ずっとものをつくってきた人たちも、
立ち止まらざるをえなかった数ヶ月。
新型コロナウイルスの影響はいまもあり、
これからも簡単にはなくならない。
未来を予言したいわけじゃないけれど、
これからのことを話しておきたいと思いました。
雑誌をつくっている西田善太さんと、
映画や小説をつくっている川村元気さんと、
ほぼ日をつくっている糸井重里が話しました。

>西田善太さんプロフィール

西田善太(にしだ・ぜんた)

1963年生まれ。早稲田大学卒業。
コピーライターを経て、1991年マガジンハウス入社。
『Casa BRUTUS』副編集長を経て、
2007年3月より『BRUTUS』副編集長、
同年12月より『BRUTUS』編集長に就任。
現在は第四編集局局長として『BRUTUS』
『Tarzan』の発行人も務める。

>川村元気さんプロフィール

川村元気(かわむら・げんき)

1979年生まれ。『告白』『悪人』『モテキ』
『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』
『天気の子』などの映画を製作。
2012年、初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。
2018年、佐藤雅彦らと製作した初監督作品
『どちらを』がカンヌ国際映画祭
短編コンペティション部門に出品。
著書として小説『四月になれば彼女は』
『億男』『百花』『仕事。』など。

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第1回 世界に「待て」と言われた

糸井
どう口火を切りましょうかね。
この何ヵ月か、仕事はどうでしたか、
っていうところからはじめてみましょうか。
じゃあ、西田さんから。
西田
仕事、そうですね。
まぁ、続けないといけないので、
変わらずやってました(笑)。
こういう状況ですから雑誌によっては
発行を取り止めるところもあったんです。
在宅だとつくれなかったり、
ファッション系の撮影ができなかったりで。
それで、自分たちはどうするのかって
そのときすごく突きつけられたんですけど、
ぼくらって本出さないと、
ほかにはなんにもないんですよね。
糸井
ああ(笑)。
西田
だから、本を出し続けるっていうことだけに
大げさにいえば命をかけた
数ヶ月だったなぁ、と。
糸井
いつもと比べて忙しかったですか。
それとも、仕事量としては減りましたか。
西田
できることは少なかったけど、
まあ、難しかったですよね。
取材を申し込んでも断られちゃうし、
撮影もできないし、会って話すこともできない。
リモートではなかなかできないこともあるし。
たとえば、クラシックの特集号
(「クラシック音楽をはじめよう。」5/15発売)
を出して、結果的にすごく売れたんですけど、
来日する予定だった音楽家たちのコンサートが
ぎりぎりで中止になるというのが続いて、
メインのページがどんどんなくなってしまった。
そのときは、とりあえずスカスカになっても、
出すだけ出そう、という感じでしたね(笑)。
糸井
でも実際には、スカスカにはできないわけで。
西田
そうなんです。ページは減らせないし、
当然、内容もなんとかしなきゃいけない。
まあ、いざとなったら前の特集を再編集して、
合本みたいにして出す、
というところまで考えたんですけど、
それはやらないで済みました。
だから、今回の新型コロナウイルスというのは、
ちょっと過去の災厄とは、
ぜんぜん違うタイプのものでしたね。
いままでいろんな困難を経験してきた
つもりだったんですけど。
糸井
本屋さんが営業してない、
というのはリアリティありましたか?
西田
めちゃくちゃありました。
だって4月、5月に出した本なんて、
極端なケースでいえば、
閉まってる本屋さんの前に取次が本を届けて、
2週間経って、閉まってる本屋さんの前から
そのまま持って帰ったんですから。

糸井
はーー。
変な言い方だけど、
そういう話を知りたかったんですよ。
互いに「こんななんだよ」っていうのは、
知り合ったら安心したね、もっと。
西田
ああ、そうかもしれません。
だから、いまはもうずいぶん戻りました。
ほとんどの書店が営業してますし、
仕事もふつうにやってます。
糸井
川村さんは、この数ヶ月は?
川村
ぼくも、働いていたんですけど、
ぼくの場合、映画もつくっているし、
小説も書いているし、音楽の仕事もやっていて、
なかなか複雑だったんですね。
で、つらかったのは、その3つの仕事で、
それぞれの場所が止まってしまった。
映画館はやってない、書店は閉まっちゃう、
ライブはできない。
西田
関わってるものが、ぜんぶ。
川村
そうなんですよ。
糸井
そうか、そうか。
川村
そういうときに、よく言われるのは、
音楽を売る方法はデジタルがあります、
映画を観る方法も配信があります、
本も電子書籍があるじゃないかって。
糸井
そう思いがちですよね。
川村
言われるんですけど、これがなかなか‥‥。
クリエイター側の気持ちでいうと、
デジタルというのはクリエイティブ側に
お金がなかなか入りにくい側面がまだある。
なので、けっこう心が折れちゃう人も多くて、
ぼくのまわりの小説家でも、かなりの人が、
気持ち的に書けなくなっていたりして。
それは、流通面の問題だけじゃなく、
コロナでこんなに世界が
リアルなSF映画みたいになっているときに、
なにを書いたら説得力あるのかわからない、
っていうこともあって。

