次第に日差しがあたたかくなってきました。
きれいで、やさしくて、おいしいものが
大好きなわたしたち。
親鳥であるニットデザイナー・三國万里子さんの審美眼に、
ときめきに花を咲かせる4人が水鳥のようにつどい、
出会ったもの、心ゆれたものを、
毎週水曜日にお届けします。
「編みものをする人が集える編み会のような場所を」と、
はじまったmizudori通信は、
ニットを編む季節の節目とともに一旦おやすみします。
ニット風景も一挙ご紹介です!
♯017
2021-03-03
- 大学を出た年の冬から翌年の春にかけて、
秋田の山奥の温泉で住み込みのアルバイトをしていました。
東京でいろんなことがうまくいかず、
どこか遠いところに逃げて行きたかったのが、
「山奥」の理由です。
逃げたいなら一人で行き先を決めて、
さっさと行けば良いものを、
行き詰まり方も中途半端で、
何かと頼りにしていた叔父に相談し、
叔父にとって大事な知り合いだった
その温泉のご主人に紹介してもらいました。 - その温泉はとても辺鄙な場所にあるために、
冬にはあまりお客さんが来ない、ということは、
働いてしばらくして知ったことでした。
すでに住み込みのおばあさんが二人いて、
その人たちだけで館内の掃除も料理も
十分にまかなえていたのに、
宿のご主人は、叔父への義理のために
見ず知らずのわたしを雇い入れてくれたのでした。 - わたしはそこで、ずいぶん周りの人たちに
親切にしてもらいました。
かわいがられた、という方が、
言い方としては合っているかもしれません。
ご主人夫婦と住み込みのおばあさんの他に、
事務担当の中年の女性が二人と、
車の運転や力仕事を担当する年配の男性が3人、
山の下の町から通ってきていました。
そのほとんどがわたしの倍以上の年齢で、
都会から来たぼんやりした若い女
(カーリーヘアに鶏がらのような
やせっぽちの体という風態)に
親身に話しかけ、また仕事を教えてくれました。
布団のたたみ方、掃除の仕方、
お膳を重ねて運ぶ時に腰を痛めない体の使い方。
「お客さんの前に出るときは、
雑巾を前掛けに引っ掛けていちゃだめだよ」、とか、
「配膳しながら畳をどすどす歩くと埃が立つよ」とか、
小言を言う時には、仕方がないねぇというように苦笑しながら、
リズミカルな秋田弁で諭してくれるので、
なにかおもしろい話を聞いているようですらあり、
素直に聞き入れることができました。 - そこは天国のような場所でした。
敷地内にある温泉には、いつ入っても構わないし、
秋田の食材を使ったごはんはおいしいし
(おかげであっという間に5キロほど太りました)、
それに何より、静かでした。
まず宿自体がすっぽりと山の懐の中にあり、
人の往来がほとんどないのに加えて、
ご主人の方針で客室にはテレビも置いておらず、
外からの情報は新聞くらいしか入ってきませんでした
(わたしは阪神大震災を、掃除の途中に、
廊下の小テーブルに置かれた新聞で知りました)。
音といえば館内を流れる小川の水音と、鳥の鳴き声、
それに、天気の良い日に「つらら」から溶け落ちる
ぴしゃぴしゃという音くらい。
午前中、掃除の済んだ畳に脚を投げ出し、
仲間のおじさんやおばさんたちと世間話をする時には、
リアルであるべき「世間」の方が、
どこかおとぎ話のように感じられました。
そのせいか、わたしが東京に置き残してきたいろんな問題も、
日に日に距離を置いて眺められるようになりました。 - そうやって年の離れた仕事仲間と一緒に働くうちに
少しずつ互いの気心も知れて、
人に受け入れられて働くことの居心地の良さを、
人生で初めて知りました。
それなのに、です。
山の雪が溶け始める頃、これ以上ここにいてはいけない、
東京に戻ろう、と一人で決めてしまいました。
「夏になったら軽食のロッヂを
まりちゃんに任せようと思ってるんだよ」と
宿の奧さんに言われたことがきっかけでした。
自分がここでちゃんと場所を与えられ、
役に立つようになることを想像して、
急にわたしは恐くなりました。
ただでさえ居心地のいい「ここ」から去り難くなり、
それきり東京へ戻るきっかけを
失くしてしまうんじゃないか、という気がしたのです。
勝手なことはわかっていながら、
わたしは自分の気持ちを譲ることができませんでした。
それでわたしは「東京に残してきた恋人と結婚する」
という嘘をこしらえて、
ゴールデンウィーク前に、皆のもとを去りました。
山のお客が入るハイシーズンを目前に、
5ヶ月間、大して役にも立たずお給料だけをいただき、
世話をしてくれた叔父に報告もせず
(気まずくて報告できなかったのです)、
