『マリオ』や『ゼルダ』や『ピクミン』をつくり、
世界中で尊敬されているゲームクリエイター‥‥
と書くと、正しいんですけど、なんだかちょっと
宮本茂さんのことを言い切れてない気がします。
クリエイティブでアイディアにあふれているけど、
どこかでふつうの私たちと地続きな人、
任天堂の宮本茂さんが久々にほぼ日に登場です! 
糸井重里とはずいぶん古くからおつき合いがあり、
いまもときどき会って話す関係なんですが、
人前で話すことはほとんどないんです。
今回は「ほぼ日の學校」の収録も兼ねて、
ほぼ日の乗組員の前でたっぷり話してもらいました。
ゲームづくりから組織論、貴重な思い出話まで、
最後までずっとおもしろい対談でした。
え? 宮本さんがつけた仮のタイトルが、
『なにもできないからプロデューサーになった』? 
そんなわけないでしょう、宮本さん!

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第1回

ふたりで話すときは

一同
(拍手)
宮本
こんにちは(笑)。
糸井
ほら、言ったでしょ? 
この激しい社内人気。
みなさん、これが宮本さんです。
宮本
はい、こんな感じです。
一同
(拍手)

糸井
最初に宮本さんにオファーしたのは、
もう3年くらいまえのことで。
「ほぼ日の學校」をつくるので、
ぜひなにかやってくださいって。
宮本
そうでしたね。
糸井
あんまりこういうことを
やりたがらない人だっていうのは知ってたけど、
やっぱり、宮本茂さんの授業を聞きたかったんです。
宮本
けっこうプレッシャーだったんです。
どうしようかなぁ、って。
糸井
ねぇ、申し訳ない。
でも、たまにはプレッシャーのかかることを、
やってもいいんじゃないかな、って(笑)。
だから、これの打ち合わせと称して、
宮本さんとは3、4回会ってますよね。
宮本
そう。で、今回も打ち合わせのつもりでいたら、
「えっ、打ち合わせじゃなくて、本番?」って。
じゃあもう、来てみるかっていう。
糸井
それが今日です(笑)。
思えば、人がいないところで宮本さんと
しゃべってる機会はものすごく多いんだけど、
こんなふうに人がいるところで、
ふたりでしゃべったことは‥‥あるかなぁ?
宮本
あんまりないですよね。
任天堂の社内イベントで
うちの社員を前に一度話しましたね。
7、8年前。岩田(聡)さんがいたころ。
糸井
ありましたね。
でも、それが唯一みたいなもので、
あとは人がいない場所でばっかり話してる。
宮本
そうですね(笑)。

糸井
宮本さんとは、いつも互いに
質問をぶつけ合ってる印象があるんですよ。
ぼくも宮本さんも、会うたびに、
「これどう思いますか?」って。
だから、バカな話をしているというよりは、
案外、真面目な話をしている。
宮本
案外っていうか、ふつうに真面目な話を。
糸井
してるんですよね(笑)。
宮本
ぼくはそもそも、30歳過ぎに、
糸井さんと話をさせてもらうようになって、
そこで鍛えられたというか、
育てられた感じがしていまして。
糸井
なにを(笑)。
宮本
糸井さんと話して、いちばん大きかったのは、
「これでいいんだ」って思えたことでした。
というのは、若いころってやっぱり、
ある分野の高みで仕事をしている人は、
ものすごいことを考えている人だ、
っていう思い込みがあったんですよ。
それにくらべて自分は‥‥って。
ところが、糸井さんと話していると、
わりとのびのびとしていて、
それでいて結果がどんどん積み上がっていく。
それを見て、
「ああ、これでいいんだ」って思ったのが、
ぼくにとって、すごく救いになったし、
いまも救いになっているんです。
あのころの糸井さんは、
広告の世界から離れて、釣りをはじめたりして、
どんどん個人の世界に入っていって、
のびのびされているんだけど、
でも、ものはちゃんと生みだしていて。
そういうのを近くで見ているうちに、
ぼくもそんなふうになりたいな、と思ったし、
すごいことをしている人に変に憧れたり、
劣等感を持ったりしてもしょうがない、
って思うようになったんです。
糸井
たぶん、そのころの宮本さんには、
ぼくが、いろんなことを気にせず、
「自分で判断してる人」に見えたんでしょうね。
宮本
ああ、そうそう(笑)。
糸井
宮本さんが30歳過ぎくらいで、
ぼくはそのちょっと上だから、
なんていうんだろう、そのころって、
世の中の動きに合わせる必要がないぐらい
ぼくが生意気なときだから。
宮本
(笑)
糸井
生意気やってた方が
自分が生き生きできたというか。
だから、まぁ、いま思えば、
ほんとうに生意気だったですね(笑)。
そんなときに、宮本さんに会ってた。
宮本
そう、なんか、
「いまの広告は誰が出るかで
好感度と効果が決まっちゃうから、
俺がやらなくてもいいんだよ」
っておっしゃってました。
糸井
ああー、すてきだなぁ、オレ(笑)。
一同
(笑)

宮本
なので
「ゲームをつくってるほうがおもしろい」
って(笑)。
糸井
その揺れ動きそのものを、
そのままクリエイティブにぶつけてたんだ。
宮本
そういう糸井さんのスタンスが、
けっこう自分が思ってたことと近かったというか。
『MOTHER』の製作も、
クラブ活動みたいにたのしそうにつくってて。
ぼくもどちらかというと、
そういう感じが好きだったんです。
ぼくは出身がID(インダストリアル・デザイン)
なんですけど、IDの人って、たとえば
「冷蔵庫をつくります」って決まったら、
まず冷蔵庫のカタログを集めにいくタイプと、
「冷蔵庫とはなんのためにあるのか?」っていう
根本から考えはじめるタイプがいて、
ぼくはあきらかに後者だったんですが、
ほとんどの人がカタログ集めからはじめるんです。
マーケティングから入ったり。
糸井
はい、はい。
宮本
そうじゃないよなぁ、と
漠然と思いながら仕事をしていたんですが、
糸井さんの仕事を見ていると、
そんなことに悩むまでもなく、
勝手に考えるところからはじまるので、
ああ、なんか居心地がいいなぁと思って(笑)。
糸井
たしかに、その手の話を、
宮本さんとはいちばんした気がしますね。
自分たちがなにに縛られてるかを考えて
ひとつひとつ外していく、みたいな。
宮本
うん、うん。

(つづきます)

2024-01-01-MON

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