西田
それはあるだろうなぁ。
川村
筆が止まっちゃった人が
かなりいたと思います。
ぼく自身そうですし。
糸井
あとは、物理的な制限もありますよね。
映画の撮影なんかはとくに。
川村
はい。
単純に実写の映画は撮影しづらい
という問題に直面していて。
まるでコメディのようですけど、
俳優同士でハグをしたらダメだとか、
キスシーンは1テイクでやれみたいな(笑)。
そういう状況で無理して撮るって
どうなんだろう? という気持ちにもなってしまう。
あとは、映画館が1席ずつ空けて、
観客を入れているようななかで、
ほんとにお客さんが戻ってきてくれるのか、
という不安もすごくあって、つくり手は、
なんとか気持ちを奮い立たせているというか、
モチベーションを維持するのが
すごく難しくなっている。
糸井
なるほど、なるほど。
川村
そういう状況のなかで、
自分はどう働くかというのをすごく考えました。
で、ぼくがやれるのは、
まずは、じっとしていることだろうな、と。
焦る気持ちはすごくあったのですが。
糸井
川村さんとしては、
じっとしていたかったわけですね。
川村
なんか、ぼくは、世界に「待て」と言われた、
というふうに感じたんです。
おまえはもうずっと働いてきて、
ずっと走ってきたから、
1回、ここで「待て」と。
自分の意志でじっとしているというより、
強制的に足止めを食らったように感じたんです。

糸井
あー、おもしろいですね。
川村
ぼく、バックパッカーやってたときに
けっこうそういう経験をしていて。
インドとか行くと駅で9時間くらい
待たされたりするんです。電車が遅れて。
でも、理不尽な状態で9時間待ってると、
そのときにすごくアイディアが浮かんだりする。
そういう体験をしてきたので、
これはもう「待つ」ことに向き合おうと。
で、とにかく待ってみて、
そのなかで思いつくこともやっぱりあって、
いまはそこからはじまったことに、
チャレンジしているという感じです。
糸井
ということは、しっかり休んだあとで、
いま、新しい仕事がはじまった感じ?
川村
思考停止をふた月ぐらいしっかりやって、
そこから考え直して、
これで行くぞというのが決まったら、
いまは逆に忙しくなってしまって。
糸井
なるほど。
じゃあ、ぼくの仕事も話しますね。
ほぼ日は毎日更新ですから、
毎日、やることはあるわけです。
だからそれを止めないというのは最低限ある。
でも、正直、そこはそんなに問題じゃなくて、
いちばん考えたのは、
自分たちがチームとして壊れないこと。
それが大仕事だった気がしますね。
さっきの西田さんの話じゃないけど、
ページが一時的にスカスカになっちゃっても
それはそれでかまわないんです。
だけど、なんていうかな、自分たちの組織が
生き物として不健康になっちゃったら、
立ち行かなくなるなと思ったんで、
そこを考えることが一番の仕事でしたね。
西田
毎日、なんらかのかたちで
コンタクトをとれるようにしてたとか?
糸井
いや、そういう機会をつくると
わざとらしくなっちゃうんで。
西田
ああ、なるほど。
糸井
「みんなのことが心配だよ」っていうのも、
またウザいもんじゃないですか(笑)。
だから、会わなくても仕事ができてるか、
ひとりひとりがちゃんと
希望を持っていられるかっていうところを、
気をつけていた気がしますね。
で、それってじつは、
こういう状態になるまえから、
「こうなればいいな」って思ってことと
すごく重なることなんですよ。
「満員電車に乗ることないんじゃないの?」
みたいなことは、前から思ってたことなんで。

川村
ああー。
糸井
コアタイムみたいな時間の拘束に頼って、
パソコンのディスプレーを見て
仕事した気になってるよりは、
観たい映画を観るとか、美術館に行くとか、
「いいサボり方をしたほうがいい」
っていうのは、ずっと言ってたことなんです。
だから、家で作業したほうがいいと思うときは、
自信をもってそれを選べばいい。
実際、いまも出社かリモートかっていうのは、
部署にもよりますけど、選べるようになってる。
そういう実験的なことも、
いまなら逆にやりやすいわけです。
で、生産力はいったん落ちるかなと思ってたら、
意外に落ちない(笑)。
西田
へぇーー(笑)。
糸井
それは、まあ、単純に、
いつものようにできないときだからこそ、
一生懸命、なにかで補わなきゃっていう、
火事場の馬鹿力みたいなものが
出ているのかもしれませんけどね。
東日本大震災のときもそうでしたけど、
じゃあどうしよう、こうしよう、って、
話し合ったり考えたりする動機が、
毎日の仕事をする面では、
むしろ強くなった部分はあると思います。
ひとまず、そんな感じでしたね。

(つづきます)

2020-07-20-MON

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