次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!
♯006
2020-12-02
- わたしが高校生の頃だからもう30年も昔のことですが、
手に取った女性誌に「女性のライフステージ」を
テーマにした記事が載っていました。
ページに掲載されたグラフには、
10代の半ばで初潮を迎え、
25歳から40歳くらいの間に出産し、
45歳から55歳くらいの間が更年期で、といった
「女性の年齢に伴って起きる体の変化」が
色違いの横棒で表されていました。
なんとなく眺めているうちに
グラフの真ん中あたりに書かれた一文に目が止まりました。
35歳の地点に「容姿が衰え始める」とあります。
ぎくっとしました。
35歳で女性は容姿が衰え始める?
なんだか悪い魔女の呪いのようです。
その言葉を見つめるうち、ある疑問が生まれました。
美しさというのは、若さと同義なんだろうか?
歳をとればシワもできるだろうことは知っているけれど。
そもそも美しいかどうかというのは
主観の問題であるはずなのに、
みんなに当てはまることとして
こんなにすぱっと言い切ることができるの? - 今は女性の生き方も変化して、
こういう記事自体が時代遅れになったと思います。
結婚や出産の適齢が何歳だなんて誰かに言われたくない、
というのが多数の意見でしょう。
それでも「若さとともに美しさも失われる」というような
価値観は、もしかしたらそれほど変わっていないのかも、
と思うことがあります。
それはわたしよりずいぶん年下の
知人の女性たちの言動からも感じます。
ある年齢を過ぎると(それは不思議と魔女の呪いの通りに
30代半ばを過ぎたあたりで)、
「若い人のピチピチした肌が眩しくて直視できない」
なんてことを言い始めるのです。
自分と若い人の肌なんて比べても仕方ないと思うんですよ。
若さというのは回り持ちのものですから、
いつまでも自分のものとして握りしめていられないし、
そうする必要もない。
とはいえ肉体の変化を無視するということでもない。
大事なのは自分の姿のその時々の見どころを探し、
慈しむことだと思います。
まめに顔や体の手入れをして、
自分の年齢なりのほころびを繕いながら
上機嫌でいる女性は美しいと思うし、
幾つになっても「自分が一番きれい」と
内心で自惚れているくらいで
ちょうどいいんじゃないでしょうか。
と、わたしは思うんですけどね。 - そういえば子供の頃、母の手を眺めるのが好きでした。
家業の牛乳屋の力仕事の上に、
6人家族の家事を担っていた母の手は
指の一本ずつに筋肉がつき、
いくらかシワも刻まれていました。
風呂上がりにクリームを塗られて、
ツヤツヤ光ってる様子がきれいだった。
その母は、たくましい手以外はほっそりとして、
実年齢よりも若く見えましたが、ある時ふと
「年齢(とし)なりに見えないなんて、
あまりいいことじゃないよ」とつぶやいていました。
母は日々の苦労が自分の見た目に反映されないことに
少し物足りなさを感じていたのかもしれません。
しかし母が若く見えた理由は、そのほっそりした外見の他に
もう一つあることをわたしは知っています。
母は好奇心旺盛で、新しいことを聞けばメモを取り、
何かにつけて学ぼうとする人でした。
学んで、また疑問を持つことを繰り返すおかげか、
目を覗き込むと、その中が若かった。
そういう若さは、逆説的だけれど、
成熟することでしか得られないものだと思います。 - じゃあ自分はどうなのよ、ということですが。
ここ1、2年、美容院で髪を切ってもらいながら、
喋ったり笑ったりする自分を鏡に見て、
若い頃とずいぶん変わったなあ、と思うようになりました。
何が変わったかというと、単純に歳をとったという以上に、
「仕事をしている人」の顔になったような気がするのです。
それは仕事仲間や家族と関わり、また一人で格闘した時間が
わたしの顔を作ったということで、
自分としてはなかなかうれしいことです。
少々の「古だぬき」感というか、
「食えないおばさん」的な風貌になってきたのも、
自分の中身と折り合いがついてきた感じで、
ホッとするところでもあります。
そういうことじゃなくて、
