ほぼ日オフィス、引っ越します!
通いなれた「青山」を離れ、
次なる新天地「神田」に大移動です。
しかも今度の新オフィス、
これまでのはたらき方を見直し、
まったく新しい発想でつくるとか。
えっ?なにそれ?どういうこと?
というわけで、秋頃までつづく
新オフィス完成までのてんやわんやを、
不定期連載でおとどけします。
担当は「ほぼ日」稲崎です。
毎週水曜日、「ほぼ日」には
「水曜ミーティング」という、
全員参加のミーティングがあります。
代表の糸井重里が、
それまでの1週間に思ったこと、考えたこと、
乗組員と共有しておきたいことなどを、
約1時間半じっくり話すという場です。
そもそも「ほぼ日」は、
なぜ通いなれた「青山」を離れ、
「神田」へ移転することになったのでしょうか。
今年2月から5月にかけて、
糸井が水曜ミーティングの場で話したことを
再編集しておとどけします。
青山という街は、
日常の中に刺激があった。
もともと「ほぼ日」というのは、
人がふらっと遊びに来れないような場所に、
あえて事務所をかまえていました。
最初は東麻布の「鼠穴(ねずあな)」と呼んでいた場所で、
次は三田の魚らん坂にある「明るいビル」でした。
それから少しずつ
自分たちのやれることが増えてくると、
今度はいつも過ごす日常の中に、
刺激のもとを入れたいと思うようになって、
2005年のとき、
「ほぼ日」を立ち上げる以前に事務所があった
青山に戻ることにしました。
最初は骨董通りにあるビルで、
次が「ブルックスブラザーズ青山」のビル。
そして2016年から現在のオフィスです。
場所は少しずつ移動してますが、
ずっと青山という街にいたわけです。
最初、青山に戻ってきた理由は、
たとえば事務所のまわりを
ウィンドウショッピングするだけでも、
世界中の人たちが欲しがっているものを、
予告編のように感じられると思ったからです。
少なくともいまのハイブランドは、
こういうこと考えてるんだよっていうのが、
トップクラスの人たちと
同じように見ることができました。
文化の中心にいるおもしろさもありますし、
そこにいる自信みたいなものが、
もしかしたら自分たちの考えるべき水準を
上げてくれるかもしれないって。
そんなふうに考えて2005年に、
この青山という街に戻ってきたわけです。
いまから15年前の話です。
青山にいることの意味が
薄れてきた。
それからずっとここにいるわけですが、
どれだけハイブランドが青山に集まっても、
昔のようなきもちになることが、
だんだんと少なくなってきた気がします。
ここ数年、青山を歩いている
お客さんもだいぶん変わってきました。
海外の富裕層が増えてきましたから、
何がいいの悪いのっていう以上に、
大きな「買う力」があるという市場が、
青山という街に広がっていきました。
そうなるとコンテンツをつくる側は、
ゆっくりと行き詰まっていきます。
なぜなら「もっと何かないかな」というような
目や口の肥えたお客さんが待っている、
という状態ではないからです。
そういう変化を近くで見ていると、
青山がなんだかよくわからない、
何もないような街になっていくように、
ぼくには感じられました。
それに、青山の家賃は高いです。
青山でお店をやっていくには、
いっぱいものを売るか、
単価の高いものを売らないと、
家賃を払っていくのは難しくなります。
出て行く店と入ってくる店が、
たえず入れ替わっているような状態です。
通常、街の新陳代謝というのは、
元気な証拠でもあるわけですが、
いまの青山に起こっていることは、
入りたくてやって来た勢いよりも、
うまくいかなくて出て行く力のほうが
強いようにも感じられます。
それは別に批判でもなんでもなくて、
街の雰囲気や構造というのは、
そうやって少しずつ
変化していくものなんだと思います。
そもそも街の影響というのを、
自分たちがそれほど受けていないなら、
そろそろここを出てもいいんじゃないかって、
そんなふうにぼくは思いはじめたわけです。
観光客と地元の人が、
同じように息づく街。
そこから「ほぼ日」が移るとしたら、
どこなんだろうと漠然と考えはじめました。
代官山とか中目黒はどうだろう、とか。
代々木、代々木上原、千駄ヶ谷エリア。
丸の内というのも考えました。
でも、おそらく丸の内は
青山よりも家賃が高いと思います。
そう考えると丸の内じゃない。
日本橋や水天宮も良さそうだけど、
そのへんは趣味で動いた感じが
強く出すぎるようにも思いました。
そうやっていろいろ考えていたころ、
今度「ほぼ日の学校」が入るビルを見に、
神田に行く機会があったんです。
ぼくは神田という街のことを、
ぜんぜん知らないわけじゃないんです。
昔はよく古本屋街に行きましたし、
最近は好きなラーメン屋が神田にあるので、
むしろ何度も足を運んでいたくらいです。
