元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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運動会がくれたもの

2位になったら、夕食はお寿司屋さん。
1位になったら、猫を飼う。

運動会の朝、息子たちは
とんでもない賭けをもちかけてきた。
徒競走の順位で夕食を決めるのは
運動会の日のお決まりだ。

「1位、ご飯じゃないんだけど」
「あ、気にしなくていいよ」

気にしないわけがない。
1位で母が背負うリスクが高すぎる。
もともと長男は運動が苦手で、
性格的にも順位を気にするタイプではない。
昨年は4人中3位どまりだったのに、
なぜか焼肉を獲得した。
そんな彼が大勝負に出たのは、
1年生になった弟に勝算をみたからだ。

次男は、とにかく足が速い。
保育園の運動会ではぶっちぎりの速さでかけぬけた。
ただし、あさっての方向だったが。
今年の成長を信じて、兄は賭けにでたのだろう。
素直に応援してよいものか悩む。
これから戦いに向かう彼らのために、
弁当に大好きな甘い厚焼き玉子を
ギュッと詰め込んでから答えた。

「寿司でも猫でも、勝ち取ってみなさいよ」
「やったー!」と喜ぶ兄弟。
いや、運動会はこれからだよ。

外は快晴。
それまでの涼しさが
嘘のような夏日になった。
油断して日焼け止めをぬり忘れた腕が、
ジリジリと焦がされる。
望遠レンズを装着した一眼レフカメラと、
ハンディカムを抱えることに必死で
スキンケアどころではなかった。

前年までの運動会は、
学年ごとに保護者と児童が入れ替わり、
1時間弱の体育の授業参観みたいなもので、
なんとも味気なかった。
今年、はじめて6学年が校庭に一堂に会する。
勢ぞろいした生徒と保護者の熱気の中、
運動会開幕を告げるため、校長は朝礼台に上がった。
手にはホラ貝。なぜ、ホラ貝。ざわめく保護者席。

プオォーン。

響き渡るホラ貝の音を
子どもたちは見慣れた様子で見守っていたが、
保護者席の誰もが肩で笑いをこらえていた。
あのホラ貝は小学校の伝統のものだったのだろうか、
校長の私物だったのだろうか。
ホラ貝にすっかり気をとられているうちに、
最初の競技4年生の徒競走が始まった。

わたしは大人になってから
プロアスリートの道を歩んだが、
実は子どもの頃はいわゆる運動オンチで、
走れば拍手のなか最下位を走ることになるし、
投げても玉をカゴに入れることもできないし、
組体操では崩れ落ちるなど、
小学校の運動会で良い思い出がない。
そんなわたしの血をしっかりと受け継いだのが長男だ。
体格が同級生より頭ひとつ小さい不利もある。
それでも今年の靴はアキレスの「瞬足」でキメている。
猫に向けて本気だ。

長男と幼いころのわたしの違いは、
運動が苦手でも心から楽しめることだ。
彼は幼稚園のころからニコニコと走る。
ふざけているのではない。
誰の目にも楽しそうに走る。
4年生の80m走はトラックのコーナーを使った
カーブのあるコースで、
長男は一番インコースを
いつものようににこやかに走った。
ゴールを駆けぬけると、
まるで優勝者のような笑顔でわたしに手をふった。
結果は4名中、3位。寿司、猫、セーフ。

2年生の競技をはさんで、
いよいよ次男の出番がきた。
1年生の50m走は直線だった。

暑さと待ち時間で彼の集中力は
限界にちがいないと思ったが、
次男はきちんと列に並んで順番を待っていた。
成長している。
つい数ヶ月前の保育園のころは、
スタート位置で補助の先生に取り押さえられていた。
そんな次男がスタート位置に
ぴしっと立つ凛々しい姿を見て、
すでに感動して泣きそうになったが、
猫を飼うことになれば別の意味で泣くことになる。
賭けのせいで応援の気持ちが揺らぐ。
空に弾けるピストル音に合わせて
次男は完璧なスタートをきった。
コースに沿って真っ直ぐに走っている。
ところが、遅い。いつもより全然、遅い。
ルールを守ることにとらわれて、
決められたレールの上ではいつものスピードが出ない。
成長と自由のバランスに、複雑な気持ちになった。
結果は4名中、2位。猫、セーフ。

