次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!

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♯016

2021-02-24

 
時折思い出すシーンがあります。
4歳か5歳くらいのわたしが、
夕食の後で、テレビを見ている母に、
「遊んで」とねだっています。
チラシの裏に絵を描いて、とか、
トランプやカルタの相手になってちょうだい、
といった他愛のないお願いなのですが、
母は決まって「お正月になったらね」と答えます。
わたしはその答えを聞いて少しがっかりしながら、
うん、きっとお正月にね、と言って引き下がります。
思えば母は朝の4時から婚家の家業の牛乳配達を手伝い、
その合間に家族6人分の家事に追われていました。
夕食の片付けを済ませた後にはもう
子供の相手をするエネルギーは残っていなかったのでしょう。
母は約束通りお正月になれば、
トランプや雪兎作りに付き合ってくれましたし、
その気になればとても愉快な遊び手でした。
年に一度実家に泊まるお正月にだけ、母はほっとして、
本来の自分に戻ることができたのかもしれません。
また、母は、時折寝室にこもって
内側から鍵をかけてしまうことがありました。
せいぜい1時間ほどの間でしたが、
わたしはその時間が不安でした。
(とはいえ、何か用事があって声をかければ、必ず鍵を開けてくれました)。
なぜそんなことをするのか、当時はわかりませんでしたが、
その頃を思い出して一つ言えることは、
嫁として内外で「使われる」存在だった若い母は、
おそらく日常的に傷つくことが多かっただろうということです。
一人になってその傷を癒し、また自分を取り戻す時間が
時折どうしても必要だったのでしょう。
そのような嫁としての日々が8年ほど続き、
母は過労から心身を壊し、
療養のために、婚家から車で10分ほどの距離にある
実家に引っ越しました。
父と、小学1年になる妹と、
小学2年のわたしも一緒でした。
母の父母は、わたしたちを理解しようとし、
あるがままに受け入れてくれました。
しばらくの間、母が祖母を相手にして
泣いてばかりいたことを覚えていますが、
数ヶ月経つうちに泣く回数も減っていきました。
自分の生まれ育った家で暮らしながら、
母は少しずつ回復していったのだろうと思います。
引っ越して一年経った頃、母は祖父の勧めで毛筆を習い始めました。
「お母さん、なんで習字するの」と、
習字の授業がたいして好きでなかったわたしは訊きました。
母の答えはこうでした。
「ずっとしてみたかったから。
それにこれは習字じゃなくて、書道っていうんだよ」。
母はそれから、毎日書きました。
午後を稽古の時間に充てると決めたらしく、
わたしが学校から戻ると、母は仏間の文机に向かい、
墨を磨るか、筆を握るかしていました。
「書いている間は話しかけないで。線が曲がるから」
と口癖のように言っていましたが、
以前のようなヒリヒリした孤独とは違う、
自分の全身を満たすような一人の時間の中に、
書くという行為を通して入っていくようでした。
母の目には光が戻り、以前の疲れや暗さの影は消えました。
わたしは集中して書いている母の横で過ごすのが好きでした。
日の当たる縁側に座り、母が稽古する気配を感じながら、
お絵かきやフェルトの手芸に没頭するのです。
家族の中で一人に「なって」、自分がしたいことをする。
でも寂しくない。お母さんも、わたしも。
母は週に一度の書道教室に通うのをとても楽しみに、
また張り合いにしていました。
先生から朱墨を入れられた自分の字に、
ボールペンで「もっとこう」というような
注意書きをわかりやすく入れるのが、母独特の勉強法でした。
母は、1日2時間は書くと決めて、熱心に打ち込みました。
おかげであっという間に上達し、所属する書道の会の会誌に、
毎号のように作品が紹介されるようになりました。
母は、形の中にある美しさを捉えながら筆を進める、
身体的な勘のようなものが鋭かったのだと思います。
細い筆で仮名文字を書けば、梅の古木のようにしんとして、
その中に揺るぎなく水が流れていることを
観る側に測らせるような生命感がありました。
大きな毛氈に紙を広げ、四つん這いになって太い筆で書く時には、
大小の文字は踊り、意味を伝え、
書き終えた時にはそこにまるで、母という人の最良の部分が
写し取られたように見えました。
母の字は、母という人の命を分けた、生き物のようでした。
やがて母はパートで勤めに出るようになりましたが、
書道をやめるという選択肢はなく、
忙しい1日の中に時間を作って、書くことを続けました。
展覧会で良い賞をもらい、師範の資格も与えられ、
生徒を取らないかと勧めてもらうこともあったようですが、
母は自分の字で稼ぐという道には進みませんでした。
40年書き続けて、70代の半ばに差し掛かる今になっても、
書道は個人的な楽しみとして、母とともにあります。
「編みものけものみち」という展覧会(開催中、2月28日まで)を
作るにあたって、ミロコマチコさんに描いていただいた絵文字が、
額装されて展覧会会場に飾られています。
この文字の前に立つと、なぜか母のことを思います。
一昨年にもわたしは、パルコの同じ場所で展覧会をしたのですが、
そのときに母が新潟から見に来てくれました。
会場内に感想を寄せ書きする場所を設けていたので、
何か書いてよ、と母にマッキーを渡すと、少し考えた後で
「憧れのぱるこ」
と書きました。
その文字が、他のカジュアルな筆跡の寄せ書きに並んで、
場違いに達筆でした。
本当はパルコや渋谷のことなど、何も知らない母です。
「ぱるこ」の方こそ、きっと母さんに憧れるはずだよ、と、
わたしはこっそり思いました。
ミロコさんに描いていただいた絵文字は、
渋谷の会期の終了後に、展覧会のお礼として
わたしがいただくことになっています。
(本当はこんな楽しい展覧会をさせてもらったわたしの方が
皆さんにお礼をするべきでしょうが)
本当に素晴らしい、見ているとどこか遠くに
誘われるような心地のする作品です。
ミロコさんの作品と、道という言葉に敬意を表すために、
あと少し、展覧会会場の「巣穴」に通います。

