‥
反抗期でも付き合ってくれたから、
浅田さんの写真にも
「しかたない、付き合うか」
という気持ちになったんですかね。
- 浅田
- まぁ、そうなんでしょうね。
- ただ‥‥オトンの年賀状の写真撮影が
ほんっとーにイヤで。
まじで勘弁してくれ、
早く終わらせてくれよみたいな感じで、
反抗的態度で撮られてました。
- ──
- でも、そうなりがちですよね。
お父さん、写真が好きだったんですか。
- 浅田
- まだぼくら兄弟がちっちゃいときには、
よく撮ってましたね。
幼稚園の行事とか、誕生日とかに。 - ただ、ぼくらが小学生になってくると
だんだん撮る機会も減っていって‥‥
気づくと、年に数回しか、
カメラの出番はなくなってましたかね。
- ──
- でも、年賀状だけは、かならず。
- 浅田
- はい。
- ──
- 大切だったんでしょうか。
お父さんにとって、「年賀状」って。
- 浅田
- 自分からは、あんまり
昔のことを語りたがらないんですけど、
長崎を飛び出してきて、
いつか
自分もあたたかい家庭を築きたいって
思ってた親父なんで、
年賀状に
津の風景とふたりの兄弟の姿を残して、
それを数少ない知り合いに
一年の報告として
送っていたのかなあと思います。 - 兄弟が少しずつ大きくなってますとか、
文章で書くのは照れくさくても、
写真なら一枚で伝わるものがあるから。
- ──
- 年賀状かあ。自分でつくってないなあ。
- 浅田
- 年賀状、いいですよ。家族の写真で。
- 毎年この時期に
家族で撮るんだということを決めれば、
1年に1度は、ちゃんと写真を撮れる。 - その「1年に1度」を続けていったら、
10年なら10年の、
20年なら20年の
家族の変遷がちゃんと「残る」んです。
- ──
- そうか。
- 浅田
- それに、年賀状の写真を撮ろうよなら、
何か言いやすいと思うんです。 - 家族の写真を撮ろうよなんて言っても、
いつでも撮れるじゃんって思ってたら、
撮らないまま、どんどん
時は過ぎ去って行っちゃうんですよね。
- ──
- たしかに。
- 浅田
- 逆に、今はスマホで撮りすぎちゃって、
どの瞬間が大切なのか、
どれがいい写真なのか、
落ち着いて考える機会もないですよね。
- ──
- スマホのカメラロールは、
めったに‥‥見返さない気がしてます。
- 浅田
- プリントもしなければ、
ましてやアルバムにも貼りませんよね。
- ──
- プリントしません‥‥し、貼りません。
スマホの画像は。
- 浅田
- そこでぜひ見直していただきたいのが、
年賀状なんですよ。
- ──
- なるほど。年賀状もそうだし、
浅田家のみなさんの活動もそうですが、
家族で一緒に楽しげに何かをやってる、
その姿が、この歳になると、
ちょっとうらやましいなと思うんです。 - 若いときは面倒くさいと思ってたけど。
- 浅田
- その意味で、浅田家の場合は、
みんながやる気になっていったのって、
写真展を開いてからですかね。
- ──
- ああ‥‥発表の場が、火を付けた。
- 浅田
- はじめは、20代半ばくらいのころに、
大阪で2~3回やったんです。 - 1年に撮った10枚の写真を展示して、
次の年は、
増えた分の10枚を足して20枚‥‥
みたいにやってたんですけど。
- ──
- ええ。
- 浅田
- 1年目、はじめての年は、
お客さん100人くらいだったんですが、
次の年は500人くらいになって。
何だか、やるたびだんだん増えていって。 - 家族もみんな三重から大阪まで見に来て、
お客さんから
「あ、お母さんですか。本物ですか!?」
とか言われたりして(笑)。
- ──
- 超有名人ですものね。その会場では。
- 浅田
- 「お父さん、会いたかったです!」とか、
親父も
若い子にそんなこと言われてうれしいと。 - 自分たちの写真で人がよろこんでくれる、
お客さんの反応をリアルに感じて、
そこからどんどん変わっていきましたね。
- ──
- 家族写真に向かう、家族全員の意識が。
- 浅田
- 一気に高まりました。
次もがんばっていくぜ、みたいな(笑)。
- ──
- いいなあ(笑)。
- がぜん、撮影に前向きになった家族から、
撮影アイディアが出ることとかも?
- 浅田
- アイディア自体は、ま、たまにですかね。
- お兄ちゃんのアイディアで、
自分の息子‥‥つまり
ぼくの甥をラグビーボールに見立てて‥‥
みたいな写真を撮ったりしましたが、
最初の構想は、
基本的にはぼくが考えているんですけど。
- ──
- ええ。
- 浅田
- ただ、撮影の現場では、
撮りながらどんどん変化していくんで、
そのときは、
もうみんなの意見が入ってくるんです。
- ──
- じゃあ、最終的には、
みんなの意見で、写真ができあがると。
- 浅田
- そうなんです。
- ぼくの思い描いていた撮影だけやると、
固くなっちゃうんです。
なんかイキイキとしてないっていうか。
- ──
- へええ‥‥。
- 浅田
- そこから「何かある?」って聞いたら
「じゃ、こうする」みたいな変化球を、
それぞれ投げ込んでくるので、
想像よりもいい写真になるんですよね。
- ──
- 全員が自分の動きとして演じはじめる。
- 浅田
- そうなると、段違いによくなりますね。
- 思えば、最初は、学校の課題に対して、
深くも考えず、
なんとなくはじめたことなんですけど。
- ──
- ええ。
- 浅田
- 意識して「家族の写真を撮る」ことで、
家族と一緒の時間や、
家族全員で味わった達成感や、
家族写真を見てくれた人からもらえる
うれしい感想、
そういうものこそ大切なんだなあって、
わかってきたんです。 - それは、すごい発見でした。自分的に。
- ──
- たとえば、どんな感想がくるんですか。
- 浅田
- 写真展だと顕著なんですけど、
まず「写真、おもしろいですね」って
話しかけられて、
「わたし、お母さんのファンで」とか、
「お父さんツボです」
みたいな感じで会話がはじまるんです。
- ──
- ええ、誰それのファンです、と。
- 浅田
- でも、それって、
たぶん話しかけるきっかけなんだなと
思うんです。 - なんでかって言うと、そのあとに絶対、
「わたしの家族だったら」
というような話がはじまるんですよね。
- ──
- おお、ご自身に引き寄せて。
- 浅田
- ぼくの、わたしの家族だったら、
こんなシーンを撮ってみたい‥‥とか。 - 自分の家族に置き換えて、
いろいろ楽しげに考えてくれるんです。
- ──
- わかる気がします(笑)。
願望も含めて‥‥ってこともあるかも。
- 浅田
- はじめは、すごくびっくりしたんです。
そのことに。 - だって、人んちの家族写真を見ながら、
自分の家族を考えてくれるのかあって。
- ──
- ああ、たしかに不思議ですね。
- 何でしょうね、
その、
自分の大事なものに置き換えたくなる
気持ちって。
- 浅田
- すっごく、うれしいことだったんです。
- そんなふうに思ってもらえるなら、
続ける意味があるかもしれないなって。
- ──
- なるほど。
- 浅田
- 浅田家の写真を見て、
ご自身の家族のことを考えてもらえる
時間をつくれるのなら、
撮り続けてみよう‥‥って思えた。
- ──
- うん、うん。
- 浅田
- で、そういう感想をもらえたときに、
浅田家の写真を撮っていて、
本当によかったなって、思うんです。
(つづきます)
2021-04-01-THU