仕事の中で育んだ友情も置き去りにして、
23歳のわたしはとっとと山を降りました。 - 山から戻ったわたしは、何事もなかったように暮らし始めました。
うまくいかないことはそのままに、
でも、もう東京から逃げようとは思いませんでした。
時々、山での日々を思い出しました。
心の中を探ると「人の気持ちを無にし、
山から降りて、自分は何をしただろう」
という問いが、硬い雪の玉のように
わたしの中に留まり続けているのを感じました。
それは結婚して子供を育てても、
仕事を始めて、やがて本を出すようになっても
消えることはありませんでした。 - その問いが最近、少しではあるのですが、
「溶け始めたような気がする」出来事がありました。
それは「編みものけものみち」の展覧会の会場でのことでした。
会期中、毎日通っていたわたしは、
午後の3時を過ぎるとお客さんの数が
めっきり減ることに気づきました。
会場の受付で立っているスタッフは、
することがなくて手持ち無沙汰にしています。
それでわたしは彼らに編みものを教えることにしました。
1度に教えるのは1人なのですが、
シフト制で入れ替わるので、全部で10人近くいたでしょうか。
ほぼ全員が編みものの経験がない若者達で、
わたしの「編みものやってみませんか」というおせっかいな申し出に
「ぜひやってみたいです」と乗ってきてくれました。
編みものは、自分でやってみて初めてその仕組みがわかるもので、
その意味で車の運転に似ているかもしれません。
わたしは教習所の教官のように、
編み針を握る「生徒」の手元を見つめ、時々口を出し、
うまく操作できないときには横でウンウンと考えて、
説明の仕方を変えながら、
どうにかして編めるようにと励ましました。
うまくいった時には一緒によろこび、
淡々と編める箇所に来ると世間話をしました。
その毎日の、のんびりと集中する1、2時間が、
わたしに不思議な作用をもたらすのを、
少しずつ、日を追って感じるようになりました。
縁があって同じ場所に居合わせた誰かと、
ある意味時間つぶしのように、一緒に編みものに熱中する。
自己実現でもなく、お金ももらわない。
そのことがわたしをとてもリラックスさせ、
また深い部分で解放してくれたのかもしれません。
ふと、山を降りてきたわたしが、
渋谷の街中を抜けて、パルコの8階にたどり着き、
人に編みものを教えているイメージが浮かんできて、ひとり笑いました。
わたしはたぶん、23歳の自分と、少し和解することができたのです。
おかしなものですね。
自分自身歳を重ねたせいもあるのでしょうか。
編みものを人に教えるなんて自分には向かないと、
ずっと思っていたんですけどね。
色のこと。
- 少しずつ暖かい日がふえてきて
冬のおわりを感じます。
冬が終わると好きなニットたちとも
しばしの間お別れなので、
ちょっぴり寂しい気持ちです。 - ふりかえると、この冬は
なんだかあかるい色のニットを
よく着ていたような気がします。
特にきいろのタートルネックのセーターと
ピンクと黒の模様が入った水色セーターを
よく選んでいました。
もともと色や柄物は好きなのですが、
最近は自分に合うものを求めて
より一層色への関心が
高まっているかもしれません。 - そういえば何気ないワンシーンなのですが、
映画監督のアニエス・ヴァルダさんが
自身のドキュメンタリー映画で、
髪の色について聞かれたとき、
「色がすきで‥‥」と話す表情が
とても心に残っています。
というのも彼女のトレードマークは
マッシュルームヘアーで
白と赤のツートーンカラーが
とてもチャーミングなのです。
ヴァルダさんの言う「色がすき」という言葉は、
いままで見てきた数多の大切な光景や経験の深いところから
発せられたように感じます。 - そして90歳で亡くなるまで、
彼女自身がキャンバスになったように、
全身で色を、そしておしゃれを
楽しんでいるようにみえ、
そんな姿に憧れを抱いていました。 - 春に向けて着てみたいあらたな色を探しつつ、
寒い冬を暖かくしてくれた
冬物たちに感謝の気持ちをこめて
お手入れをしたいと思います。
少女の心よ100まで
- 岡崎京子さんの作品に出会ったのは、
中学生のときでした。 - 母の本棚から、
non・noやmcシスター、oliveといった
すこし古い雑誌を読みあさる毎日。
可愛くて個性的で綺麗なカルチャーに
どっぷり魅了されました。
中でも好きだったのが、岡崎京子さんのこと。
漫画を読むよりも前に、
彼女のエッセイやインタビューを読み、
彼女自身の弱いものには優しく、
たとえ挫けてもうまくいかなくても
「世界は広いんだぞー!」という姿勢が、
