元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(10歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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虫愛づる男子たち

「にいちゃん! あのこえ!」
「シーッ。わかってるよ、あれは間違いなく‥‥」

「クマゼミの声!!」

ふだんはケンカばかりの兄弟が、
ここぞとばかり声を合わせる。

夏のはじまりに聴こえたシーッと
染み入るような声はニイニイゼミだという。
「へぇーアブラゼミじゃないんだ」くらいの
感想しか言えない昆虫リテラシーの低い母を
完全に無視する兄弟は
「チョウセンケナガニイニイだったらアツいな!」と、
セミ捕り会議に夢中だ。
それカニの名前みたいだね、
と発言してまた冷ややかな視線を送られた。
最近、関西以南で見られる
巨大種のクマゼミが近所にもいるらしい。
シャシャシャシャとひときわ騒がしい声が聴こえてくると
息子たちの目の色が変わる。
クマゼミが捕れるのを「アツい!」とさわぐ男児たちの
昆虫熱の方が、暑苦しい。

夏の虫の王道といえばカブトムシ。

長男が小学2年生だった夏、
テレビで虫捕りのカンタンな仕掛けを知った。
切って重ねたペットボトルの中にバナナなどを仕込んで、
入った虫が外に出られないようにする。
彼らがせっせと作っていた仕掛けが
ある日突然、家から消えた。
問いつめると、だまって友人宅の庭に置いてきたという。
翌朝すぐに謝りに行き、罠を回収した。
空っぽのペットボトルを見て、
反省どころかふてぶてしく不満げな顔をする兄弟。
夢のカブトムシを得るのは甘くない。
甘くない、はずだった。

その後引っ越ししたアパートの1階は
大家さんの倉庫になっていて、
シャッターが開くと、なんと、
ご主人の趣味で無数のカブトムシを育てている。
夏になると町内会の催しに寄付しているという。
大家さんは息子たちに魔のひとことを投げかけた。

「あげようか?」

犬猫よりはハードルは低いと思ったのが
痛恨の判断ミスだった。
ブブブ、ブブブ。
夜通し聴こえる羽音。
ガタガタ揺れる虫カゴの音。
いつ外に飛び出すかと思うと、
眠れたものではなかった。
それに、カブトムシは強烈なニオイがする。
昆虫初心者のわたしにとっては
学びの多い睡眠不足の夏になった。
音もニオイも気にしない兄弟はまったく懲りなかった。

それ以来、ことあるごとに
生物を連れて帰ってくるようになった息子たち。
そこらじゅうに生物があふれている夏は
とくに目が離せない。

「公園で親切なおじさんからもらった」と、
長男が大切に持ち帰ってきたのは、
羽化寸前のアブラゼミの幼虫だった。
カーテンにしがみついたその子の羽化を
見届けたいとねばったが、家族3人寝落ちした。
翌朝、大暴れするアブラゼミに起こされた。

息子たちがコソコソと
挙動不審に帽子に隠しもって連れ込んだのは、
オオカマキリの「カマ太郎」だった。
虫かごの閉めがあまく、夜、
カマ太郎が姿を消して大パニックになった。

アパートの階段でつかまえた
カナヘビの「カナちゃん」には、足があった。
爬虫類にうといわたしは
カナヘビがトカゲのような生物だと知らず、
蛇足が成長とともに消えていく
オタマジャクシの成長過程みたいなものかと思った。
エサは小さな虫だというので、すぐにお帰りいただいた。

今どきの祭りの金魚すくいでは、
すくった金魚と同数のスーパーボールと交換もできる。
彼らはもちろん金魚を選んだ。
100円のポイにひっかかった「キンちゃん」を育てるために、
アクリル水槽とエアポンプ、
アクアリウム雑貨まで買わされたのは
かなりの出費だった。

潮干狩りで拾ったアサリの砂抜きをしているうちに
愛情がわき「このまま飼おう」と言い出したこともあった。夕食に酒蒸しになった彼らを、
泣きながら「美味しい」と完食した息子たち。
思わぬ命の授業になった。

息子たちの採集欲はとどまることを知らず、
とにかく油断ならない。

今年の夏休みのはじまりに、日本科学未来館を訪れた。
その日はたまたま特別イベント
「免疫ふしぎ未来2023」がやっていた。
3人でワクワクと進み、
兄弟が吸い込まれるように向かったのは、
1mはあろうサナダムシの展示だった。
液浸標本になったそれを
興味のままに素手でいじくりまわしている。
「それ本当に感染しないんでしょうか?」と
100回くらいスタッフに聞いた。
隣のブースは「アニサキス探し」コーナーだった。
日が経った生鯖の内臓をピンセットで解剖体験できる。
息子たちは血まなこになってアニサキスを探していた。
わたしはずっと後ろで白目だった。
寄生虫に無我夢中のふたりに、
研究員のお兄さんが魔のひとことを投げかけた。

「あげようか?」

蓋つきの試験管の中には、
小さなヒモ状の生物がうごめいている。
「これはプラナリアといって、
切っても切っても生きている不死身の生き物です」。
研究員の説明に目を輝かせる息子たち。
実験観察用の個体で、処分の方法まで説明を受けた。
長男が「これ、エサはなんですか?」と聞くと、
研究員が「え? 飼うつもりなの?」と驚いた。
わたしは恐る恐る聞いた。

「これ、成長すると長くなるんですか?」
「いえ、増殖します」

背筋が凍りついた。

ふたつの試験管にもらった、
プラナリアのプラッチとナリアン。
今年の夏は予想もしない家族を迎えることになった。
虫や謎の生物と暮らすのはあまり気がすすまない。
あのカマ太郎が生涯を終えたとき、
兄弟はアパートの下の植込みに小さなお墓をつくった。
そして今も毎朝、手を合わせている。
そんな彼らの後ろ姿をみると、
ため息まじりに覚悟を決めるしかない。

手を合わせて黙祷する兄の横で、
弟はお墓にポンポンと手を打って
「はやくカマキリの木がはえますように」と願った。
彼らの学びは、まだまだ始まったばかりだ。

イラスト:まりげ

2023-08-25-FRI

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