さまざまなことが
「これまで通り」ではいかなくなったこの1年半。
演劇界でもさまざまな試行錯誤があり、
それはいまもなお続いています。
お芝居の現場にいる人たちは
この1年半、どんなことを考えてきたのか、
そして、これからどうしていくのか。
相変わらずなにかを言い切ることは難しい状況ですが、
「がんばれ、演劇」の思いを込めて、
素直にお話をうかがいます。

第4回にご登場いただくのは、
フリーアナウンサーの中井美穂さんです。
実は中井さんは大の演劇ファン。
小劇場からミュージカル、宝塚歌劇団まで
幅広くご覧になっていて、
演劇にまつわるレギュラー番組や
連載をお持ちなだけでなく、
読売演劇大賞の審査員を務められるなど、
公私ともに演劇に深く関わられています。
その中井さんに、
演劇を好きになったきっかけや、
このコロナ禍で思うことなどをうかがいました。

聞き手は、
演劇を主に取材するライター中川實穗が務めます。

撮影:池田光徳(ストロベリーピクチャーズ)

>中井美穂さんのプロフィール

中井 美穂(なかい みほ)

1965年、東京都出身(ロサンゼルス生まれ)。
フリーアナウンサー。
日本大学芸術学部を卒業後、フジテレビに入社。
アナウンサーとして活躍し、
『プロ野球ニュース』『笑っていいとも!増刊号』などに出演。
1995年にフジテレビを退社し、フリーアナウンサーに。
さまざまな分野で幅広く活躍中で、演劇関連では
『TAKARAZUKA~Cafe break~』(MXテレビ)
『華麗なる宝塚歌劇の世界Season 1・2・3』(CS時代劇専門チャンネル)
加美乃素プレゼンツ『ミュージカル&トーク』
ぴあ「中井美穂めくるめく演劇チラシの世界」
その他に
『つながるニッポン!応援のチカラ』(J:COMテレビ)
STORY「Catch a Culture Wave シネマ」
など。

Instagramアカウント:@mihonakai2021

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第1回 私が演劇沼にハマるまで。

――
これまで「コロナと演劇」シリーズには
作り手の方にご登場いただいてきたのですが、
今回は演劇ファンでもいらっしゃる中井美穂さんに
お話をうかがいたいと思っています。
よろしくお願いします。
中井
よろしくお願いします。
――
私は劇場でよく中井さんをお見かけするのですが、
年間、どのくらい観劇されているのですか?
中井
1年に250本から300本くらいですかね。
今は仕事にもなっているのでそのくらい行きますが、
それがなければ150本くらいかな。
仕事でなくても観たいものはそのくらいありますね。
――
中井さんは
2013年から読売演劇大賞の選考委員も
務めていらっしゃいますし、
宝塚歌劇団やミュージカルなどの
演劇にまつわる番組や連載もお持ちですよね。
そもそも演劇に興味を持たれたのはいつ頃なのですか?
中井
中学・高校と演劇部でした。
でもそれは消去法で入部したんですよ。
私は運動があまり得意ではないので、
運動部という選択肢はまずないし、
美術も書道も手芸も料理も苦手なんです。
ですから、最終的に残ったのが
演劇部か読書部で、
なんとなく演劇部を選びました。
演劇部にした理由のひとつは
漫画『ガラスの仮面』(作 : 美内すずえ)です。
もうひとつは、
子どもの頃から声に出して教科書を読む、
というようなことだけは好きだったから。
それで、おもしろいのではないだろうかと、
一縷の希望を持って(笑)、入部しました。
あ、それともうひとつ!
同じ中学の2年上の先輩に軽部真一さんという‥‥。
――
フジテレビのアナウンサーの?
中井
そう。軽部さんは当時、カリスマ演劇部員だったんです。
そこに憧れたっていうのもあります。
――
カリスマ演劇部員!
中井
そうなんですよ。
私が観たのは、
舞台でお芝居をしていると、
客席からヤジ飛ばす人がいて、
舞台上の人が「出てこいよ!」と言うと、
その客席に座っていた一般人と思しき、
だけど実は演劇部のスターである軽部さんが
舞台に上がって、そこで演劇が始まる、
みたいなもので。
――
カッコいいですね!
中井
「なんておもしろいんだろう」と思いました。
それで演劇部に入ったというのはあるかもしれない。
――
その頃から観に行くのもお好きだったのですか?
中井
観に行った覚えはあまりないんです。
でも部活の顧問の先生が選んでこられる作品を
おもしろいなと思っていましたし、
例えば演劇の大会に出た時に、
他の学校の演劇を観たりするのは好きでしたね。
高校時代はむしろラジオを一生懸命聴いていました。
NHK-FMとかがすごく好きだったので、
そういうのがやりたいなと思って。
それで日本大学芸術学部放送学科に進んで。

