元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
「秋のオトがするね」
次男が言った。
静かな朝のことだった。
「セミの声がしなくなったから?」とたずねると、
ううん、と首をふる。
次男はすこし宙を見上げて言葉をさがし、
「秋は サワサワしているよ。
それにとおくで ほんのすこしだけ
冬がくるオトがする。それが 秋のオト」
と説明してくれた。
長男とわたしは目を合わせた。
秋といえば虫の声。
だが、次男のいう「オト」の正体はどうやら違うようだ。
日が暮れると荒川河川敷のほうから、
スズムシやら、マツムシ、
クサヒバリ、ミツカドコオロギやらと
賑やかに秋らしい声が聞こえてくる。
次男は「秋のよるは うるさくてきらい」という。
夏のセミの方がよっぽどうるさいでしょう、と反論すると
「セミは よるはなかないよ。
おぎょうぎが いいんだよ」と論破された。
夜は静かに眠りたいらしい。
そうはいっても秋の虫の声など、
睡眠を妨げるほどの音量ではない気がする。
次男は、大きな音が苦手だ。
小さなころだけの問題かと思っていたが、
成長とともに苦手ぶりが増している。
バイクの音、掃除機の音、犬の鳴き声。
ときどき生活に支障をきたすこともある。
「こわいよーたすけて!」
夜道でとつぜん次男がギュッと耳を両手で覆う。
わたしは自転車を道のわきによせて、
小さなバイクが通り過ぎるのを見守った。
マフラーを改造したわけでもない原チャリが
ブブブブと横を走りぬける。
ライトが見えなくなるまで、
次男は座席に小さくうずくまって震えていた。
つい最近のことだ。
「掃除機をかける音で赤ん坊がよく眠る」説がある。
胎内音に似ているらしいと聞いた。
次男は真逆だった。
なぜか嫌がる次男をロボット掃除機ルンバが追跡する。
もちろん、ルンバにそんな機能はついていない。
あまりにも怯えるので、実家から撤去された。
今はハンディクリーナーだって嫌う。
「カチャ」と、掃除機をセットする音が聞こえただけでも
猛ダッシュで逃走する。
慌てふためいて逃げようとするあまり、
自宅では押し入れのふすまを破壊し、
実家では階段から転がり落ちた。
「犬の鳴き声嫌い」は、すこしややこしい。
次男は犬が大好きなのだ。
大家さんはチワワやマルチーズなど
片手で抱えられるような小型犬を数匹飼っていて、
動物好きの兄弟はカワイイ犬たちが
いつも気になって仕方ない。
あるとき大家さんが
「坊やたち、お菓子をあげるよ」と家に招いてくれた。
遠慮なく部屋にむかった兄弟を玄関で待っていると、
ものすごい勢いで奥から
お菓子の袋をめいっぱい抱えた弟が走ってきて、
自宅のアパートへ逃げさった。
大家さんに聞くと、
最初は嬉しそうにじっと犬を見ていたが、
「ワン」とひと声鳴いたとたん消えたらしい。
お菓子だけは忘れずに小脇に抱えて。
アパートの階段まで逃げた次男は
そっとこちらの様子をうかがって
「いぬも おかしも だいすきです!」と、
彼なりのフォローをしていた。
彼の聴覚の過敏さは、つねに心配だった。
ところが、思わぬ能力として発揮されることもある。
まだ保育園に通い始めたばかりで、
鍵盤ハーモニカも触ったことがないころ。
わたしの趣味で実家に置いてある電子ピアノを
じっと見ていた次男に、
ドレミファソと5鍵の音を聴かせた。
そのとたん、人差し指1本で、
ちょうちょの曲をさらりと弾いてみせた。
「これは!」と思った。
クラシックピアノを15年も続けたのに
芽が出なかったわたしの代わりに、
神様は息子に音楽の才能を授けたのかもしれない、
と親バカ全開の期待をいだいた。
残念ながら、次男はそれ以上ピアノに興味をもたなかった。
それでも、ふと思いついたタイミングで、
サイレンの音や、踏切の音を再現して弾いてくれる。
やはり彼の耳のよさは興味深い。
「秋のオトがするね」
次男の言葉をきいて、
わたしも耳をすましてみた。
だいぶヒヤリとしてきた風に、
まだ生ぬるい湿度が残っている。
次男に聞こえる「オト」とは、
その風が耳をくすぐる音だろうか。
すっかり紅葉した木々の葉がゆれる音だろうか。
枯れ落ちた葉が道に舞う音だろうか。
芝のすき間を飛び交う虫たちの足音だろうか。
しばしの時間、せわしない朝を忘れて秋をさがした。
わたしの耳には、あまり多くの音は聴こえない。
それでも、朝の景色が変わった。
耳をすますと、いつもの世界が奥行きを増していく。
彼はその聴覚と感性で、
さらに無限に広がる世界を見ているのかもしれない。
彼の言葉を聞くたびに、
わたしはその世界をのぞいてみたくなる。
息子たちを小学校まで送り、
「仕事にいってきます」と自転車で駅に向かう。
そのとき「サワサワ」と何かが耳をくすぐった気がした。
足をとめて振り返ると、
次男がまだこちらにむかって元気に手を振っていた。
次男に聴こえている音が、
わたしにもほんのすこしだけわかったような気がした。
イラスト:まりげ
2023-10-27-FRI