昼になると、いまどきの事情で
保護者はいったん家に帰される。
共働きで観戦に来られない家庭や、
わが家のようにシングル家庭の子どもが
寂しい思いをしないようにとの配慮もあるらしい。
家に帰り、洗濯物を取り込んでから、
子どもたちの弁当の残りものを
冷蔵庫から出してひとりで食べた。
わたしの方がよっぽど寂しい。
しんみりと昼食を食べながら、
料理が苦手だったわたしの母が
運動会の弁当だけは
はりきって作ってくれたことを思い出した。
ふだんは揚げものなんて滅多にしない母が、
朝からせっせと鶏のからあげを仕込み、
四角い玉子焼きフライパンに
めいっぱい卵液を入れてしまって
「え? これこうやって使うんじゃないの」
などと言いながら、
一生懸命に作ってくれた弁当。
それだけで十分に、うれしくて誇らしかった。
ある年、ウキウキしながらフタをあけると、
海苔で文字が描いてあった。

月ヨウ日ハ ウンジャラゲ

デコ弁のはしりと言うべきだろうか。
とっさに友人たちに見えないよう謎のメッセージを隠し、
箸でつついて隠滅をはかると、
下からおかかが出てきた。
母は、そんな遊び心もある人だった。

午後の競技は、全学年参加の大玉送り。
全学年で紅白それぞれにかたまって列をつくり、
コンサートに登場する巨大バルーンのようなボールを、
みんなでジャンプしながらつついて
頭上を転がしながらゴールを目指す。
コロナ禍が明けたことを
象徴するかのような競技だった。
今回はともに紅組になった兄弟。
1年生の中では体格の大きな弟が
いまいちルールがわからずにぴょんぴょんと跳ねると、
手に当たったボールは
ルートをはずれて白組に遅れをとった。
どうにか4年生のところまで転がると、
やはりニコニコとジャンプする兄が見えたが、
どうにも手は届かない様子だった。
子どもたちはみんな、楽しそうだった。

運動会は無事終了。
結局、総合得点でも白組に敗れ、
猫を飼う夢にも破れ、
あまりにもしょんぼりと肩を落とす紅組兄弟を、
回転寿司に連れて行ってあげることにした。

お寿司が食べられる!

それだけで元気を取り戻した二人は、
「よし! 公園で虫とりにいこう!」と立ち上がった。
運動会から帰ったばかりで公園に遊びに行くなんて、
男児の体力、無尽蔵にもほどがある。
あのしょんぼりは、どこへいったのか。
なぜいま、虫をとるのか。
運動会だからといって
親は特別何をしたわけでもないけれど、
暑さにやられたのかクタクタで、
ベンチにヘタリと座っていた。
そんな母にはおかまいなしで「見てみて!」と、
彼らは早速の獲物を披露しにきた。
白黒模様に黄色いボディの蝶だった。

「かわいい蝶だね」
「トンボエダシャク」
「変わった名前の蝶だね」
「蛾だよ」

悲鳴とともにその場から駆けだす体力が、
わたしの中にも残っていた。

お腹がすいたから早くお寿司食べにいこうよ、
と兄弟に声をかけると、
やっと自分たちの空腹にも気づいたようで
かけよってきた。
虫とりの前には空腹を忘れ、
寿司の前には1位の褒美話もすっかり忘れる兄弟。
嗚呼、男児。
うちの子になるかもしれなかった
公園のキジトラ猫がこちらを一瞥して、
ナーン、とひと声ないた。

イラスト:まりげ

2023-06-27-TUE

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