「年齢と美しさ」の話だったでしょう、と
自分の左脳が今言い張っているので、
厚かましいけれどわたしの夫の言葉を付け加えましょうか。
夫がわたしに向かって時折、気づいたように言うんです。
「あんたは若い頃より今が美人だよ」って。
否定しませんよ、もう20年以上一緒にいる夫が言うことですから。 - この数年でコム・デ・ギャルソンをよく着るようになったのも、
顔が変化したせいが大きい気がします。
上の写真は今年買ったロングジャケット。
一見ドレッシーですが、ジーンズに合わせて
カーディガンがわりに着ています。
襟元には子供の頃に母からもらった、
貝殻ビーズのおもちゃみたいなネックレス。
髪の毛が全部白くなったら、さらに似合うかもと思っています。
ネイティブアメリカンのジュエリー。
- 「手をひんぱんに洗うようになった」
「SDGsが気になり、ものをもっと大切にしたくなった」 - 昨年の春以来、習慣や価値観に変化があり
アクセサリーへの考え方も変わってきました。 - 以前は、手頃なものを気軽にたくさん買って
飽きたり、メッキがはげてきたら処分。
というのを繰り返してきたのですが
今は、できるだけ長く使えそうな素材のもの、
銀色はスターリングシルバー、
金色は真鍮を選ぶようにしています。 - 最近のお気に入りは、
パール状に、
4mmほどのシルバービーズが並んだネックレス。
写真の右側のものです。
ほかのアクセサリーや服ともよく合うし
見た目よりも軽くて肩に負担がこないのです。 - 購入したとき、お店のお姉さんから
「これはナバホパールなんですよ」
と教えていただきました。
ネイティブアメリカンの一族・ナバホの方々が
一粒一粒つくっているのだそうです。 - 製造方法は、
「まず、シルバーのプレートを半円にしてから、
ふたつを組み合わせる」。 - ‥‥おそろしく繊細な作業で、
不器用なわたしは頭が下がります。
そして、大切にしようと改めて思いました。 - ネイティブアメリカンのジュエリーを手にするのは
これが初めてだったのですが、
なんだか自分を守ってくれそうな気もして
さらにお気に入り度が増しています。
柚子狩りのお誘い。
- 少し前のお話ですが、突然友人から
「知り合いの家に柚子の木があるのだけど、
一緒に柚子をとりに行かない?」と連絡がきました。
電車に揺られること、1時間。
友人と駅で待ち合わせて、15分ほど歩いたら、
すてきなご婦人と庭がお出迎えしてくれました。 - それから、もくもくと柚子の木と格闘しました。
柚子の木にはものすごく鋭いトゲがあり、
一筋縄ではいかないのです。
気候もよく、少し汗ばむくらいでした。
一緒に、熟して黄色くなったかぼすもとりました。
(こちらもトゲがすごかった。)
収穫後はお茶をいただいて、ほんの数時間の出来事でしたが、
なんだか小旅行に来たような気分で、
心地よい時間でした。 - いただいた柚子とかぼすは料理好きの友人が教えてくれて、
氷砂糖でシロップにしています。
まだ漬け込み中ですが、
お湯や炭酸で割って飲んだり、
料理にも使えるなど期待はふくらむばかりです。
今が旬の柚子はスーパーや八百屋さんでみかけるので、
ぜひお試しになってください。
三國万里子さんの「編みものともだち」から、
赤いロングカーディ
やっと今年は袖に入りました!
いつ
お茶を淹れるために立って戻っ
(ウール100%ネコ)
わたしも編みものをはじめたばかりなのですが、
息子(1才半)にせっかく編んだ数目を
ほどかれてしまい慌てました。
でも、お供のお茶は大切ですもんね!
年賀状に良さそうな写真ですね〜〜
この年末でカーディガン完成しますように!
“わたしのニット風景”を、募集します。
大人数があつまる編み会がかなわない今年ではありますが、
ほぼ日の中で編みものの進み具合やできばえを
みんなでたのしみあえたら、と思います。
完成した作品のコーディネート、お供のお菓子やお茶など
写真とひとこと添えて送付ください。
送り先→postman@1101.com 件名→わたしのニット風景
三國さんが手がけたセーターmarikomikuniの受注販売は終了間近です。
ぜひチェックしてみてください!
2020-12-02-WED