テレビ最盛期といわれた時代、
とんねるずは画面の中で
驚くようなことを次々と突破していきました。
いまYouTubeにも活躍の場所をひろげる
石橋貴明さんが、誰も越えられないような
人気の塔を築いた理由はなんなのでしょう?
渋谷PARCO「ほぼ日曜日」で開催する
「わたしの、中の人。」対談シリーズです。

写真 小川拓洋

>石橋貴明さんのプロフィール

石橋貴明(いしばし たかあき)

1961年生まれ。
1984年、高校の同級生だった木梨憲武と
お笑いコンビ「とんねるず」を結成。
テレビ番組では
『とんねるずのみなさんのおかげです』
『ねるとん紅鯨団』『うたばん』
『とんねるずのスポーツ王は俺だ!』、
映画では『メジャーリーグII・III』に
謎の日本人選手「タカ・タナカ」役で出演。
2020年、YouTubeチャンネル
「貴ちゃんねるず」を開設。チャンネル登録者数130万人を突破する。
→石橋貴明さんのTwitter

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第6回 たった一度だけ、 赤坂の公園のブランコで 「解散しようか」と言った。

石橋
「もうすぐ売れる、売れる」
と言っておきながら、
親父は死んじゃうし、
親父と約束した22歳の3月にも、
まだ売れてなかった。
これでもう「卒業」だって歳なのに。
これはまずい、と思いました。
糸井
「卒業」の意識はしているわけですね。
石橋
はい。
親父と約束した3月だな、と思ってました。
でも売れてない。
そこでちょっと暗くなるはずですが、
じつはその年の6月から
「オールナイトフジ」のレギュラーが
決まってたんです。

糸井
おぉ。ブレイクする番組だ。
石橋
最後のワンチャンスだけ、
賭けてみたいと思ってました。
天国の親父に
「親父、ごめん、大学1年、留年した!」
と報告しまして(笑)。
糸井
なるほど。
石橋
「あと1年だけやらせてくれ。
あと1年、ほんとにダメだったら、
自分でちゃんと決着つけるから」
そしたらその1年で、引っかかったんです。
糸井
「オールナイトフジ」はハマりましたね。
石橋さんをまじめだと言い過ぎるのも
どうかと思うんだけど、
親父さんとの約束を憶えてて、
守ろうとしたのもまじめだよね。
石橋
俺の中では親父は「絶対」でしたから、
約束をどうしよう、とは思ってました。
糸井
せっかく許してくれた親父なんですもんね。
石橋
はい。
糸井
「オールナイトフジ」に出るまでは、
プロダクションに入ったの?
石橋
最初はどこにも属さずに素人で‥‥、
まぁ、素人で番組に出てるから、
どこにも属してない状態です。
糸井
はい、そうですね。
石橋
当時、おぼん・こぼんさんが
赤坂のコルドンブルーという店に出ていて。
糸井
はいはい、はいはい。
石橋
おぼん・こぼんさんの後釜がいないということで、
出演者のオーディションが開かれました。
そのとき、おもしろい人がたくさんいたのに、
どういうわけだか、
日本テレビのプロデューサーだった井原高忠さんが、
「君たちがいいざんす」と選んでくれました。
「え?」
「ここは会社を辞めないとだめだから、
会社辞めて来てね」
ということになりまして。
糸井
そうすると、そこで毎日、
仕事をすることになるわけですね。

石橋
そうなんです。井原さんからは
「ここで一生、面倒をみてあげますから、
ちゃんとがんばって稽古して、
おぼん・こぼんさんのようになってくださいね」
と言われました。
ぼくらは「はい、ありがとうございます」って
言ったけど、そのお店、
お客さんの層が40歳とか50歳なんですよ。
糸井
そうですよね、ナイトクラブですから。
石橋
有名な歌い手さんがダンサーと共に歌い、踊り、
その合間合間にコントをやるっていうところに、
19歳の男の子が出てきて、ですよ。
糸井
無理だよね(笑)。
石橋
「猪木の真似やりま~す、ウエー」

糸井
わははは。無理だ。
石橋
みなさんお酒飲んで
「この子どもはなにやってんだ」って、
言うしかないじゃないですか。
糸井
そうとうびっくりしますよね。
石橋
ぜんっぜん、ウケずに。
「一生面倒をみてあげます、だから会社を辞めなさい」
と言われたはずなのに、5か月目に井原さんから、
「君たちはやる気がないざんすね。クビざんす」
と言われました。
糸井
それはもう、しかたなかったですね。
石橋
後にも先にもそんときだけです、
一回だけ憲武に「解散しようか」と話をしました。
コルドンブルーの隣の公園で、ブランコ乗りながら、
「俺たちやっぱり無理だ、辞めるか」
だけどそもそも、なぜ井原さんは
俺たちを選んだんだろう、と思いました。

糸井
きっとフレッシュだったんでしょうね。
井原さんはテレビにいる芸能人たちを
たくさん見てきたわけです。
とんねるずを見て、まちがいなく
「これはフレッシュだ」と思ったはずです。
コルドンブルーでは
ミスマッチがほんとうにミスしたわけだけど、
「オールナイトフジ」では
ちゃんとウケたわけだから。
コルドンブルーでは‥‥またもや石橋さんは
あんまりネタについて話してくれてないんだけど、
おもにどんなコントを?
石橋
はい(笑)、すみません、
コルドンブルーはミニコントで、
台本を書いてくる作家さんがいました。
でも、練習してもぜんぜんできなかったんです。
だってぼくたち、
なんの基礎もなんにもないわけで。
「そこで、間がないんだよ」
「間? 間って何?」
なんていうふうにぜんぜんダメで、
「これは、無理だね、憲武」
という話になりました。
だけど、クビになったあとに新宿行って、
若者向けのパブに出ると、
そこはお客さんが同世代だから、
バカン、バカン、ウケるわけですよ。
糸井
なるほど(笑)。
石橋
それでちょっと自信を取り戻して、
再チャレンジでコントをもっとやりはじめました。

糸井
公園のブランコで落ち込んだのは一瞬で、
新宿で同じ世代の人にウケることがわかった。
この流れもサイコロのポンポンで、
どうやらまた悩んでないですね。
石橋
悩んではない。悩んではいなかったです。
「売れない頃、つらかったですか?」とか、
よく訊かれるんですけれども、
そこそこお給料はいただいていたし、
憲武もぼくも実家に住んでいたので、
つらくありませんでした。
家賃を少し入れれば洗濯はお袋がしてくれる、
ある程度の飯は食える。
「あの時代は食えずに、
一杯のラーメンをふたりで食べました」
みたいなことは、全くなく。

(つづきます)

2021-01-06-WED

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