次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!

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♯003

2020-11-11

わたしが中学生の時、他県に住むいとこ二人が
泊まりがけで遊びにきたことがありました。
小学一年と幼稚園の年中の姉妹で、
お姉ちゃんはさっぱりと快活な子。
妹ちゃんは少し内気で、でも芯の強い感じの子です。
なかなか会えないこの姉妹をもてなそうと、
父はわたしを案内役に、彼女らを車に乗せて
街でただ一軒のファンシーショップ
(という言い方を今でもするでしょうか?
主に女の子のための雑貨やおもちゃを扱う店のことです)
に連れて行きました。
父は彼女たちにぬいぐるみを買ってあげたかったらしい。
なぜそれがぬいぐるみだったのか、今となってはわかりません。
ただその頃は昨今ほどアニメやゲームの
キャラクターグッズなどもなく、
大人が子供に買ってくれるのに最も妥当で、
かつ特別なおもちゃがぬいぐるみでした。
店に入り、壁一面に並ぶカラフルな動物たちを見渡したときには
姉妹とも期待に輝いていたのですが、
店を出るときには様子が違っていました。
お姉ちゃんの方が満足そうに包みを抱えていたのに対し、
妹ちゃんの方はあろうことか、泣いていました。
彼女はぬいぐるみが買えなかったのです。
正確に言うと、店にあったたくさんのぬいぐるみの中に、
彼女が欲しいと思うのがひとつもなかった。
お姉ちゃんはおそらく、一番かわいいと思うぬいぐるみを
さっと選んで決めることができたのでしょう。
妹ちゃんはそうではなかった。
「おじちゃんが買ってくれると言うのに、
お姉ちゃんはちゃんと選んで買ってもらったのに、
なんで自分の欲しいぬいぐるみはないんだろう?」
彼女がしゃくりあげながら途切れ途切れにつぶやく
言葉の切れ端を集めると、こういうことでした。
自分が本当に欲しいぬいぐるみでなければ、
買ってもらっても意味がない。
それが彼女にとっての物事のありようだったのでしょう。
その時の彼女の潔癖な絶望と、
そしていつか出会うかもしれない
彼女が心から好きと思えるぬいぐるみを想像すると、
今もわたしは少し羨ましいような気持ちになります。
わたし自身にも「ぬいぐるみを買ってあげる」ことにまつわる
少しほろ苦い思い出があります。
わたしには息子がひとりいるのですが、
彼が小学一年生のある朝、学校に行く前にふと
「ぬいぐるみが欲しい」と言ったことがありました。
それは珍しいことでした。
彼はそれまで乗り物のおもちゃや
カードゲームに熱中することはあっても、
ぬいぐるみを欲しがったことはなかったのです。
わたしは実を言うとちょっと、うれしかった。
母親として、息子の電車遊びに付き合うのは
彼の生き生きした顔を見られると言う意味では
全くいやではなかったのですが、
遊び自体の楽しさを心から理解できていたわけではなかったのです。
でもぬいぐるみならわたしも子供の頃に散々遊んだし、わかると思う。
よくぞ言ってくれた。
お母さんに任せておいて。
そんな気持ちで、息子が学校に行っているうちに
街の雑貨屋に出向き、あまり悩みもせず
ショーウインドーに飾ってあった
ドイツ製の高級なクマのぬいぐるみを買いました。
それはA.A.ミルンの『くまのプーさん』で、
主人公クリストファー・ロビンの相棒になり、
様々な冒険をする「プー」によく似たクマでした。
その物語を何度も読み返しながら大人になったわたしは、
男の子が必要とするぬいぐるみは
きっとこういうタイプだろう、と思ったのです。
きっちり詰め物がしてあって、
「ごっこ遊び」の中で手荒に扱ってもへこたれなそう。
毛が少しチクチクするけど、
顔つきは賢そうだし、いい友達になれるんじゃない?
午後、学校から帰ってきた息子にそのクマを差し出すと、
息子は受け取ってしばし眺め、曖昧な顔で
「ありがとう」と言いました。
しかしその日、息子はそのぬいぐるみで遊びませんでした。
次の日も、一週間後も、ひと月後も、
彼が自分から手にとって相手をすることはありませんでした。
どうやら間違いをしたらしい、
ということにようやく気づいたわたしは
息子に改めて訊きました。
「せいちゃん(息子の名前です)はさ、
どんなぬいぐるみが欲しいの?」
息子は真面目な顔で答えました。
「おれ、ふわふわしたぬいぐるみが欲しい」
「ふわふわ?」
「うん」
そうだったのか…。
わたしはわかったつもりになっていただけでした。
ドイツ製の高級クマは、ふわふわの対極の筋肉質タイプで、
彼が求めていたのはそういうのじゃなかった。
それで今度は息子を連れて同じ雑貨屋に行き、
本人にぬいぐるみを選ばせました。
一通り店内を見回し、彼がうれしそうに手にとったのは、
よく知られた絵本のキャラクターの、小さなうさぎのぬいぐるみでした。
やわらかい化繊の「毛皮」に、軽めにわたが詰められて、
ふかふかした触り心地です。
値段もクマよりずっと安い。
なんだかあっけないようで、これでいいの?と思ったけれど、
彼にとっては「これがいい」のでした。
帰り道、息子はずっとそのうさぎを
抱きしめたり頬ずりしながら、機嫌よく話しかけていました。
さらにそれから数年間続いた子供時代の間も、
遊びの中に何かと役割を与えられ、大活躍していました。
今、息子はもう成人してしまいましたが、
そのうさぎはまだ彼の机にちんまり座っています。
全体にうっすら汚れて毛玉ができ、
よく遊ばれたぬいぐるみ特有の貫禄がついて、幸せそう。
息子によれば、この先もこの子を手放すことはないそうです。
ぬいぐるみ好きの人はおそらくここまで読んで
ドイツ製のクマの幸せがどうなったか
気になっているんじゃないでしょうか。
あの子もちゃんと機会を得て、
欲しがる人の元に旅立って行きましたよ。
ああ、よかった。

