次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!

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♯015

2021-02-17

 
初めてバレンタインのチョコレートを
買ったのは、中学1年生の時でした。
当時わたしはクラスに好きな男の子がいて、
毎日こっそりその子を眺めるのを
何よりの喜びとしていました。
とてもキラキラした男の子でした。
声がよくて、振る舞いに屈託がなく、
運動ができて、勉強は好きでも嫌いでもなさそう。
昼休みになるとわたしは屋上に上り、フェンスに張り付いて
その子がサッカーするのを目で追いました。
放課後は用事があるふりをして教室に残りました。
運が良ければ、その子の「足音」が階段を上がってくるのが、
他の子の足音に混じって聞こえてくるのです。
足音や、体の動かし方や、わずかな気配で
彼がいることがわかる。
まるで彼だけを認識するセンサーがついてしまったようでした。
彼とは言葉を交わしたこともありませんでした。
そもそも話すことが思い浮かばないのです。
目立つ男子グループの中に居心地良さそうに納まって、
いつも爽やかに笑っている男の子に、
何かにつけて屈託だらけのわたしが
一体どんな話をしたらいいのでしょう?
彼はわたしにとって、架空の人物のようですらありました。
一度、彼の学ランの肘がわたしの背中にぶつかって、
ごめんと謝られた日には、
その僥倖を永遠にたどれるようにと、
帰ってから日記に仔細に書き込みました。
そもそも話しかける勇気もないのに、
バレンタインだからといって「告白」なんて、
できるはずもありません。
とはいえ、チョコレートはひと月も前に、
町のデパートで買って、引き出しの中に温存していました。
2月14日当日は、決意も不確かなまま
チョコをカバンに入れて学校に持っていき、
渡せないまま持ち帰り、数日後に部屋で食べました。
「こんな味かー」、と思いました。 
それがわたしの初めてのバレンタイン・デー。
中学2年生になっても、わたしはその男の子が好きでした。
それでまたチョコレートを買い、渡せずに、自分で食べました。
中学3年生になってしばらくして、
その子に彼女ができたことを、なんとなく知りました。
学年で一番キラキラした女の子でした。
バレンタイン・デーが近づいて、
やはりわたしはチョコを買いに行ったのですが、
その年はおかしなことに、買うべきチョコが2つに増えていました。
3年に入ってから、ある男子と休み時間に
よく喋るようになっていました。
その子は全くキラキラしておらず、でも顔を合わせると
アニメやら音楽の話が自然と始まりました。
その子が、
「長津さん(わたしの旧姓です)、バレンタイン・デーにさ、
チョコレートちょうだい」というのです。
「なんで?」と訊くと、
「なんででもいいから。義理チョコでいいから」と。
なんだかなあ、と思いながらもその年、
わたしは初めて、チョコレートを男子にあげました。
「本命」チョコは、やはり渡せずに自分で食べました。
ひと月後、義理チョコの男子が、
「ホワイトデーですね」と
かわいらしいクッキーをわたしにくれました。
3年生の3月14日は卒業式も間近で、
義理くんは記念にとわたしの写真を撮り、
現像したものを2、3枚、家に郵送してくれました。
卒業の後は、本命君、義理くん、どちらとも縁遠くなりました。
今、二人のうちどちらかと会えるとしたら、
わたしは迷うことなく、義理くんに会ってみたい。
休み時間のおしゃべりの続きができそうな気がするからです。
恋心が消えた今となっては、本命くんは
キラキラというより「ツルツル」している。
わたしはきっと本命くんの、
自分との接点のなさ加減や、隔たりにこそ、
恋い焦がれていたのでしょう。
その理不尽に、あの頃のわたしは気づかなかったし、
きっと、気づきたくもなかったのです。