春のお買いものへ

 
いよいよmizudori通信も来週で最終回となりました。
冒頭の三國さんのエッセイが、まいどまいど
息をのむような、つややかな、読んだら少しだけ
自分の人生も豊かに見直せるような‥‥
素晴らしかったですね。
回を追うごとに胸にせまる思いがする文章でした。
三國さん、ありがとうございました。
あと1回、どうぞよろしくお願いいたします。
と、読者代表のような感想を述べてしまいましたが、
親鳥である三國さんのエッセイに後ろから
ちょこちょことくっついていくような、
わたしたちのよちよちな文章も毎回お読みくださって
ありがとうございました。
さて、最近の東京は2月とは思えない日差しの暖かさで、
いてもたってもいられず、買い物ツアーにでかけました。
試着ってみなさんされますか?
わたしは、できれば試着せずにさっと帰りたい、
なんて思ったりしていたのですが、
いい加減いい大人になって、やっと今更、
試着は試着なんだから、
買っても買わなくても試着してよし! と
思えるようになりました。
というのも、何度かほぼ日の仕事で洋服の
販売のイベントを担当し、店に立っていて、
たとえ購入してくれなくても
興味をもって商品を見てくれるだけで、
試着してくれるだけで、マジで、心のそこから、
めちゃくちゃ店員としては嬉しい、
ということを経験できたことが大きかったと思います。
そんなわけで、青山のセレクトショップで、
予算オーバーのシルクのワンピースを着て
くるっとまわってみたり、
新宿の伊勢丹で前から気になっていたけど、
まだ一着も持っていないブランドのセットアップを着て
試着室備え付けの9cmくらいはありそうなヒールを履いて
カツカツ歩いてみたりと、
前のめりめに買い物を楽しんでみました。
おかげでひらひらと気持ちよく
体にやさしく寄り添ってくれる
ブラウスを深い納得のもと、買うことができましたよ。
たんぽぽの花がたくさん咲く頃には着られるかなあ。