ご褒美は巡り巡ってくる。

 
心の底からときめきが湧いてでてくるような
色や柄の組み合わせに出会ってしまったとき、
この子と生活する毎日を思い浮かべて
踊りたくなることがあります。
いま、この子を向かい入れなければ、
この先も二度出会うことはないだろう。
柄には、そんなドラマチックさを感じてしまい、
クローゼットは目が覚めるような色で
溢れかえっています。
柄モノのアイテムが好きなのは、
きっと、母親の影響です。
わたしの母は、テキスタイルを大学で勉強し、
洋服やスカーフの絵柄を書く仕事をしていました。
すきま時間を見つけては、
お気に入りのブランドで洋服を買ってくるために
世界を旅するような生粋のファッション好きだったので、
当時「ご褒美」として買ったのであろう母の洋服は
それはそれは大切に、
きれいな状態で保管されていました。
わたしは兄弟が弟しかいないので、
運よくお下がりが回ってきます。
それらは何十年も前に買ったものなのに、
デザインも配色も決して古びていない。
当時のショーウィンドウに飾られた輝きを保ったまま、
時代の空気に染まることなく、
そこにたたずんでいるように感じます。
クラシックな洋服ではなく、
とびきり発色のいいバーニーズニューヨークのニットや
ロンドンで買った多彩なチェックのウールスカートなど
特徴のある服ばかりですが、
その個性に見惚れて頻度高く着ています。
父が「いつも懐かしいな」と思わずつぶやくくらい。
一番のお気に入りが、バラ柄のセットアップです。
テロンとした素材で着心地がよく、
サイズ感も大きめでカッコいい。
絵画のような陰影の花柄は、
纏っていると光によって表情が変わります。
柄は派手ですがベースがネイビーなので、
意外といろいろなアイテムに合わせられるのも
なんども着てしまう理由かもしれません。
譲り受けたのが、10年以上前のこと。
母の想いも継ぎながら、
これからも大切に着たいです。

マリー・アントワネット方式の休日

 
わたしには2歳になる双子の娘がいます。
よく子どもができたらまったく時間がなくなるよ、とか
180度生活が変わるよ、とか
話には聞きますが、
自分の人生が子どもを理由に180度かわった!!
というのもなんだか子どもにわるいかしら、
と思っているのと、
元来できることしかできないさ、と
思っている気楽な性分なせいか、
わたしの家は、双子の子どもをどちらか
片方がみて、一人で遊びにいく時間が
定期的にあります。
4〜5時間くらいのことが多いのですが、
4〜5時間のひとりの時間、
わたしはマリー・アントワネット方式で
過ごすことが多いです。
そう、ご飯を食べる時間があるなら
おやつを食べるのです。
お昼ごはんのかわりに
アップルパイ、ホットケーキ、
フルーツパフェ。
家族連れだとなかなか入れない
ちょっと高級なおやつを食べて、
その「やってやった感」に
酔いしれるのです。
つい先日は昼間から開いているバーで
パフェと、スパークリングワイン。
こないだはデパートのティールームで
イチジクのかき氷。
子どもを理由に人生かわったなんて
言ったらわるいかな、なんていいながら、
子どもに「わたしも食べたい」と
言われたら困っちゃう種類のものを、
心が欲してるにちがいない。
おいしいおやつと少しのアルコールをいただいて、
赤くなった顔をマスクで隠して、
家に帰る気持ちは、とても軽くて、明るいのです。

こんにちは、やっとMiknits TO GO のハニカムキャップ、編めました!
娘に話しかけられると「目数が、段数が〜」と
いつもしんどくなる編み物ですが、
それでも少しずつ出来てくる編み地を見るのが楽しくてしょうがないです。
本が届いたら、またちがう何かを編みます!
とりあえずもうひとつの色違いハニカムキャップを、また、
「目数が、段数が〜」って言いながら、編みます!(izu)

わたしもいま、Miknits TO GOを編んでいます!
初心者なので編むのに時間がかかっているのですが、
たしかに声を出しながら編むのはよさそうです。
一緒にがんばりましょう。

 

ハニカムキャップ完成、おめでとうございます!
交差編みをした後、数段編んでから
交差編みの上に渡っている横糸の数を数えると、
「あ、〇段編めたからあと〇段でまた交差するんだ」など
わかるようになりますよ。
よかったらもう一つは
そんな風に観察しながら編んでみてくださいね


 

“わたしのニット風景”を、募集します。
大人数があつまる編み会がかなわない今年ではありますが、
ほぼ日の中で編みものの進み具合やできばえを
みんなでたのしみあえたら、と思います。
完成した作品のコーディネート、お供のお菓子やお茶など
写真とひとこと添えて送付ください。

送り先→postman@1101.com 件名→わたしのニット風景

三國さんが手がけたセーターmarikomikuniはじまりました。
毎日のように着たくなる、丈夫で肌ざわりのいいセーターです。

2020-11-11-WED

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