ニューヨークのおばさん。

 
小学生のころ、
ニューヨークに住む母の友だちと
文通をしていました。
そのおばさんは自宅でミニブタを飼っていて、
ブタの様子を写した写真を同封してくれるのです。
トイレの中に顔を突っ込んでいたり、
低いテーブルを囲んで一緒に食事をしていたり、
すこしばかり滑稽な写真たちが
幼かった私はとても楽しくて、
部屋の壁に貼って眺めていました。
小学校を卒業する時、
おばさんが「おめでとう」と言って
大きな荷物を送ってくれました。
やりたいことを追いかけて、
ひとりでニューヨークの荒波を
闊歩してきたおばさんですから、相当クールな印象。
誕生日をお祝いしてもらったことも一度もなかったので、
驚きながら封を開けると、
この青いギンガムチェックのシャツが入っていました。
なんの変哲もないシンプルなシャツですが、
100%コットンで肌ざわりがよく、
何より「ニューヨークから送られてきた」という
事実にちょっと自慢げになりました。
しかし、中学生の私が着こなすには大人っぽく、
サイズもとんでもなく大きい。
無理して着てみた日もありましたが、
風が身体を通り抜けて寂しくなりました。
大事にクローゼットであたためておき、
似合うようになったのは大学生のころ。
その頃には、自分の好きなファッションと
合っていたので、頻繁に着ていました。
「思いっきり、着てね!!!」
というおばさんからのメッセージ通り、
着すぎたためか肩のところに穴が開くように。
繕いながら着ましたが、
ダメージは大きくなってしまいました。
もっと大切に着たらよかった‥‥と反省しながら、
今もクローゼットに置いてあります。
おばさんとは、ブタが亡くなってしまって以来、
自然と連絡を取り合わなくなりました。
時々、母からおばさんの近況を聞き、
ギンガムチェックのシャツを思い出しています。
私がはじめて交流した、
カッコよくてたくましい女性。
彼女からもらった唯一のプレゼントは、
これからも大切にしたいです。

悲しくてかっこいい人

 
「悲しくてかっこいい人」。
数年前にタイトルと表紙に惹かれて買った本で、
ここ数日また読み返していました。
本を手にとるまで著者のイ・ランさんのことは
全く知らなかったのですが、
音楽や映像など多方面で活躍されている方です。
この本は彼女の日常を数ページほどの
短いエッセイでまとめられたもので、
テンポよく読み進められます。
仕事のこと、友人のこと、飼い猫のことだったりと
生活がありのまま綴られている文章で、
物憂さや悲しみを感じたと思えば、からっと明るくなったり
気持ちの変化が音楽のようで、
また次へ次へと読んでしまいます。
なんだか本を読んでいるというより、
お茶をしながらおしゃべりを
近くで聞いているような感覚かもしれません。
住んでいるところも、
育った環境も違うはずなのに、
不思議と親近感がわいてきます。
飾らない著者のあらゆるものに向けた思考は
肩の力がぬけて、小さい勇気をもらえる気がするのです。
私は湯船に浸かりながら読んでいます。
編みものの息抜きにもよい一冊です。

初めて着るものを編めました!!
これまでマフラーしか編んだことがなかったので、
カーディガンみたいな大きなものを編めるか心配でしたが、
少しずつ膝の上で重みを増していくニットが嬉しく楽しく、
最後は終わってしまうのが寂しい気持ちになりつつ完成できました。
大切に着ます。(くるとん)

 

uneuneを編まれたとは!
達成感に心が満ちますね。
どうぞ、自慢げに、たくさん着られてください。

 

uneune完成おめでとうございます!
パッチワーク柄の敷物をバックにして、
一枚の絵のようですね。
デザインした当初、uneuneはアイボリーだけだったのですが、
ミクニッツチームの要望で
カラーバリエーションが生まれました。
カラバリ作ってよかった〜、と、
完成作を拝見してしみじみします。



「編み会をほぼ日の中で」とはじまった“わたしのニット風景”。
みなさんがたくさん送ってくださったことで、
編みものの進み具合やできばえをたのしみ合う、
交流の場になれていたらうれしく思います。
mizudori通信の最終回は豪華バージョンでお届け!
いただいたニット風景を、たくさんご紹介させてください。
完成した作品、今年の編みもののお供、

質問や編みものをして気づいたことなど
写真とひと言添えてお送りください。
締め切りは2月27日(木)です。

送り先→postman@1101.com 件名→わたしのニット風景

渋谷PARCO8階「ほぼ日曜日」にて開催中の
「編みものけものみち 三國万里子展」は、2月いっぱいまで。
詳細はイベントページをチェックしてください!

2021-02-17-WED

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