「裁縫レッスン」に教わったこと。

 
「Miknits」のチームに加わって以来、
ものづくりが身近な生活を送ってきました。
編み物や手芸のことを考えるときに、
よく頭にうかぶ、ちいさな文章があります、
ポール・オースター編
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』に収められた
「裁縫レッスン」というちいさなエッセイ。
この本は、ラジオ番組に集まった投稿をまとめたもので
「裁縫レッスン」も、ひとりのリスナーの女性、
ドナさんの経験が元になっています。
子どものころから裁縫に親しんできたドナさんには、
「お母さん」と「女学校の先生」という
ふたりのお師匠さんがいるのですが
それぞれ哲学がことなるふたり。
お母さんはあかるく楽しく、
最短ルートで縫い上げちゃうイメージ。
できあがるお洋服も現代的なスタイルです。
一方、女学校の先生であるミセス・ケルソーは
きちっと手抜かりなく段階を踏んで作る完璧主義。
出来上がった服も、保守的で、
あまり面白みのないデザインなのだそう。
(ドナさんいわく、「ズタ袋」。)
両極端のふたりの教えを蓄えたドナさんですが、
このエッセイでわたしが最初に惹かれたのは
お母さんと、子ども時代のドナさんが
手を叩いて、歌いながら
ソーイングをとっても愉快そうに楽しんでいる描写です。
わかるわかる、なにかを作るって楽しいもんねー!と
読者のわたしも心のなかでキャッキャするのですが
エッセイが進むうち、あらたに生まれたドナさんの心境にも
大きくうなずきたい気持ちになります。
年齢を重ねたドナさん。
いざ「良いものが着たい」「完璧な仕上がりの服を」と
思ったときには
ひと手間ひと手間、丁寧にお裁縫を進める
ミセス・ケルソーの教えが活きることに気づくのです。
わたしも、編み物をするときは
ついつい「ちょっと雑だけど、まあいっか」という甘えが
首をもたげてしまうのですが
やっぱりあとからその箇所が気になって、着なくなったり
直すのにさらに手間がかかったりしています。
いま、わたしのニットプロジェクトは
とくに苦手な「とじはぎ」にさしかかっているところ。
このエッセイを胸にとめ、楽しみながらも
ひと針ひと針きっちり仕上げようと思います。

オーバーサイズコートが流行っていても、
袖が太くてニットを着てもすっきり見えるコートって
かなか良いものが見つかりません。
去年のことですが、イギリス製のツイード生地と
裏地用のシルクローンを買ってきて
三國さんのニットに合わせてコートを縫いました。
たっぷりロング丈で裏地のシルクがスルスルと衣擦れして
手作りだけどなんとも贅沢な気持ちに。
袖は太いままだと羽織のようだったので、
袖口にかけてシェイプしてボタンもつけました。
ポケットもサイドではなくセンターにスリット状にして、
広い身頃が退屈に見えないように。
仕上げに、似合うボタンを探しに出かけた時は
未完成のボタンなしコートを着て日暮里まで出かけてしまいました!

 

ニットに合わせてコートを手づくりされるなんて、
とっても素敵ですね!
生地も大人っぽく上品な雰囲気です。
ニットもよろこんでいますね。

 

本当に素敵なコートですね。
シルクの裏地の色も上品で、
ツィードの質感を引き立ててるようにお見受けします。
袖やポケットについてのお話が冒険物語のようで、
写真と見比べながらワクワクしました。
わたしもこんなコート、作ってみたい!


「編み会をほぼ日の中で」とはじまった
“わたしのニット風景”を大募集中です!

mizudori通信の最終回は豪華バージョンでお届けするため、
いただいたニット風景を、たくさんご紹介させてください。
完成した作品、今年の編みもののお供、

質問や編みものをして気づいたことなど
写真とひと言添えてお送りください。
締め切りは2月27日(土)です。

送り先→postman@1101.com 件名→わたしのニット風景

渋谷PARCO8階のほぼ日曜日で開催中「編みものけもの道 三國万里子展」は2月30日(日)まで。お買い物や三國さんの故郷・新潟のお菓子を楽しめる日もあります。巣穴もぜひ、のぞいてみてくださいね。

2021-02-24-WED

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