あるとき、神田でラーメンを食べた帰りに、
近くの喫茶店に寄って、
ぼーっとしていたときがあったんです。
ぼくは他所から来た人になるわけですが、
横を見ると地元の人たちがいて、
同じようにお茶を飲みながら、
同じようにぼーっとした時間を過ごしていました。
そのとき、その感じが
どこかの街に似てるぞって思ったんです。
じつは、京都がそうなんです。
京都のように、観光と地元の住民が
同じ空間で生きている場所特有の感覚が、
神田にもあったわけです。
おそらく高層ビルのビジネスマンたちが
観光客的役割をしていて、
地元の飲食店の大きなお客さんに
なっているんだと思います。
そういう生態系ができているから、
昔ながらの小さいお店もやっていける。
神田に詳しい人に聞いてみると、
老舗のお店は自社ビルだったり、
家賃を払わなくていい店が多いから、
お店の寿命も長いらしいです。
売上の何十パーセントが家賃に消えない分、
お客さんへのおもてなしに時間が使えて、
「こういうのが置きたいから置いてるんだよね」
みたいな商売もできたりするわけです。
神田には古くからの人もいれば、
地価がそんなに高くないので、
新しい人たちもけっこういるようです。
街には観光客から地元住民まで、
いろんなタイプの人が行き交っています。
会社の外には休む場所もあるし、
情報を仕入れるような場所もたくさんあります。
少し足を伸ばすと皇居があります。
徒歩で行けちゃうような距離に
秋葉原や東京駅、その先に銀座もあります。
東京を凝縮したようなものたちが、
意外と歩ける範囲の中に入ってしまうんです。
そうやって考えていくと、
神田という街がもつ穴場性というのが、
知れば知るほど見えてきたわけです。
これからの日本は、
「教育」が大きな事業になる。
そもそものきっかけは、
「ほぼ日の学校」を神田でやろうと
決めたことからはじまります。
もともと考えていたことや、
まったくの偶然なんかが重なって、
「ほぼ日の学校」の常設小屋が
神田にできることになったわけです。
最初、ぼくらは「ほぼ日の学校」を、
ほぼ日の数ある事業の中の
ひとつというふうに考えていました。
学校という事業をやることで、
コンテンツをつくり出すこと、
コンテンツを仕入れることが、
もっとやりやすくなると思っていました。
学校を通してのつながりが、
ほぼ日全体のコンテンツのベースを
底上げするとも考えていました。
実際に「ほぼ日の学校」は、
ぼくらが思っていた以上に
そのとおりになってくれました。
それどころか「ほぼ日の学校」には、
もっと大きな可能性があると思っています。
これからの日本の事業は、
「教育」なのかもしれない。
そういう視点をもって
「ほぼ日の学校」をやっていくべきじゃないかと、
そんなふうにぼくは思いはじめています。
ほんとうの意味で、
あらゆる人が行き交うような
総合雑誌のような学校を神田につくります。
「ほぼ日の学校」という事業のギアを、
本社移転を機にもう一段階上げるつもりです。
神田という街が、
「ほぼ日の地元」になる。
ぼくはいま、神田のことを考えると
ワクワクするんです。
古くからのいいところがたくさんあるし、
新しいものもどんどん芽生えています。
神田をもっとそういう街にしたいんです。
ぼくらが主役のひとりになるつもりで、
神田という街に貢献したいと思っています。
ほぼ日をはじめて23年目になりますが、
ぼくらの「成長していきましょう」と、
「自分たちのいる場所をよくしましょう」を、
ようやく重ねられるときが来たんだと思います。
今度の本社移転によって、
神田という街が
ぼくらの「初めての地元」になります。
世界中の人たちに向けて、
ぼくらはこういうおもしろいことやるんだよ、
こういうはたらき方ができるんだよ、
こんな素敵な街があるんだよ、
というのを発信していくことになります。
これからぼくは、なにかにつけて
神田のことを言いつづけると思います。
それはずっとやっていくことで、
ほぼ日が神田の代名詞のひとつになるという、
大きな計画でもあるんです。
神田に人を誘い、神田で人に会い、
神田で仕事して、神田を盛り上げる。
そういうようなことを、
これから思いっきりやっていこうと、
そんなふうに思っています。
(糸井重里の話はここまでになります)
* * *
今秋、ほぼ日本社だけじゃなく、
「ほぼ日の学校」も神田の別のビルに移ります。
つまり、神田に2つ、
ほぼ日の拠点ができるというわけです。
これから神田でどんな出会いがあり、
どんな出来事が私たちを待っているのでしょうか。
考えるだけでもワクワクしてきます。
神田のみなさん、どうぞよろしくお願いします。
次回は、オフィスの中の話です。
総務の小竹さんとデザイナー平本さんに
お話をうかがいました。
(次回の更新は、お盆明けの予定です)
2020-08-06-THU