元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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晩夏のバイオハザード

やってしまった。

まだ残暑厳しい朝だというのに、
背中にぞくりと寒気がした。
首元はびっしょり濡れていた。またアレか‥‥。

昨年の夏は、家族3人コロナを乗り越えた。

最初に発熱したのはわたしだった。
ある日とつぜん40度近く熱が出た。
小学生ふたりを抱えるシングルマザー、
体力勝負の毎日だ。
気をはって生きている。
くさっても元プロアスリート、
体力には自信がある。
危うく気づかずに出社しそうになった。
病気にかかり慣れていないと、
不調に気づくにも時間がいる。
当時プラチナチケット化していた発熱外来の予約をとり、
検査を受けると案の定、陽性だった。

子どもたちの隔離は絶望的なミッションだった。
元気な君たちも外には出られないこと、
狭いアパート内で
できるだけの隔離体制をとらなければいけないことを、
(無理に決まっている‥‥)と思いながら説明した。
次男はポカンと聞いていた。
一方、長男はわたしから後ずさった。
ためしに一歩近づくと、二歩後ずさった。
ゾンビをかわす身のこなしで
玄関先にあったアルコールスプレーを手に取ると、
シュッとわたしに吹きかけた。

熱は徐々に体力を奪い、
夜には床から動けなくなった。
力をふりしぼっても身体が動かない。
その時、ヒヤリと手に冷たいものを握らされた。
「これ食べなよ」と言ったのは、
マスクをぴったりつけた長男だった。
冷蔵庫に常備しているチューペットをポキリと折って、
半分手にもたせてくれていた。
口の中に広がる甘みと冷感は
ひととき気分を楽にさせてくれたし、
へとへとの身体に糖分がしみ渡った。
乾燥した口唇をパクパク動かして、
長男に小さく「ありがとう」というと、
動けない身体にシュッと
アルコールスプレーを浴びせられた。

チューペットを握ったまま、
その冷たさが気持ちよくてつい床で寝てしまった。
無意識に「こぼしたら床がべとべとになる」と
思ったのだろう、
手首を真っ直ぐに立ててもっていた。
はっと目覚めると、
手の中のそれに次男がかぶりついていた。
「キャアアア!」 と思わず声をあげた。
人のものを、
しかも落ちているものを食べてはいけませんと、
つね日ごろから教えてきた。
目の前に大好きなチューペットがあったから食べた、
という本能のままに生きる次男。
あっという間に発熱した。
親子とも危機管理能力0である。

結局その後、兄も発熱した。
検査結果は3タテ。
感染者2名の前には、
アルコールスプレーもマスクも、
あまりに無力だった。
3人で約48時間40度前後の高熱をキープした。
わたしはその後、半月ほど倦怠感を引きずった。
息子たちの解熱直後のひとことは
「セミが鳴いているうちに公園に行かなくちゃ」だった。

時々、考える。
明日わが身に何かあったら、
息子たちはこれからどうしていけば良いのか。
おろおろせず、
自分たちが生きる手段を見つけられるだろうか。
冷蔵庫に貼った緊急連絡先は、
長男がもらってきた野球チーム勧誘のチラシに
すっぽり隠れていた。

あれから一年。悪夢が蘇る。

夏の疲れか、気のゆるみか。
後悔先に立たず、天井がぐるぐる回る。
母の異常に気づいた長男が、
Nゲージ置き場になっていた
二段ベッドの上階をササッと片づけて
「母さんの隔離スペース」を手早く用意してくれた。
どうにかのぼって横になると、
ぺろんとマスクが投げ込まれ、
仕上げにシュッとアルコールスプレーをかけてくれた。

この一年で成長したふたりは、
わたしに寄りつかず隣の部屋で過ごしていた。
鬼の居ぬ間のエンジョイタイム、
楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
普段は制限されているTV見放題だし、
ゲームもやりたい放題、お菓子も食べ放題。
こんな日は仕方ないか、と目をとじた。
さいわい冷蔵庫にたくさんの食べものもあった。
このままごまかしながらやり過ごせば、隔離大成功だ。

夕方に検査を受けると、
たんなる夏風邪であることが判明してひと安心した。
しかし、夜は再び熱が上がり
思うように回復できなかった。
だんだんと寂しくなってきた次男が
ちらちらと部屋をのぞく。
「行っちゃダメだよ!」と
長男に怒られてぐずる声がする。
一日中かまってやれなかった息子たちへの
申し訳なさがこみ上げてきた。
そのとき、となりの部屋から
長男の誰かとやりとりする声が聞こえた。

「‥‥」

「救急です」

「‥‥」

「僕の母が倒れています。
救急車をお願いします。住所をいいます」

「救急車呼んでるの?」あわてて長男にたずねると、
「夜、もしも母さんの状態が悪化したら、
すぐに救急車を呼べるように練習してるよ」と答えた。

その時はじめてわたしは
「いつか息子に命をたすけてもらう日も
くるのかもしれない」と思った。

あまりにも小さく、フニャフニャで、
愛くるしく、もろく、
ただ泣くばかりの赤ん坊だった息子たち。
これまでずっと息子たちを守るためだけに生きてきた。
まさかわたしが助けてもらう側になるとは、
想像もしていなかった。
親としての責務はまだまだ山のようにあるけれど、
たったひとつ、でもとても大きなひとつの荷が、
肩からおりたような気がした。

しばらくすると、危機管理能力の高い長男が
ゴーグルとマスクに手袋をつけて
二段ベッドをちょこんとのぞき、
柵のすき間から保冷剤を差し入れてくれた。
兄を見ていた次男は、
部屋の入り口から私に手を合わせて言った。

「かあさん、いままでありがとう」

勝手に覚悟を決めるんじゃない。
母の体力を見くびってもらっては困る。
翌日には完ぺきに熱が下がった。
いつも通りの朝。
信じられないほど散らかった部屋の片づけが待っていた。

2023-09-26-TUE

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