――
アナウンサーの道に進まれるわけですね。
日芸には演劇学科もありますが。
中井
そうですね。だから、大学の友だちから
「発表会があるから観に来て」とか、
そういうことはありましたね。
それで小劇場にちょこっと行くとか。
当時一番観ていたのは、
三谷幸喜さんの劇団「東京サンシャインボーイズ」です。
――
ああ、三谷さんも日芸ですもんね。
うらやましい!
中井
「東京サンシャインボーイズ」は、
就職してからも必ず観に行っていましたね。
あとは会社(フジテレビ)が関わっている公演を観たり。
でもやっぱりアナウンサーという仕事柄、
チケットを予約して観に行くということが
とても難しかったんですよ。
夜は生放送の『プロ野球ニュース』がありましたし、
昼も『笑っていいとも!増刊号』とか、
バラエティ番組の収録がありましたから。
だから会社を辞めてからですね、
こんなにハマったのは。
――
中井さんは1995年にフリーに転身されましたよね。
中井
はい、それで暇になったんです、一言で言うと。
とっても暇になりました(笑)。
だけど家のことはあまり好きじゃない、
お稽古事も興味ない。
じゃあ演劇でも観るか!って感じで。
――
演劇がよかったのですか?
中井
「演劇を観に行く」って、
「遊びに行く」と言うよりは
イメージがいいじゃないですか。
なにか文化的な活動をしているふうに見られるし。
それが都合よかったんですね(笑)。
「友達とランチに行くんだ」って言うよりも、
「ちょっと芝居観に行くんだ」と言ったほうが、
夫も「行ってらっしゃい」と言いやすいし、
母も芝居が好きですから、怒られずに済むし。
――
怒られずに(笑)。
中井
そういう都合と、
自分がもとから好きだった世界が合致して、
少しずつ観に行くようになりましたね。
あとは、フリーランスになってから
女性誌で連載ページを持たせていただいて。
そこでいろんな方と対談をさせていただいたのですが、
舞台とか映画の宣伝のためにそういう場に
出てこられる方が多かったんですよ。
――
ああ、そうですね。
中井
対談をしているうちに当然観に行きたくなって、
それで観に行くこともありました。
そういうことが積み重なって、
だんだんハマっていきましたね。
――
決定的にハマった瞬間、みたいなものはあるのですか?
中井
それは、
演劇ジャーナリストの徳永京子さんとの出会いです。
――
徳永京子さんは、
読売演劇大賞の選考委員や
東京芸術劇場の企画選考&運営委員など、
演劇界で長く活躍されている方ですよね。
中井
昔、「ぴあ」から
『Colorful』という女性誌が出ていたんですけど、
そこでミュージカル作品を紹介する
連載をやりませんか? というお話をいただいて。
それは、レギュラーメンバー数人で
「このチケットを買いたいね」「これは観るべきだね」
という話をするものでした。
徳永さんはその連載に
当時はライターで入ってくださっていたんですけど、
日本のあらゆる演劇に詳しい方で、
私が「昔は『サンシャインボーイズ』とか
『劇団ショーマ』とか
日芸系の小劇場作品を観に行っていたのに、
今は行かなくなったから教えてほしい」
と言ったら、すごくいろいろ教えてくださったんですよ。
チケットも取ってくださって、一緒に観せてもらって。
もうそこからですね。

(つづきます)

2021-10-04-MON

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  • 「コロナと演劇」シリーズ

    劇場に来るというとてつもないストーリー。

    演劇は大丈夫だと思ってもらえる作品を。

    うじうじするくらいなら、今できることをやる。

    いつか私が死ぬときに、この宝石を取り出すことができたら。

    演劇」を「劇場」を知ってもらうために しつこく、ブレずに、くりかえす。