中学生の私には大きな勇気になりました。
サカエちゃん(岡崎作品のキャラクター)のように、
カルチャーやファッション好きなものを身につけて、
自分らしく、泣いたり笑ったりできる女の子が、
とても眩しくうつりました。
そしてきっと、下北沢や高円寺に行けば、
まだ巡り会えていない親友がきっといるはずだと、
夢を見ていたような気がします。
何度も、何度も、漫画のページをめくり、
彼女が尊敬した少女漫画家たちの作品にも出会い、
ときめきを蓄えました。 - 年齢を重ね、何度引っ越しをしても、
この子たちはついてきます。
本棚の一角に鎮座する彼女たちは、
きっと、私の宝物なんだと思います。
”少女”と表現するとどうもむずがゆいですが、
幼き頃の純粋に綺麗なものを追い求めて、
ロマンチックと日常がごっちゃになっていたような日々が、
どうしたって大切なんだと思います。
ずっと忘れたくない。
ページをめくることは少なくなりましたが、
そこに居てくれるだけで気持ちが残る気がします。 - 生活が一変して、いろんな状況が変わりました。
忙しなく過ごす毎日でも、
三國さんのエッセイから生活に潜むきらめきを見つけ、
同じチームの豊かな視線に刺激を受け、
読んでくださるみなさんの感想や写真から
また新しいものを見つける日々でした。
短い期間ではありましたが、毎週水曜日、
読んでいただきありがとうございました。
日常はときめきに溢れていますね。
今日でmizudori通信は最終回です。
これまでたくさんのニット風景をお送りくださり、
ありがとうございました!
三國さんからのコメントもありますよ。
まだまだ皆さんの豊かなニット風景が広がりますように。
小さなバッジやブローチが好きで、
骨董市などで見つけてはコツコ
眺めるばかりでなかなか上手く身につけられなかったのですが、
三
中でも、このカンガルー・キウイ・コアラの組み合わせがお気に入
残念ながらオーストラリアに行った事はまだないのですが、
帽子の
カンガルー、コアラ、キウイのハットピンとは!
よく集めましたね〜〜
エスカレーターの前にこんな帽子の人がいたら、
わたしはきっと話しかけてしまう。
ニットにキラキラしたものって、よく似合うんですよね。
私は北海道の農家の50代女子です。
秋までは農作業に励み、冬はいつもなら映画を観たり、
お買い物に
この冬はコ
StayHome生活のお供に、「編み物」をやりました。
こんなに編み物をした冬は今ま
来季は着れるものを編みたいなと、、、
本当は自分用に欲しかったのですが、小3の娘がこのセーターを
娘のために編みました。サイズもピッタリです!
気
主人の手袋と私の帽子の余り糸で小一の息子に編んだものです。
途中で糸が足りなくなって色が変わっていますが、
子ども用だからかそれもポップな感じになっていいなと思っていま
手編みの手袋なんて、さいきん口調もこなれてきた男子が付けるか
思っていましたが、ただの糸が少しづつ筒状になり、模様が出てく
見ると朝顔の成長を見るように「どこまで大きくなった?」「いつ
興味津々。果たして、出来上がったものを「自転車用にする!」と
つけてくれたのでした。ハンドルを握ると内側がすぐもけもけにな
内心思いながらも、喜ぶ姿に破顔してしまう私でした。
編みものシーズンは終わってしまいましたが、
どんどん広がっていかれる三國ワールドに胸が高鳴ります。
三國さんを通して自分の好奇心も内へ外へと広がっています。
今後もご活躍を楽しみにしていますし、私自身も頑張らねばと
姿勢を正す心持ちになります。
先日は、わたしのニット風景に掲載していただいてありがとうござ
「ユーミンを聴きながらダンス」してメリヤスを編む三國さん、か
わたしは相変わらずドラマと、ときどき三國さんの姿を想像して、
そしてこれだけありました、いままで編んだもの。
次はどんなmiknitsかなぁと、mizudoriを編
フェアアイルを編むのが好きなので、数年前に大きな膝掛を編みました。
使い込むうちに柔らかくフェルト化
フェアアイルの裏側も好きなポイントです。(たなかまり)
ステイホームをきっかけに編み物を始めました!
miknits TO GO のハニカムキャップから始まり、
年末年始にniigata、
この秋冬たくさんお世話になりました。
毎年お小遣いを捻出して海外旅行に行くのが生きがいだった私も、
1年以上県外に出ていません。せっかく完成した
ノルディックのポンポン帽で外国の街を歩きたい
と思っていたら、
雪をかぶった富士山にそっくりでした。
地元をじっくり歩き回るいい機会なのかもしれません。
本当だ!
ノルディックのポンポン帽は富士山によく似ていますね。
「地元を歩き回るいい機会」という言葉にも頷きます。
身近なところをじっくり見ることで、
いつかまた海外に行った時に、
新しい視点が増えているかもしれないですね。
いつもmizudori 通信楽しみにしております。
三國さんをはじめ皆さまの、素敵な
可愛いスタイルのカオジロガンセーター、完成まであともう少し。
でも2目ゴム編み止めで滞ってます。頭がこんがらがって中々
本格的に暖かくなるまでには仕上げたい!です。
超えられたのですから、あと一息で完成ですね。
枝と実のミトン、
リブを編んでいるうちに気分が変わ
いざ自分で色を選んで編んでみたら、
その結果、自分だけの特別な枝と実のミトンができ、
今シーズン毎日のように使ってます。
指出しアレンジも使いやすくて気に入ってます。
三國さんは配色で気にしていることなどなにかありますか?
いつも楽しくそして刺激されながら読ませていただいています。
40年ほど前、近所の編物教室で機械編みを習っていました。
結婚し子供が生まれたころまでは、何とか続けていましたが
子供の成長とともに、編み機を出すこともなくなり
30年ほど、押し入れの片隅に眠らせていました。
昨年、もう、錆びて使い物にならないだろうと諦め半分で
開けてみたところ、思ったよりもきれいでびっくり。
ネットで、オーバーホールしていただける業者さんを探して
私の機械編みライフが再開しました。
その1作目が、孫のワンピースセットです。
30年前の記憶をたどりながら、何とか完成!!
今では、毎週休日は、編み機の前に座っています。
三國さんのデザインをまねて機械用に製図してみましたが
複雑すぎてで違ったものになってしまったり(笑)
失敗も楽しみながら、これからも編み物続けていこうと思っています。
しーちゃんのチョッキ母に編んでいます。
完成出来たら、かーさんのチョッキに!
編み途中のものは風呂敷的なものに包んでおくと
いつでもどこでも
皆さんはどうしているのかな?
昨年6月に3人目の長男を出産しました。1年間の育児休暇の間は
夏にはオリンピック三昧、8歳と5歳になるお姉ちゃん達と、
束
あれよあ
それでも何か楽しいことをと、
ハリネズミの手袋を2つ編んでみよ
中学生以来の編み物で、編み目の作り方からおさらいでしたが、
「私のハリーちゃん!」
4匹のハリーちゃんを見るたびに、思いもよらない2020年の、
「雪だらけの手袋」を少しアレンジして編んでみました。
上の2つ
私のは右
目はテレビをみているのに編み物の手はとまらない。
部屋履きのごろっとした足首までの靴下を編んでは人にあげ、
うちに来た友人はみんな祖母の靴下を持って帰るほどに。
亡き祖母の何かを継ぎたい思いを友人に告げ編めるようになり。
編んでは人にあげ、SOCKS100Projectをスタートしています。
初めての棒針編みでヘリンボーンマフラーを編みました!
表編み・裏編みの2種類でこんな素敵な模様ができるなんて感動!
母の出来上がったルンルン気分が子供たちにも伝わったのか、
2人で巻いてみたり、綱引きしたり…(綱引きはやめてー涙)
子供にもこれから色々編んであげたいです!
今月末で76歳になる父が、
年末年始には何度か付き合いましたが、
かぶってくれるといいのですが。
サイズはどうかな、とか、送るのがどきどきです。
ぐっと健康になったらしいです。(
なかなか難しいものを編むことは少ないのですが、
三國さんの
自身
私の編み物の友の1つは、やっぱり暖かいストーブです。
炎のそば
お揃いの白
すずらん
uneune完成(仮)です。なぜ(仮)かと言うと、
左前立ての色が違うから…。
たくさんのニット風景を送っていただき
ありがとうございました。拝見しながらグッと来て、
わたしたちも編みものへの熱が高まりました。
どこでも、どんな時でも出来る編みものを
これからもみなさんが楽しんでくださいますように。
また、お会いできます日を!
短い季節ではありましたが、mizudori通信を読んでいただきありがとうございました!みなさんからの感想やニット風景に、私たちも励まされる日々でした。またどこかでお会いできますように。
2021-03-03-WED